フランス料理には地域の名称や人物名などが、そのまま付けられるものがとても多いとか。一般的に知られているもの、あるいはまだまだ知られていないフランス料理についての由来・歴史などを、ARGO総料理長の山下シェフが紹介します。
第2回 フランス料理のスタイルはロシア風サービス!?
連載第1回目で説明したように、アンリ2世とイタリア・メディチ家の王妃カトリーヌの結婚により、フランスの料理も劇的に進歩しました(1533年)。その約250年後、もう一つのある大事件によりフランスの食文化が大きな変化をとげていきます。それは1789年に始まったフランス革命です。
フランス革命により王政が崩壊し、貴族らが権力の座から失墜すると同時に、宮廷で働いていた優秀なコックたちは職を失ってしまいました。一部のコックは、大富豪や他国の貴族、またはヨーロッパの有名ホテルに雇われるなどして職を得ていましたが、ほとんどのコックは失業。そこで彼らは町に次々とレストランをオープン、一般庶民はこれまで口にすることができなかった宮廷料理を手軽に食べられるようになったのです。これがフランスにおけるレストラン時代の幕開けです。
ただ、この時代に出されていた料理は、現在のフランス料理とは全く違う、大皿でテーブルに並べるといったスタイルでした。豪華絢爛に見せるため、味覚よりも視覚が最優先されていたのです。
現在のように、一皿一皿盛り付けるようになったのは、ロシアが発祥といわれています。1810年、ロシアのクラ―キン公爵がクリシー城での晩餐会で、パリの有力者に一皿一皿の料理を温かい最高の状態で披露したのです。
ロシアはもともと寒冷地のため、一気に料理を出すフランス方式ではすべての料理が冷たくなりすぎて、豪華ではあっても、とても食べられなかったのでしょう。以来、このスタイルはロシア風サービスと呼ばれるようになりました。
しかし、多くのコックは、なかなかロシア風サービスに移しませんでした。なぜなら、温かい料理は確かに食べられても、一気に料理を並べたほうが豪華さとインパクトに長けていたからです。フランス料理史上最も偉大なシェフといわれるマリー・アントナン・カレームもロシア風サービスを知りつつも、見栄えが悪いと評し、その方式を取るのをためらっていたほどです。後にカレームの弟子の一人、ユルバン・デュボワがこの方式に注目し、自分の著書の中で紹介しました。それが多数のコックから受け入れられ、徐々に現在のスタイルになっていきました。
<山下敦司プロフィール>
フレンチレストラン「アルゴ」(千代田区麹町)総料理長。
服部栄養専門学校卒業後、銀座「フランス料理清月堂」、大阪欧風菓子「ケンテル」を経て、1
995年渡仏。
エクス・アン・プロヴァンス「ル・クロー・ドゥ・ラ・ヴィオレット」(ミシュラン二ツ星)、
パリ「ル・ディヴェレック」(二ツ星)、アヌシー「オー ベルジュ・ド・レリダン」(三ツ星)
、ロアンヌ「トロワグロ」(三ツ星)、パリ「ピエール・ガニェール」(三ツ星)と数々の名店
で部門シェフを務め、クラシックから最先端のフレンチまで幅広く研鑽を積む。
2000年に帰国後は、ガニェール氏の推薦により「ル・コルドン・ブルー・パリ」にて6年半、
料理講座教授。
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