HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.14 東芝社友 新型インフルエンザ対策協議会理事長 新田勇さん 
インタビュー
2009年2月20日号
新田勇さん

事件の現場を見、被害者やその家族から話を聞いた。
その経験が私の人生を豊かにしてくれました。

株式会社東芝社友
一般社団法人新型インフルエンザ対策協議会理事長

新田 勇さん

 警察庁に入庁し、刑事等として歴史に残る大事件にも当たった。一方で、駐アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、防衛庁長官官房審議官、特命全権大使(スリ・ランカ国駐在)等を歴任。今でも東芝社友として、日本と海外との橋渡しにも関与している。今般、新型インフルエンザ対策協議会の理事長に就任した新田勇さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

腹をくくって事に向かうことが
人生に1度はある

―警察庁に入られたのはなぜですか。正義感が強かったとか?

新田  日本国中を歩いてみたいと思っていたんです。警察庁に幹部採用されると、いろんなところへ出されるのでね。ところが不運なことに、警察庁に2回、大阪府警に3回、富山県警に1回だけ。北海道、九州、四国、どこにも行けなかった。

 それから、友だちの親父が警察庁の長官だったことも理由の一つです。よく酒を飲ませてもらったり、泊めてもらったりしていたんですが、彼のお母さんが警察庁を勧めてくれましてね。実は、商社に行きたいと思っておりまして、三菱商事を紹介していただき、採ってくれそうな雰囲気だったんです。でも、商事に行くなら「お願いします」と自分から行かなきゃいけない。警察のほうは「来ないか」と言ってくれたので、警察に。正義感もへったくれもないんです(笑)。

―歴史に残るような事件にたくさん関わっていらっしゃいますが、刑事としてのスタートはどちらですか。

新田  最初に配属されたのは渋谷警察署です。その頃の渋谷には、安藤組とテキヤ上がりの竹田組というのがあって、しょっちゅうドンパチやっていた。刑事というのは2日にいっぺんくらい当直があるんですが、私が泊まっているときに限って起こるんです(笑)。

 それで、われわれの言葉でいう極道の生活と意見に関心をもちまして、大阪府警に行った際には、あそこは山口組ですから、しっかり勉強しました

―大阪府警刑事部長のときに三菱銀行北畠事件が起こった。

新田  梅川昭美という男が、猟銃を持って銀行に押し入り、客と行員30人以上を人質にとって立てこもった事件です。彼は、駆けつけた警察官を2人殺し、支店長を殺し、連絡しようとした行員を殺して、関係者を裸にして、盾代わりに自分の周りに並ばせた。

 本部長はたくさんの事件を扱ってきた吉田六郎さんで、間もなく定年退官する予定だったんですね。事件発生当時は担当の捜査一課長は出張中で、現場指揮官として現地に立った私は、腹をくくりました、「俺がやる」と。人質に、さらに一人でも負傷者が出たら、警察を辞める覚悟でした。

 最終的に犯人を狙撃することで解決したんですが、「なぜ打つ前に報告しないんだ」と、官邸筋から警察庁にバンバン連絡がきたそうです。

―人質全員が殺される可能性もあったわけですよね。連絡をして、その返事を待つ余裕なんてあるはずがない。

新田 人間はふっと気を抜く瞬間があるんですね。その一瞬がチャンス。SAT(特殊急襲部隊)の前身である大阪府警察本部第二機動隊の、射撃の上手な隊員を集めて配置し、それとは別に見張りを立てて無線で連絡を取り合いました。「今だ」と連絡がきたら、狙撃の班長が班員の肩をポンと叩く。そして一斉に撃つ。予行演習をしてみたら2秒あればできるということが分かったんです。

 なぜそんなに自信があったかというと、アメリカにいたときに国際警察庁協会というところが主催する人質事件のセミナーに出たことがあるからです。私はそのセミナーに出た唯一の日本人であり、人質事件について一番知っているのは自分だという心の拠りどころがあった。難しいのは担当をはずされる人間がいることです。これはかなりしっかりした信頼関係と意思の疎通ができていないとできないことでした。

アメリカ滞在で
民主主義の姿を学んだ

―それにしてもいろいろな経歴をお持ちですね。

新田  警察庁から最初に行ったのは大蔵省主計局で、担当は運輸国鉄係でした。次に行ったのが外務省。駐アメリカ合衆国日本国大使館の一等書記官として、日本のインテリジェンス・コミュニティ(情報機関)のリエゾン・オフィサー(連絡官)を勤めました。

 とにかく忙しかったのは、ニクソンが再選された大統領選のとき。民主党と共和党のディベートの中で、日米関係をどう取り上げているかをレポートするんですが、アメリカの選挙制度は難しくて、かなり勉強しなくちゃいけない。

 選挙が終わったとき、アメリカ人の友人に「それだけアメリカの選挙制度を知っているなら、おまえ大学で講義ができる」と言われましたよ(笑)。民主主義とはどういうものかを勉強する本当にいい機会でした。

 そして、日本に帰ってから大阪府警に行き、先ほどお話した立てこもり事件に遭遇するわけです。その後、赴任したのは富山県警ですが、そこでも大きな事件がありましてね。赤いスポーツカーに乗った男女による連続誘拐殺人事件です。女は有罪、死刑。男は無罪―。いささか苦い思い出です。

