トップインタビュー Vol.86
東京トヨペット株式会社 代表取締役社長 古谷 俊男さん
自動車メーカーの役員から、ディーラーのトップに転身。5年後、10年後の環境変化を見据え体制と仕組みを再構築、「夢のある東京トヨペット」づくりに邁進する。その背景と狙いを、東京トヨペット株式会社代表取締役社長、古谷俊男さんにうかがった。
2015/02/20トップインタビュー Vol.85
能楽師一噌流笛方 藤田 次郎さん
能楽笛方では初の人間国宝となる藤田大五郎の次男として生を受けるも、笛をはじめたのは高校卒業後。大学受験に失敗したことがきっかけだった。1年間の猛特訓の末、東京藝術大学に進学。父親のネームバリューもあり、多くの素晴らしい師より稽古を受ける。以来、笛一筋で能を支えてきた一噌流笛方藤田次郎さんにお話をうかがった。
2015/01/20トップインタビュー Vol.84
写真家、エッセイスト 小谷 明さん
高校時代に山登りに興味を持ち、当然のこととしてスキーを始めた。山岳写真家はいてもスキーの写真家は珍しく、大学山岳部時代に撮った写真が雑誌に掲載、成り行きで写真家の道へ。1970年には、エベレストを滑降する三浦雄一郎氏を撮影、世界に衝撃を与えた。「自然と人間の関わり合い」をテーマに写真を撮り、エッセイを書き、そして絵を描き続ける小谷明さんにお話をうかがった。
2014/12/20トップインタビュー Vol.83
公益社団法人東京都医師会 会長 尾﨑 治夫さん
通年議会の必要性、地方法人課税の暫定措置の撤廃、そして何より東京2020年オリンピック・パラリンピックなど、様々な課題を抱える東京都議会にあって、前議長の突然の辞任により今年10月、議長に就任した?島直樹さん。どのように議会を運営していくのかうかがった。
2014/11/20トップインタビュー Vol.82
杉山スキー&スノースポーツスクール 代表 杉山 進さん
長野県野沢温泉村に生れ、物心がつく頃よりスキーに親しみ、アルペンスキー選手として1956年、猪谷千春氏とともに第7回冬季オリンピックイタリアのコルチナ・ダンペッツオ)に出場。選手生活引退後は、オーストリアに留学。日本人として初めてオーストリア国家検定スキー教師の資格を取得し、スキーは“自然との対話”であるとのポリシーを持って、多様なスノースポーツの指導と発展に情熱を注ぐ。今年50周年を迎えた杉山スキー&スノースポーツスクール代表、杉山 進さんにお話をうかがった。
2014/10/20トップインタビュー Vol.81
公益財団法人JAA人間力育成協会 会長/学校法人日本航空学園 理事長 梅沢重雄
就職率100%。毎年、卒業生の数を上回る求人がある学校がある。それだけ社会で評価される人材を育てているのは、働くことの意味、責任感、表現力?つまり、人間力を向上させる教育。40年以上教育に携わり、NGOのボランティア活動や会社経営など、様々な経験を経て心の器が大きくなったと話す学校法人日本航空学園理事長、梅沢重雄さんにお話をうかがった。
2014/09/19トップインタビュー Vol.80
書家 中嶋宏行
子どもの習い事として書道を始めた。字を書くことが好きだった。大学院を修了後、専攻した都市計画の仕事に就いた。ある時、趣味の延長で個展を開催。形になるまでに何年、何十年とかかる上に、多くの人の合意が求められる世界とは真逆の、自分だけでつくったものが評価される喜びを知った。イタリア・ローマでの展覧会を機に、書家としての活動を開始。書の新しい世界を求めて日々もがき続けている。奥深い書の世界を書家の中嶋宏行さんにうかがった。
2014/08/20トップインタビュー Vol.79
公益社団法人東京都医師会 会長 野中博
父親の病院を継ぐために、大学病院を辞めて浅草に戻った。求められるままに往診を行い、地域医療のあり方に疑問をもつ。その言葉もない頃から在宅医療に携わり、地域で患者さんをケアすることの大切さを訴え続けてきた。2025年に向けて地域包括ケアシステムの構築が叫ばれる今、改めて地域での医療や介護を見つめ直している東京都医師会会長、野中博さんにお話をうかがった。
2014/07/18トップインタビュー Vol.78
新宿区長 中山弘子
2002年、人生は急転、東京都庁を退職。新宿区長選に出馬することになった。都庁入庁以来、“女性初”は付いて回ったが、はたして女性初の区長となった。区長に就任してからは、「歌舞伎町ルネッサンス」を推進し、歌舞伎町のイメージをプラスに変えた。そして今、強くアピールしているのが「夏目漱石の記念施設」の整備。その土地の遺伝子を活かしたまちづくりが大切と話す新宿区長、中山弘子さんにお話をうかがった。
2014/06/20トップインタビュー Vol.77
伝統工芸士 朝香元晴
色気づく前の16歳、高校を2年で中退し、京都に木版画の修業に行こうと決めた。初めは創作版画を目指すも、歌麿に出合い、日本一の彫り師になろうと決意。シャープな線、きれいな線を忠実に再現するその卓越した技術は、後進の技術者にも多大な影響を与えている。自らを「職人です」ときっぱり言い切る伝統工芸士、朝香元晴さんに浮世絵の話をうかがった。
2014/05/20