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暮らし・文化
2011年9月20日号

らくがきスポーツカフェ(14)

昔むかし実感放送ってのがあった

スポーツ・プロデューサー、NPO法人スポーツ見物協会 堀田 壽一

 ちょっと古い話だが、今回のテーマはラジオ「実感放送」だ。

 実感放送という言葉は、私がサッカーの放送権を担当していた当時、先輩から放送権という言葉が出始めた頃の話として聞いた。

 今から79年前、ロサンゼルスオリンピックでのことだ。アメリカのNBCは、オリンピック初のラジオ生中継を計画し、オリンピック組織委員会と交渉を始めた。ラジオで生中継されると、チケットを買ってスタジアムに足を運ぶ観客が減ると心配した組織委員会は、入場料収入の損失を補うためNBCに放送権料を要求した。NBCが支払いを拒んだので、交渉は難航し決裂、NBCは生中継を諦めた。

 1932年頃の日本は、ラジオの普及が100万台を突破した黎明期だ。NHKは早くからオリンピック生中継を計画し、アメリカと交渉していた。この交渉も難航したが、アメリカの同意やNBCの協力もあって、NHKは中継のため河西三省ら3人のアナウンサーを派遣した。

 NHKは海外放送なので放送権料はタダだったが、NBCが放送を断念した関係でスタジアムからの生中継は行わず、アナウンサーは競技終了後、近くの放送局に駆けつけ、スタジアムで見てきた競技を実況として放送した。それが実感放送だ。

 開会式、陸上100m準決勝、決勝、400mハードル、3000m障害、三段跳などを実感放送したが、私は100mの実感放送は「はみ出さなかったか?」という疑問をもっている。大会の金メダルはアメリカのエディ・トーラン選手で記録は10・3秒だ。誰がアナウンスをしたかは定かではないが、想像してほしい。「1ちゃ~く、トーラン!」の実感放送が、10・3秒でできたのかを。私の知る限りではできたとも、できなかったとも、確認されていない。ただ、雑音混じりの海外放送に聞き耳をたてていた日本人は、実況生中継だと信じていたことに間違いはない。

 4年後の1936年、ベルリンオリンピックで「ホント」の実況生中継が行われた。そして、後世に残る実況中継が生まれた。ロスにも派遣されたアナウンサー、河西三省の「前畑がんばれ、前畑がんばれ、勝った! 勝った!」である。ラジオは日本全国に普及していて、その熱狂は、さながら「なでしこ優勝」と同じだったと思う。

 

 


<筆者紹介>

堀田 壽一(ほった じゅいち)

愛知大学経済学部卒業。NHK入局。報道カメラマンを経て、NHKスペシャル「アフリカに架ける橋」「飢餓地帯を行く」「呉清源」など幅広いジャンルでカメラマンとして活躍。スポーツも各種目を取材、スポーツ報道センターチーフプロデュサーとしてサタデースポーツ、サンデースポーツ副編集長を務める。オリンピックはリレハンメル、アトランタ、シドニー、サッカーは1998年のフランス大会を現地取材。特にJリーグは1983年から取材を続けている。1997年、NHK退職後、関連会社でスポーツ番組制作に参加。2007年からフリーランス・スポーツプロデューサー。日本トップリーグ連携機構マネージメント強化プロジェクトアドバイザー、NPO法人スポーツ見物協会会員。

 

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