旅をしながら先人の人生を追いかける

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

作家、ジャーナリスト 芦原 伸さん

 学園紛争のさなかに北海道大学文学部ロシア文学科を卒業し、上京して2年間肉体労働に就く。週刊誌記者を経て、鉄道ジャーナル社に入社し、「旅と鉄道」創刊期のデスクを勤める。その後、作家を目指しフリーランスに。「旅」と「鉄道」をテーマに日本各地をはじめ、海外65ヵ国以上を取材してきた。現在は“歩く評伝作家”として、旅をしながら人物伝を書いている作家の芦原伸さんにお話をうかがった。

開高健さんに憧れ、肉体労働者を経て、週刊誌記者に。

—今年3月にご自身が作られた会社を勇退されたそうですが、今は何を?

芦原 一応、作家専業。基本的には評伝を書いています。今は『ラスト・カムイ』を執筆中。アイヌ木彫家の砂澤ビッキの物語です。抽象木彫なんですが、森に神を見るみたいな感じですごくいいんですよ。

 僕はたまたま札幌の大学に行っていたので、名前は知っていたんですが、なぜビッキを書こうと思ったかというと、2年前にカナダの、昔はクイーン・シャーロット・アイランドといったハイダ・グワイにハイダ族という少数民族の取材に行ったんです。そこはトーテムポールが有名で、世界遺産にもなっているんだけど、僕らの知っているトーテムポールとは全然違って、森の霊というか、先祖の魂というか、すごいと思ったんですよ。そして「日本人も来たよ、砂澤ビッキという木彫家だよ」という話を聞いて、突然、彼の名前を思い出した。彼は木彫家ですから、森を分かった人であり、巨樹の魂をえぐり出したような人なんですね。それで彼のことを書こうと決心したんです。ちょうど没後30年ということもありましたしね。

—北海道大学に行こうと思われたのは?

芦原 当時はロシア文学というか、北方思想みたいなものがインテリゲンチアの流行だったんですよ。五木寛之さんとか後藤明生さんとか作家もいて。それに当時北海道は外国みたいなところでしたから、知らない北の国へ行きたいという憧れがありました。

 ちょうどベトナム戦争の時で、いわゆる学園闘争のさなか。僕らロシア文学科なんて真っ赤なところで、定員7人なんだけど、みながどこかのリーダーをやっているような、就職するのが罪悪みたいな特殊なところでした。だから誰も就職しなくて、僕も東京へ出てきたのはいいけど、就職口がないからアルバイトですよ、ずっと。

—どんなことをされたんですか。

芦原 牛乳配達とか、市場の肉屋さんのアルバイトとか、ヒッピーやったりね。与論島へは半年行きましたよ、サトウキビ刈り。立松和平さんも行っていましたよ。彼は隣の沖永良部島かな。当時は肉体労働から革命が起こると本気で思っていたからね(笑)。

—肉体労働をやりながら作家を目指していたのですか。

芦原 僕はもともとドキュメンタリー作家になりたかったんです。開高健さんが好きだったから、ああいうアクション作家というか、行動派作家に憧れてね。それで週刊誌のデータ記者をやったんですよ。

 データ原稿というのは資料原稿のことで、アンカーがそれをまとめるんですが、取材してきた談話記事とか、図書館に行って調べる資料原稿なので、いくらでも書けるわけ。1週間で50枚、100枚なんてそんな難しくない。当時、データ原稿料は400字500円だったから、50枚書くと2万5千円、4週で10万円くらいになるんですよ。

 一流会社に勤めていた同級生の月給が5万円ぐらいだったから、悪くないでしょう。それに時間的にも組織的にも自由ですからね。いい時代でした。

廃刊してしまったいい雑誌を復刊させる敗者復活工場を作る。

—編集の仕事をするようになったのはどうしてですか。

芦原 アンカーの先生に「編集は覚えたほうがいいと」言われてね。当時は編集者が芥川賞を取るケースが多かったんですよ。ちょうどその頃、鉄道ジャーナル社という小さな出版社が「旅と鉄道」という雑誌を創刊するというので、人の紹介で入ったんです。そうしたら、いきなり副編集長のようなデスクをやらされて……。

 僕はずっと旅が好きで、鉄道の旅は僕のテーマでもあったんですが、「旅」と「鉄道」というのは合うようで合わなくて、どんどん「鉄道博士」みたいにされていくんですよ。僕は旅のほうを基軸として鉄道が好きなので、ちょっと違うなと。それで4年ぐらいでやめました。サラリーマンにも馴染めなかったしね(笑)。

—サラリーマンは向いていないと言いますが、編集プロダクションを立ち上げますよね。

芦原 編集プロダクションを作りたいと思って作ったわけじゃないんですよ。当時は雑誌が次々に創刊されて、出版社がどんどんプロダクションに依託するという雑誌量産時代だったんです。僕はもともとライターでしたが、編集もできたので、「特集ごと任せる」みたいになっていって、それを受けるには一人じゃ無理なわけです。そういう中で自然発生的に生まれたのがグループ・ルパンで、後の株式会社ルパンです。

