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第19回 フランスでの過酷な修行が料理長への道2013年10月20日号

 
山下敦司シェフのフランス料理美食のススメ

 

フランスでの過酷な修行が料理長への道

 最近は、どこのフランス料理店に行ってもフランス帰りの料理長が大半です。彼らは、どのようにしてフランスで働いて来るのでしょうか? 今回は、若い料理人(フランス料理)が料理長になるまでをお話しします。

 専門学校を卒業後、日本のフランス料理店に就職した料理人は、個人の実力にもよりますが、数年働いてからフランスへ渡ります。店の先輩がフランスに修業したことがあるなら、その人に紹介してもらいますが、そうでなければ自分で探すしかありません。いろいろな協会で紹介してもらうか、フランス語ができる人に手紙や電話をお願いして修業先を探します。ワーキングホリデーという方法もあります。

 修業先が決まると、今度は住む所を見つけなければなりません。地方のミシュラン星付きレストランなら、だいたい日本で言う寮があるので、そこでほかの見習い料理人たちと共同生活をします。

 さて、修業が始まると、まずぶちあたるのが言葉の壁。調理用語としてのフランス語はわかっても、それ以外は聞き取れるようになるまで数カ月かかります。調理場に入っても言葉がわからないので、最初は雑用ばかりです。早い所では朝7時ぐらいから始まり、夜は12時を過ぎることもしばしば。昼食と夕食は、店の皆と一緒に食べますが、日本と決定的に違うのは、ランチが2時過ぎに終わると、休憩のために一度自宅へ帰ります。その後、夕方に店に戻り仕込みを始めます。

修行先でしっかり結果を出せば部門シェフになれるチャンスもある

 1〜2年が過ぎると、1つ星の店で働いているなら次は2つ星、3つ星と思うようになります。私の場合も同じステップを踏んできました。3つ星の店には世界中から料理人が集まってきます。私の同僚にもさまざまな国の料理人がいましたが、働いてきたすべてのレストランでアジア人は日本人のみ。それだけ日本人がフランスで認められているからでしょう。たいていの料理人は5〜10年で帰国し、最終的には料理長になるようです。

 私の場合、長くフランスにいたので帰国するときに当てがなく、直前まで働いていたピエール・ガニェール氏に紹介していただきました。彼には本当に感謝しています。

 


<山下敦司プロフィール>

フレンチレストラン「アルゴ」(千代田区麹町)総料理長。
服部栄養専門学校卒業後、銀座「フランス料理清月堂」、大阪欧風菓子「ケンテル」を経て、1995年渡仏。
エクス・アン・プロヴァンス「ル・クロー・ドゥ・ラ・ヴィオレット」(ミシュラン二ツ星)、パリ「ル・ディヴェレック」(二ツ星)、アヌシー「オー ベルジュ・ド・レリダン」(三ツ星)、ロアンヌ「トロワグロ」(三ツ星)、パリ「ピエール・ガニェール」(三ツ星)と数々の名店で部門シェフを務め、クラシックから最先端のフレンチまで幅広く研鑽を積む。
2000年に帰国後は、ガニェール氏の推薦により「ル・コルドン・ブルー・パリ」にて6年半、料理講座教授。

 

 

 

 

タグ:フランス料理 山下敦司

 

 

 

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