責任感の強い両親により、
幼い頃から厳しいレッスン、練習の日々。
―3歳からピアノ、4歳からバイオリンを始めたそうですが、バイオリン1本に絞ったのはなぜですか。
牧山 母がエレクトーンとピアノの先生で、一応3歳からピアノとは言っていますけど、たぶん座れるようになった時からピアノには向かっていたと思います。母は生徒さんには優しいんですけど、娘となるととにかく厳しくて、私自身ピアノが怖くなってしまったんです。母もこのままでは親子関係がおかしくなると感じたのでしょう(笑)。友達のバイオリンの先生のところに連れて行かれて、バイオリンを始めることになりました。
―バイオリンの先生は優しかったのですか?
牧山 いいえ(キッパリ)。母と同じで厳しくて、褒められた思い出はほとんどありません。だからバイオリンのことも好きになれませんでした。
―ピアノはお母さんが厳しくて、バイオリンも先生が厳しくて……。でもバイオリンは続けられた?
牧山 お花が綺麗だからお花屋さんになりたいみたいな感覚で、バイオリニストになれば、綺麗なドレスが着られるという単純な気持ちだったと思います。
それに、一人っ子だったので、逃げ場がなかったんですね。小学校に入って友達がバレエを習っていたので、「私もバレエを習いたい」と言ったのですが、バイオリンを練習する時間がなくなるからと許可されず、スイミングは万一水に落ちた時に命に関わるから習ってもOKといった調子でした。クラッシック以外は音楽と認めないという方針から、家で流れる音楽はクラシックのみ。テレビといえばNHKの『大草原の小さな家』、『ニュース』そして『世界名作劇場』くらいで、当時流行っていたお笑い番組や歌番組は論外でした。(笑)
―ご両親はバイオリニストにさせたかったのでしょうか。
牧山 母曰く、別にバイオリニストにさせようとは思ってなかったと。ただ、父も母も責任感が強いので、中途半端は許さないんですね。やるのであれば、ちゃんと真面目にやりなさいと、朝学校に行く前に1時間、帰ってから少なくとも2、3時間、小学生にとっては大変な練習をさせられていたと思います。
―やはり才能があると期待していたのではありませんか。
牧山 父はサラリーマンなんですけど、バイオリニストの海野義雄さんと高校の同級生だったんです。私は全く記憶がないのですが、幼稚園の時、海野先生に自分の娘がバイオリンを続けていいかどうかジャッジしてもらいに行ったんですね。その時に「耳も悪くないし、続けてもいいんじゃないの」と言っていただいて、それで父も母も邁進したんだとは思います。
素晴らしいバイオリニストの大谷康子先生に小学生の時から教えていただいていたのですが、中学生の頃に反抗期と重なり一度だけ、母にバイオリンを辞めたいと言ったことがあります。

2023年2月、丸の内のコットンクラブで行われたニューアルバム『Classical Trio』リリースライブ
親戚の結婚式でバイオリンを演奏。
みんなに喜んでもらえることを知った。
―お母様の反応は?
牧山 中学生なのだから辞めたいなら自分で先生に言いなさいと言われて、レッスンの時に「バイオリンは好きで、曲を弾くのも好きだけど、練習は好きじゃない。だから一回やめたい」と正直に言ったんです。すると「バイオリンが嫌いじゃないんだったら、練習してこなくてもいい、好きな曲だけ弾くのでもいいから続けたら?」と。普通だったら「じゃあまた弾きたくなったらいらっしゃい」で終わりそうなものですが、先生に優しくそう言っていただいて、バイオリンを続けることができました。
私は幼稚園から高校までの一貫校に通っていて、大学はなかったんです。それで大学進学を何となく考えていた時に、それも中学の時ですが、親戚の結婚式でお祝いにバイオリンを弾く機会がありました。その時、私の演奏を聴いてくれた皆さんが、すごく喜んでくれて、褒めてくれて、とても嬉しくなったのです。それが生まれて初めて自分の演奏に意味というか、弾き甲斐を感じることができた経験でした。それで結婚式場などで生の音楽を届けて、みんなが笑顔になるような仕事に就けたらいいなと思い、音楽大学に行こうと思いました。
―とはいえ、音楽大学を卒業後、フランスに留学されていますよね。やはりソリストを目指したいという思いがあったのではないですか。
牧山 大学時代にロシア人やアメリカ人の先生についたのですが、先生によって勧めてくださる楽曲も違えば、理解とか求めるものが違うんですよ。そういうことに興味がありましたし、フランスの作曲家の曲に好きな曲が多かったので、フランスのフレーヌ国際音楽アカデミーのセミナーを受けに行くことにしました。それも両親の反対を押し切って、アルバイトでお金を貯めて。
自分のお金で行ったということもあると思いますが、それまで味わったことのない充実感がありましたし、バイオリンを弾くことはこんなに楽しいことだったんだと、初めて気付くことができました。
―ジャズと出会ったのは?
牧山 20代半ば、母とニューヨークのブルーノートに行って、ライブで聞いたのが人生初のジャズ。それまでまったく触れずにきた未知の音楽でしたが、なぜか心地よくて、その時はすぐに寝てしまったんです(笑)。
私はイツァーク・パールマンというクラシックのバイオリニストが大好きで、CDを見つけると全部買っていました。そして海外でたまたま見つけて手に取ったのがパールマンとオスカー・ピーターソンが競演した『Side By Side』。聴いてみたら、いつものパールマンとは違う、それまで聴いたことのない音楽が流れてきた! それが、ジャズ・バイオリンとの出会いでした。
パールマンがこんなリズムを弾いてる、私もやりたいと両親に熱望しました。でも、当時の日本にはジャズ・バイオリンを教えてくれる先生や学校はなくて、行きついたのがアメリカのバークリー音楽大学。長期の海外留学なので反対されると思ったのですが、パールマンは、かつて親が勧めて聴かせたバイオリン奏者だったので、両親としても拒否しにくかったと思います。すったもんだは有りましたが、結局、バークリーに留学してもいいということになりました。

