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2011年3月20日号
News Focus

日本橋架橋100周年

 江戸幕府開府とともに架けられ、現在も道路元標のある道の起点として親しまれる重要文化財「日本橋」。1911年(明治44年)に現在(20代目)の石造二連アーチ橋に架け替えられてから、4月3日(日)で架橋100周年を迎える。
 その名は誰もが知っているが、どんな橋かは意外と知らない。日本橋の来し方行く末を眺めてみよう。

 

江戸幕府開府と同時に誕生

「熈代勝覧」絵巻より。一部は複製され、三越前駅地下コンコースに常設されている

 江戸幕府開府の際、江戸城を中心に造成された“町人地”がはじまりといわれる日本橋エリア。地域のシンボルである「日本橋」も、1603年(慶長8年)、開府と同時に完成した。

 1604年(慶長9年)には、五街道(東海道・甲州街道・奥州街道・日光街道・中山道)の起点として制定され、やがて各地から訪れる人々や物産で街は大いに賑わうようになった。中央通りの両側には、大型商店「三井越後屋呉服店(のちの三越)」や「白木屋(のちの東急百貨店)」をはじめ、堂々とした構えの店が軒を連ね、日本橋は日本経済の中心として発展。

 また、全国からやってきた多くの人や文化が交流することにより、商業だけでなく、絵草紙や浮世絵などの印刷物、江戸歌舞伎や人形浄瑠璃などの芝居といった文化が盛んになったことで、日本橋はさらなる賑わいを見せることになった。

 

橋の上に空を取り戻すために

江戸幕府最後の将軍、徳川慶喜の筆による「日本橋」の文字が残る現在の日本橋
写真提供/ケルヒャー ジャパン株式会社

 近代、商業地の発展によって大いに繁栄した日本橋だが、その後、関東大震災、東京大空襲といったさまざまな歴史的事件に遭遇。成長と衰退を繰り返すことになる。

 衰退のきっかけとなったのは高度成長期、1964年の東京オリンピック開催にあわせて造られた首都高速道路。「日本橋」の上空が覆われてしまったことにより、街のシンボルだった「日本橋」の美観や風格が損なわれてしまったのだ。

 1980年代に入ると、日本全体がバブル景気で沸き立つものの、バブルの収束にあわせてその賑わいも失速。1998年には大手百貨店「東急日本橋店」が閉店。日本橋の商業地としての勢いが後退したことを決定づけた。

 やがて日本橋の住民や企業も、日本橋の現状に危機感を抱くようになり、かつて空前の繁栄を見せた日本橋を取り戻すべく、地域一体となって「日本橋再生計画」への取り組みが始まった。

 2004年3月、閉店した「東急日本橋店」の跡地に、三井不動産株式会社が開発した新しい商業施設「COREDO日本橋(日本橋一丁目ビルディング)」がオープン。これを機に官民地元が一体となって推進する「日本橋再生計画」は、現実に大きく動き出した。

2011年4月完成予定の日本橋の「船着き場」
画像提供/「河川・運河を活用した舟運等に関する意見交換会」(中央区)

 現在、名橋「日本橋」保存会を中心に日本橋全体で街の活性化に取り組み、清掃活動から集客や情報発信を目的としたイベントまで、さまざまな活性化施策がスタート。街には新規来街者が増え、街に回遊性も生まれはじめている。

 そして今、江戸時代に繁栄した舟運都市としての機能を復活させ、東京中の新旧観光スポットを“水の道”で結ぶプロジェクトが着々と進行中。2011年春には「日本橋」のたもとには「船着き場」が完成。4月1日に竣工式が行われる予定だ

 

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