トップインタビュー Vol.95
株式会社CSS技術開発 代表取締役 高城雄三さん
植木屋になるべく上京。入った会社が公園を専門に築造する造園の会社だった。公園づくりのおもしろさに目覚め、測量技術を身につける。世界初のポケコンで測量用ソフトを開発。このソフトを広く普及させるべく独立。会社を立ち上げたものの、ライバル会社に違法コピーされてしまった。大きな損害を受けたが、これをバネにさらなる技術向上を図り、造園測量から土木・堤防測量などの新規分野へ進出。業界トップクラスの会社に成長させた、株式会社CSS技術開発代表取締役高城雄三さんにお話をうかがった。
2015/11/20トップインタビュー Vol.94
三鷹市長 清原慶子さん
学生時代に三鷹市で計画づくりにおける「市民参加」を体験。自分の意見が基本計画に反映されたことから、自治体に対する信頼感を得た。以来、市民として、大学教員・研究者として三鷹市政に関わり、2003年4月30日に第6代三鷹市長に就任、今年の4月から4期目の任期をつとめている。市民本位のまちづくりのフロントランナーとして走り続ける三鷹市長、清原慶子さんにお話をうかがった。
2015/10/20トップインタビュー Vol.93
海の写真家 吉野雄輔さん
大学時代にダイビングに出会った。卒業後は海に潜りながら、世界中を放浪。水中写真家として活動を始めても、被写体を決めて効率的に撮ることはせず、偶然の出会いや発見を大事にしてきた。その感動が写真にも表れるのだろう。シャープでアーティスティックな写真は多くのファンをもつ。海と海の生物すべてを愛する海の写真家、吉野雄輔さんに海の魅力を語っていただいた。
2015/09/20トップインタビュー Vol.92
東京信用保証協会 理事長 村山寛司さん
1937年、当時の深刻な不況の中、中小企業の資金難を打開するため東京府と東京市により設立された『東京信用保証協会』。以来、信用保証事業を行う機関として、東京の中小企業者の資金調達を支えてきた。多様化するニーズに即して、信用保証制度は逐年、充実強化が図られている。中小企業を様々な側面から支え続けている東京信用保証協会理事長、村山寛司さんに、同協会の現在の取り組み、東京の中小企業の現状についてうかがった。
2015/08/20トップインタビュー Vol.91
株式会社イーアンドエフ 代表取締役 谷本俊雄さん
人に誘われ、いやいや始めたゴルフだった。しかし、10年後、20年後の事業を考えた時に行き着いたのはゴルフ関係の仕事。軌道に乗っていた書籍販売の会社を売却し、月1ゴルファーから、クラブ開発者へと転身した。基礎研究から実に9年の歳月をかけて完成させた“飛ぶ”ドライバーは口コミで人気が広まり、今や「本当に飛んで曲がらない」と競技ゴルファーから一般アベレージゴルファーまで大人気。そのリョーマゴルフ開発者である株式会社イーアンドエフ代表取締役、谷本俊雄さんにお話をうかがった。
2015/07/20トップインタビュー Vol.90
ピアニスト 室井摩耶子さん
6歳の6月6日にピアノをはじめた。自然の流れのままにピアニストへ。若くして才能を認められ、長らくドイツを拠点に演奏活動を重ねた。音楽の成長には人間の成長が大事だと思い知らされ帰国。“音楽は音で書いた詩であり戯曲。そこには音楽文法がある”と熱く語る94歳の現役ピアニスト、室井摩耶子さんにお話をうかがった。
2015/06/20トップインタビュー Vol.89
八面六臂株式会社 代表取締役 松田雅也さん
京都大学法学部を卒業し、UFJ銀行現三菱東京UFJ銀行)に入行した。いわゆるエリートコースに乗ったわけだが、わずか1年半で退職。独立系ベンチャーキャピタルへの転職、起業と失敗を経て、総合物流ホールディングスのIT事業立ち上げに実務責任者として関わり、物流×ITプロジェクトを成功させた。このプロジェクトを水産業に応用したのが、ECサービス「八面六臂TM」。新たな起業から5年。飛躍的な伸びをみせている八面六臂株式会社代表取締役の松田雅也さんにお話を伺った。
2015/05/20トップインタビュー Vol.88
有限会社リーファース 代表取締役 水野 葉子さん
大学卒業後、アメリカのミネソタ州立大学院に留学。日本語講師の傍ら通訳を引き受けたことで、様々な著名人と出会う。そんな出会いの一つがオーガニックの世界へとつながっていった。1995年、日本人として初めて米国のIOIA国際オーガニック検査員協会)のオーガニック検査員資格を取得。以来、オーガニックの普及に努める。生産者にとってはチアリーダーであり、消費者にとってはメッセンジャーでありたいという有限会社リーファース代表取締役 水野葉子さんにお話をうかがった。
2015/04/20トップインタビュー Vol.87
公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長 日本パラリンピック委員会会長 鳥原光憲さん
古豪として知られる小石川高校への進学を機にサッカーに挑む。大学、そして東京ガスに入社した後も現役選手を続け、仕事と練習を掛け持ちする日々を送った。引退後は監督、そしてサッカー部長を務め、東京初のJリーグチーム、FC東京設立に奔走。本業のガス事業でもその行動力と求心力は遺憾なく発揮され、社長にまで上り詰めた。公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長、日本パラリンピック委員会会長の鳥原光憲さんにお話をうかがった。
2015/03/20