世界的な指揮者、小澤征爾さんには自宅の鍋パーティにも招かれた
クラシックの常識が全く通用しない
ジャズの世界へ飛び込む。
―ジャズを全く知らないで、飛び込んだのですよね。
牧山 クラシックは楽譜通りに演奏するものと思い込んでいましたので、自分の解釈、また自由に演奏するなんて考えられません。
バークリーで最初のアンサンブルの授業の時、渡された譜面はメロディとソロフォームのコード(和音の記号)のみが書いてあるA4サイズのシンプルなものでした。1回メロディーを弾いた後、みんなは演奏し続けているんですけど、私は音符がないので弾かなくていいと思ってぼーっと休んでいたら、「何してるの、君がソロ弾く番だよ」って。「え!ソロって何???」と。地獄の日々の始まりでした(笑)。
―辞めようとは思わなかったのですか。
牧山 会ったばかりの人たちが、与えられた曲をスタートすると、音で会話をしているんですよね。しかもみんな笑顔だし、実際に言葉を交わすよりも距離を縮められる。こんな音楽があるんだと本当に驚きました。
私にはジャズのボキャブラリーが全くありませんし、クラシックではやってはいけないことが、ジャズでは日常茶飯事。今までやってきたことが、ここでは何も通用しません。でも、今ここから逃げたら、私はこの人たちとの音会話は一生できないだろうと思って、本当に必死に頑張りました。
そんな時、ボストン交響楽団で音楽監督を務めていた小澤征爾さんにお会いする機会がありました。実は小澤さんの東京のご自宅が実家と近く、また小澤さんの息子の征悦くんと同い年で間接的に知っているという話をしたんです。偶然父と同い年ということで、「じゃあ、アメリカのお父さんになってあげよう」と言ってくださり、ボストン響のバイオリン奏者さんをご紹介していただいて、バークリーでジャズを学びながら、クラシックを学び直す機会を得ることもできました。
当時、バイオリンはクラシック以外はやってはいけないという感覚が日本ではあって、自分の進もうとしている演奏が否定されているように感じていました。でも、小澤さんから「バイオリンが他のジャンルを演奏してはいけないなんてことは一切ない。これから絶対ジャンルの壁はなくなるから頑張りなさい」と励まされ、二足の草鞋を続けることができました。
同じ頃、ボストンで日本を代表するジャズピアニスト、小曽根真さんとも交流が始まりました。小曽根さんはジャズからクラシックに飛び込んだタイミング、私はクラシックからジャズに飛び込んだタイミング。あるコンサートの前に小曽根さんがウォーミングアップでモーツァルトやバッハを弾くのを聴かせていただく機会がありました。
「私が知ってるモーツァルトやバッハの弾き方ではないですね。イントネーションがジャズっぽい」と正直な感想を言うと、「そうかー。クラシックの先生にしっかり習おうかな」と。
小澤征爾さんもそうですが、こんなすごい方々が、常に向上心を持って勉強している。そういう姿を実際に目にすることができたことは、本当にありがたいと思いますし、私の財産です。
―日本に戻ってメジャーデビュー。ライブ活動の他にも、人気ドラマの音楽を担当したり、ラジオでDJを務めたりと多方面でご活躍ですね。
牧山 私は出会い運が良くて、自分の力というよりも、本当に素晴らしい人たちに恵まれて今があると思っています。自分がバイオリンを弾くことによって出会う人たちと、楽しい時間だったり、幸せな時間を、これからも持ち続けられたら嬉しいです。
そして、これからもライブ(生演奏)を大切にし、いらしてくださったお客様に心も身体も元気になっていただけるようバイオリンを奏で続けたいと思います。

綺麗なドレスを着られるのが嬉しかった。小学2年生の時の発表会

牧山 純子|まきやま じゅんこ 1974年生まれ、東京出身。幼稚園から高校まで田園調布雙葉学園に通う。武蔵野音楽大学卒業後フランスで研鑽を積む。2002年バークリー音楽大学に入学しジャズ・バイオリンを専攻。2017年にリリースしたアルバム『ルチア~スロベニア組曲』で、クラシックとジャズの壁を取り払い演奏する唯一無二の独自のスタイルを定着させた。国内外を問わず、ライブハウスやジャズフェスティバルに出演する他、テレビやラジオにも多数出演し、LIVEのMCにも定評がある。