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暮らし・文化
2013年1月20日号

らくがきスポーツカフェ(30)

初心忘るべからずと所信表明する

スポーツ・プロデューサー、NPO法人スポーツ見物協会 堀田 壽一

 初詣は赤坂の「豊川稲荷」と決めている。元日の天皇杯決勝戦を取材するのに近い神様だから、がその理由。家内安全とスポーツを楽しめるよう祈願するが、今年は「もっとテレビ中継を多く見ます」とお稲荷さんに告げた。理由は松井秀喜選手の引退だ。

 松井選手の「5打席連続敬遠」は、当時仲間のスポーツ記者達がその戦術を巡って激論になり、私が仕事を変える一因ともなった。

 1992年8月16日、カメラマンデスクだった私は、ゴジラの愛称で呼ばれる超高校級スラッガー松井選手を見ようと、甲子園球場の記者席の端っこで観戦していた。もちろん誰もがゴジラの打球はどんなものかを見たがっていた。

 しかし4打席連続敬遠ともなると記者席の雰囲気も大きく変わる。「次も敬遠か……」と誰かが軽く言った。「そりゃあないだろう」と言われながら5打席目も敬遠! 松井選手のチームは負けた。

 球場は大騒ぎになっていた。私はどうしても松井選手の話が聞きたい、聞かないと後悔すると記者会見場へ走った。多くの記者に囲まれていた汗まみれの松井選手の顔が予想以上に大きかったことに驚き、ゴジラの異名は「むべなるかな」と納得した。

 ゴジラは「仕方が無いでしょう」と目線を空中に向けぶっきらぼうな言葉を吐くと、口を真一文字につぐんだ。

 職場の甲子園取材チームは騒がしかった。「正々堂々と勝負するのが高校野球だろう」との主張が支配していたが、「野球ルールになんら違反していない。戦術の一つだ」と高名な野球解説者の意見を主張する記者もいて議論が続いた。高校野球での敬遠作戦は何の問題も無い。おそらく松井選手の豪傑ぶりを伝える当時のメディアの情報が、程度を超えていたのだと思う。

 その時テレビは「5打席連続敬遠」をどのように伝えたか。勝者と敗者をどのように伝えたのか。プロデューサーは腕の見せ所だったに違いない。

 その日から1年後、私はスポーツ・プロデューサーとして再スタートした。生中継で何台ものカメラが写し出す映像を組み合わせ、テレビを見る人にスポーツを、スポーツ映像の大切さと面白さを的確に伝えたかった。

 松井選手の引退会見を見た。そこには、「命がけのプレーができなくなった」と語る穏やかなゴジラがいた。素晴らしいジェントルマン、松井秀喜さん再スタートの姿だった。

 あの頃の生意気な気概を思い出し、今年はより多くのスポーツを、スタジアムとテレビで見よう。お稲荷さんに怒られないように。

 


<筆者紹介>

堀田 壽一(ほった じゅいち)

愛知大学経済学部卒業。NHK入局。報道カメラマンを経て、NHKスペシャル「アフリカに架ける橋」「飢餓地帯を行く」「呉清源」など幅広いジャンルでカメラマンとして活躍。スポーツも各種目を取材、スポーツ報道センターチーフプロデュサーとしてサタデースポーツ、サンデースポーツ副編集長を務める。オリンピックはリレハンメル、アトランタ、シドニー、サッカーは1998年のフランス大会を現地取材。特にJリーグは1983年から取材を続けている。1997年、NHK退職後、関連会社でスポーツ番組制作に参加。2007年からフリーランス・スポーツプロデューサー。日本トップリーグ連携機構マネージメント強化プロジェクトアドバイザー、NPO法人スポーツ見物協会会員。

 

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