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2011年5月20日号
News Focus

都営交通100周年記念企画 第2弾

都営交通100年の軌跡

 現在、都営交通は、都営地下鉄、都営バス、都電、日暮里・舎人ライナー、モノレールを合わせて、1日約300万人に利用されているが、ここに至るまでには山あり谷あり、まさに激動、苦難の歴史でもあった。都民生活に欠かせない公共交通機関として大きな役割を担ってきた都営交通の100年の軌跡を振り返る。


 

(明治44年創業)

明治44年、創業当時の銀座尾張町(現銀座4丁目)の風景 ※クリックすると拡大されます

 東京都交通局は明治44年8月、東京鉄道株式会社から路面電車事業と電気供給事業を買収して、東京市電気局として創業した。

 創業当時の路面電車の運転状況は、軌道延長192.3㎞、車両数1054両、一日平均乗客数51万人余。ちなみに当時の東京市の人口は約200万人だった。

 その後、東京の近代化や住民の増加により、路面電車事業は次第に拡張していった。

 

(関東大震災)

震災後の大正12年9月6日から一部運転を再開した市電に鈴なりの乗客

震災後の大正12年9月6日から一部運転を再開した市電に鈴なりの乗客

 東京市電気局の路面電車は、大正12年の関東大震災によって壊滅的な打撃を受けた。

 臨時応急的な輸送手段として、翌13年1月18日、「東京市営バス」が誕生した。

 アメリカフォード社製の11人乗り車両(愛称「円太郎バス」)を使用し、巣鴨~東京駅、中渋谷~東京駅の2系統の運行を開始したのが乗合自動車事業の始まりだ。

 

(市電最盛期)

明治30年代に製造された旧東京市電「ヨヘロ」は昭和9年に函館市に譲渡され、今も除雪車両として2両が活躍している

 昭和17年、陸上交通事業調整法に基づき、王子電気軌道株式会社(通称王電、現在の荒川線の前身)を含む路面交通事業者8会社10事業を統合し、旧市内路面交通の公営一元化が図られた。

 翌18年には41系統が都内を縦横に走り、一日約193万人が利用する市電最盛期を迎えた。

 一方、市営バスも昭和17年、やはり陸上交通事業調整法に基づき、旧市内の事業エリア(山手線と荒川放水路に囲まれた地域および江戸川区の一部)において、市電と共に独占的な路面交通機関となった。

 昭和17年に電気供給事業を関東配電株式会社(現在の東京電力㈱)へ譲渡。軌道事業と乗合バス事業を営むこととなった東京市電気局は、昭和18年の東京都制の施行に併せて、「東京都交通局」と名称を改めた。

 

(東京大空襲)

戦後間もない昭和22年の三宅坂

 昭和20年の東京大空襲により、都電は車両の約半数が被災するなど壊滅的な被害を受けた。終戦時の営業路線は163㎞(戦前の81%)、運転車両数は296両(同26%)、運転キロは5万7453㎞(同19%)、乗客数は戦前の28%の38万5456人にまで落ち込んだ。

 

(昭和30年代)

 都電は、昭和30年には一日約157万人の利用を記録するなど、戦後しばらくは東京における代表的な公共交通機関として活躍した。

都営1号線全線開通

都営1号線全線開通

 しかし、この頃から自動車交通量が急速に増加、昭和34年に自動車の軌道敷内乗り入れが解禁されると、路面電車と自動車との接触事故が多発するなど、輸送機能が著しく低下した。

 一方、戦後の首都圏の急激な人口増加によって、周辺地域と都心を結ぶ輸送需要が著しく増大したことから、都独自に地下鉄建設に着手。昭和35年12月には浅草線の押上~浅草橋間が営業を開始した。

 さらに、昭和32年には、上野動物園の東園と西園を結ぶ、わが国最初のモノレール事業が始まった。初代H形車両は、近未来を意識した流線型で、開業時には、チンパンジーのスージーがお祝いに駆けつけるなど、大きな話題となった。

 

(昭和40年代)

 昭和40年代に入ると、都電事業の経営状態が極度に悪化。昭和42年12月から同47年11月までの間に、合計35系統の路線を撤去した。

昭和40年代前半の銀座通りを走る都電

 しかし、三ノ輪橋~赤羽間、荒川車庫前~早稲田間については、路線の大部分が専用軌道であり、都民から存続の強い要望があったことから、王子駅前~赤羽間のみを昭和47年11月に廃止し、残りの区間を昭和49年10月1日から1つの系統として荒川線(三ノ輪橋~早稲田)と改称、恒久存置することとした。

 こうした都電や無軌条電車(トロリーバス)の路線廃止を受け、路面交通の主役に躍り出たのが都営バス。昭和47年には一日約130万人を輸送するまでになったが、道路渋滞や地下鉄網の整備、人口のドーナツ化現象などにより、次第に乗客数にも陰りが見えはじめた。

 一方、地下鉄事業では、昭和43年12月に三田線志村(現高島平)~巣鴨間が開業した。

 

(昭和から平成へ)

平成12年に全線開業した大江戸線(六本木駅)

 地下鉄事業はその後も拡大され、昭和53年12月には新宿線岩本町~東大島間が開業。平成3年12月にはリニアモータ駆動を導入し、都営地下鉄で初めてワンマン運転となる大江戸線放射部(練馬~光が丘間)が開業した。

新交通システム「日暮里・舎人ライナー」(扇大橋付近)

 一方、公共交通網が不足していた区部北東部(足立区西部地域)では、平成9年12月、第三セクターの「東京都地下鉄建設株式会社」が新交通システムの工事に着手。平成20年3月30日に「日暮里・舎人ライナー」が開業した。開業半年後には、早くも累計乗客数1000万人を達成し、沿線地域の活性化などが期待されている。

 さらに平成12年9月26日には三田線の三田~目黒間(白金高輪~目黒間は東京メトロとの共用区間)が、同年12月12日には大江戸線が全線開業するなど着実にネットワークの拡大が図られ、現在では計109.0㎞の営業を行うまでになっている。

 都営バスは、平成14年2月の乗合バス事業の需給調整規制の廃止により、新規参入が自由化され、事業者間競争が激しくなっているが、平成20年度末で139系統、786㎞あまりの営業キロを持つ国内有数の路線バス事業者として都民の足を確保している。

下町を結ぶ観光路線バス「東京▼夢の下町」

 このほか、平成20年には東京駅から上野・浅草・両国といった下町を結ぶ観光路線バス「東京▼夢の下町」の運行を開始、都心観光の便利な移動手段としても注目されている。

 また、都電荒川線は営業キロは12.2㎞と短いが、地域住民の日常生活に密着した生活路線として、また、昭和の面影を残すレトロな観光路線として、広く親しまれている。

 

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