 ただ、だんだん雑誌も売れなくなって、制作費もどんどん安くなって、プロダクションも限界になってきたんですよね。それで出版社をやろうと思って天夢人という会社を新たに起こしたんです。

—出版社ですか。

芦原 僕が創刊期に携わった「旅と鉄道」が、オーナー社長兼編集長が高齢となり、休刊しちゃったんです。だったら、僕にやらせてくれと。ただ、天夢人は販売の経験はないので、うちが版元になり朝日新聞出版に発売をしてもらって復刊させたんです。

 2冊目は「SINRA」。もともと新潮社の雑誌で、休刊して長らく経っていました。いい雑誌だったので「復刊させてくれ」と言ったら、「芦原がやるなら、いいよ」と。要するにうちで発行して、発売を新潮社にやってもらうという形です。僕は天夢人を、いい雑誌だったけどなくなってしまった雑誌を復刊させる復刊工場、敗者復活工場にしようと思ったんですよ。

—ちゃんと経営者をされているではありませんか。自由ではなかったのでは? 

芦原 トップというのはね、縛られないんですよ。縛られるのは、お金だけ。精神的には自由です。やりたいことができるんですからね。お金さえ回っていけば、けっこう楽しいですよ。

写真左:廃線となる前に訪れた北海道留萌本線の支線駅で  写真右:江戸時代の面影をそのまま残す日光の杉並み木で

果たして文明は正しかったのかと、世界をもう一回見直してみたい。

—編集者と経営者という二足の草鞋を脱いで、作家という草鞋一足になったわけですが、これからはどんな本を書きたいですか。

芦原 数えてみたら本を47冊も書いているんです。いわゆるガイドブックは除いてね。その中で本当に書きたくて本にしたものは少ないんですよ。

—ちなみにどの本ですか。

芦原 例えば、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲を追いかけた『へるん先生の汽車旅行〜小泉八雲、旅に暮らす』。これは楽しいというか、意義のあるものでした。評論家の保坂正康さんが書評で「歩く評伝作家が生まれた」って書いてくれたんですよ。

 その前に『鉄道おくのほそ道紀行〜週末芭蕉旅』で松尾芭蕉を書き、前作で『新にっぽん奥地紀行〜イザベラ・バードを鉄道でゆく〜』でイザベラ・バードを書き、今度は砂澤ビッキの『ラストカムイ』なので、旅をしながら、現場に立ち、その人の人生を追いかけて物語を書くという流儀にハマっています。

—今、興味を持たれているのはどんなことですか。

芦原 アイヌと関連するんですが、北方の少数民族。カナダの少数民族やイヌイット、それからシベリアのほうの人たちです。シャーマニズムというのは、北シベリア辺りがルーツで、卑弥呼の始祖を想像させます。

 僕はビッキを書いていて、さっき話したハイダ族は縄文系の人々だったのではないかと確信しました。

 時代的にもベーリング海峡が陸続きだったころと縄文時代はかぶっているんですよ。アメリカに入った古モンゴルの人たち、アメリカのインディアンが、氷河期が終わってから南下するんですが、平原に行くのと北西海岸に行くのと分かれるんですね。北西海岸の森と黒潮を求めた人たち、トーテムポールを作っている人たちこそが縄文系の人々ではなかったか。

 トーテムポールが一つのキーワードなんですが、諏訪の御柱、青森の三内丸山の塔、出雲大社といった日本の巨木文化と共通する、それこそが縄文の血が持っていったものではないかと思うんです。

—面白いですね!世界各地を旅してきて、思うことはどんなことですか。

芦原 この年になると世界をもう一回見直してみたいと思うんですね。果たして文明というのは正しかったのかとかね。

 ゾミア論ってご存知ですか? ゾミアと名付けられた東南アジアの山岳地域に暮らす人々の考察で、17の少数民族がいるんですが、彼らは文字を持たないんですね。しかし、彼らは文字が読めないということではなく、あえて持たなかったんです。だから文字を持たないことが遅れているとか、進んでいるということではないと、イエール大学のジェイムズ・C・スコット教授が説いていて、今けっこう支持されているんですよ。

 アイヌも文字を持ちません。その代わり、ハイダも同じですけど、ユーカラのような語りとか歌で文化を伝承したり、トーテムポールに彫って伝承してきました。そのほうがよっぽど豊かじゃないのか。文明というのは果たして幸せを作ってくれたのか。

 人間は、ある意味、自然を破壊して、それで幸せになってきたわけです。本当にそれでいいのか、と。改めて問い直してみる必要があると思っています。

(インタビュー/津久井 美智江)

情報をお寄せください

NEWS TOKYOでは、あなたの街のイベントや情報を募集しております。お気軽に編集部宛リリースをお送りください。皆様からの情報をお待ちしております。