2008年11月20日号
〜My Life Work〜
仕事に命を賭けて Vol.9
オリンピックなどの国際級選手の育成を使命に
陸上自衛隊・自衛隊体育学校
特別体育課程学生 2等陸尉
坂本 日登美ひとみ

 文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。

 今回は、練馬区大泉学園町の陸上自衛隊朝霞駐屯地にある自衛隊体育学校第2教育課・特別体育課程学生の坂本日登美2尉。去る10月に代々木競技場で行われたレスリングの女子世界選手権で4連覇を達成し、惜しまれつつも引退した最強女子アマチュアレスラーの活躍などをご紹介したい。

(取材/袴田 宜伸)


10月の世界選手権での戦いぶり

10月の世界選手権での戦いぶり。決勝では第1ピリオド53秒でフォール勝ちした


 自衛隊体育学校の前身は、1952年に警察予備隊普通科学校に設立された体育班。それが3幕(陸・海・空)の共同機関として「部隊における体育指導者の育成」「体育に関する調査・研究」を目的に1961年、朝霞駐屯地に創設された。

 一般教育課程教育から始まったが、1964年に開催される東京オリンピックを見据えて創設の翌年には、「オリンピックなど国際級選手の育成」を使命に第2教育課が編成。陸上、水泳、ウエイトリフティング、射撃、近代五種、ボクシング、カヌー、そしてレスリングの8競技で特別体育課程教育が行われることとなった。

 同校は円谷幸吉(マラソン)、三宅義信(ウエイトリフティング)などのメダリストをはじめ、多くの有望選手を輩出。その存在意義を高めたが、そればかりではない。

 企業から支援を受けにくいマイナースポーツをサポートしていることでも、大きな貢献を果たしているのだ。


この環境ならもう一度
世界を目指せると直感

引退セレモニー

世界選手権の表彰式後には、引退セレモニーが催された

 坂本2尉が自衛隊体育学校に入ったのは、2005年―。

 アテネオリンピックで女子レスリングが正式種目になったと聞いた時には「念願がかなって嬉しかった」が、坂本2尉の階級(51kg級)は不採用。膝の故障に悩まされながらも2002年、55kg級に階級を上げて、アテネオリンピックの代表選考会を兼ねた全日本選手権に出場した。

 だが、決勝で吉田沙保里選手に敗れてオリンピックを断念。そのショックは大きく、「何のためにレスリングをやっているのか」「これからどうやって生きていこう」と思い悩み、レスリングから離れた。その約半年後、自衛隊体育学校との出会いがあったのだ。

 「レスリングの練習を少しずつし始めた頃に、母校の後輩たちと一緒に体育学校で行われた合宿に参加したのですが、『この環境ならもう一度世界を目指せる』と直感しました」

 それまでの女子選手ばかりの環境とは真逆なことから、入隊前は「不安があった」。

 だが、心から信頼できるコーチや監督、仲間に出会うことができたそこは、彼らとともにより中身の濃いレスリングができる、願ってもない環境だった。

 「入隊当初、周囲の人からよく『表情が柔らかくなった』と言われましたが、安心して練習に専念できていたからだと思います」

 坂本2尉は続ける。

 「男子の高い技術を見て『自分はまだまだ小さい』と実感しました。でもその技術を教わり、力に頼っていたそれまでのレスリングに技術をプラスすることができました」


女性自衛官初の
第一級賞詞の表彰を受ける

レスリング道場内

熱気が充満しているレスリング道場内

 その後、坂本2尉は復活を果たし「世界選手権」「アジア選手権」「ワールドカップ」など次々と栄冠を獲得。最後まで試合を諦めないその姿は多くの人に感動を与えてきたが、身内の自衛隊員も「坂本2尉の姿こそが自衛隊員のあるべき姿」と賞賛を惜しまない。

 普段、ほかの隊員と接する機会は少ないながらも、対して坂本2尉はこう話す。

 「自衛隊は国の機関ですから、入隊前よりも背負っているものはとても大きく、みなさんの支えがあって自分がいると思っていますし、感謝しています」

 そして本年10月、目標に掲げてきた世界選手権で見事に4連覇を達成した。

 「自分が世界チャンピオンになる姿を、両親や一緒に戦ってきたコーチに直接見せたいという気持ちで臨みました。それが達成できてすごくホッとしましたし、嬉しかったです」

 世界選手権V6は史上2人目の快挙。51kg級では国際大会64連勝の記録を残して引退したが、その功績が讃えられ今月11日には、自衛隊で最高の栄誉である第一級賞詞の表彰を、女性の陸上自衛官として初めて受けた。

 今後はコーチとしての活躍が期待される坂本2尉。晴々した表情で目標を口にした。

 「今まで自分が培ってきたものを活かして妹(真喜子)やほかの女子選手の支えになって、一緒にオリンピックや世界を目指していきたいです。そして東京でオリンピックが開催されて、コーチとして支えた選手がそのマットに立ったとしたら嬉しいですね」

 自身が成し得なかったオリンピック出場の夢―それは妹や後輩たちとともにロンドン、その先へと続く。


[プロフィール参照]

<プロフィール>

1981年、青森県生まれ。小学3年からレスリングを始め、中京女子大学卒業後、和光クラブを経て自衛隊体育学校へ。世界選手権は2000〜2001年と2005〜2008年に優勝。本年10月に引退し、現在はコーチとして後輩を指導

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