 それから防衛庁へ2年。昭和58年の防衛白書を書く機会に恵まれ、日本へ油を運ぶシーレーン防衛は、日本の防衛の守備範囲だからできるという論を書いて、日本が防衛できる範囲を少し広げたんです。

 あまり知られていませんが、日本の自衛隊と中国の人民解放軍の制服組レベルの交流第一号でもあります。中国という国は、日本、アメリカ、ソ連、みんな敵であり味方なんですね。日本と仲良くしておけばソ連との対抗上もいいし、アメリカとも関係できるとなると、案外手を結ぶ。外交交渉のあり方について学びましたね。

 そして、もう一度外務省に行って、スリ・ランカ駐在の特命全権大使を拝命し、経済援助や民族間紛争など貴重な体験をし、それを最後に退官しました。

経験を生かし、海外支援や
新型インフルエンザ対策に貢献

―退官後、東芝に入られたのは?

新田  私は親父が技術者だったので、その影響もあって物づくりは世の中にとって大事だと話していたんです。それを東芝の偉い人が覚えていて、呼んでくださった。

 経済を発展させ、治安を良くするために必要なのは電力ですが、途上国は発電所を1カ所に作って全国に供給するのが難しいケースが多いんですね。たとえばシーレーン防衛途上の重要な国であるインドネシアは、多くの島から成る国なので、小さくてもいいから各島につくりたい。そこで、小型で安全で効率のいい原子炉を開発していた日本の企業の技術が注目されたわけです。原子力発電で難しいのは燃料の交換ですが、日本は燃料が切れたら引き取る。その代わりいったんつくったら20年は使えるものをつくる。こういう発想で開発するのが日本なんですよ。

―日本が外国を支援するに当たっては、お金だけでなく人間も出さなければならないという意見があります。その中に文民警察がありますが、どんな活動をしているのですか。

新田  日本の文民警察が関与したのはカンボジアですが、そこで日本の警察官が死んでしまった。被弾しても助けも来ないような、自衛官だって行かないところに警察官は行かせませんよ。結局、文民警察を出すことによって日本の警察組織が崩壊する可能性を考えるというところまできてしまった。

 そこで、派遣先に政治的に中立で人権に配慮した活動をする警察組織をつくる仕事に携わることにした。私が最初に関与したのはシンガポールに交番をつくる仕事です。

―日本語の「コウバン」と言うんですよね。

新田  そうです。今ではインドネシアでも受け入れられていると聞いています。

 こういうやり方であれば、文民警察を出すことは可能でしょう。しかし、警察は軍隊と違って法律に則って行動するのが仕事ですから、なかなか難しい。同じ犯罪でも国や宗教によって刑罰は異なりますし、犯罪の認識自体も違いますから。

 国際法がきちんとできれば、日本ももう少し活動しやすくなるんでしょうけれど、それもなかなか難しい。

―国の至らなさや政治の世間知らずにジレンマを感じたことはたくさんあったのでしょうね。ところでこの度、一般社団法人新型インフルエンザ対策協議会の理事長に就かれたそうですが。

新田 もともとGBR(ガス・バクテリア・ラディエーション)が兵器に使われるということに関心を持っていました。ABC(アトミック・バイオ・ケミカル)とも言いますが、東芝のRDC(リサーチ・アンド・ディベロップメント・センター)で、それらをいち早く察知し、探知する研究をしていたんです。その成果が出て商品として販売する動きになり、私のところに相談があったところに、理事長のお話をいただいた。

 兵器ではありませんが、感染すると多くの人が死亡するという点では同じです。

―新型インフルエンザの脅威については本紙でも特集しました。

新田 新型インフルエンザのパンデミック(大流行)は、近い将来発生すると考えられます。そんなパンデミックの日に備えて、国でもさまざまな施策を講じていますが、もっと民間レベル、それこそ市民レベルでもできることがあるのではないかと、理事長をお引き受けした次第です。

―新田さんのさまざまな経験をぜひ生かしてほしいと思います。

新田 新型インフルエンザを抑制する効果が期待されるタミフルやリレンザといった抗インフルエンザ剤も、り患した人の血液から作られる“プレパンデミック・ワクチン”も、すべての国民に行き渡る備蓄は成されていません。そこで“知識のワクチン”とも呼ぶべきブックレットを作成して、できるだけ多くの方々に正しい知識を身に付けていただき、発生したら2カ月といわれる外出禁止期間をどうやって過ごすか、そのための備蓄はどうあるべきかを啓蒙していきたいと思っています。

スリ・ランカ国独立記念日の式典風景

上/スリ・ランカ国独立記念日の式典。前列右から2人目が新田氏。4人目が明石康元国連事務次長、6人目が野呂田芳成日本スリ・ランカ友好議員連盟会長

日印協会のパーティでスピーチする新田氏

上/日印協会のパーティでスピーチする新田氏。右は日印協会会長・森喜朗元首相、右から2人目は榎泰邦前駐印大使

3人のお子さんたちと一緒に

上/休みを利用してスリ・ランカの大使公邸を訪れた3人のお子さんたちと一緒に


新田勇さん

撮影/赤羽 真也

<プロフィール>

1934年、東京生まれ。57年3月、東京大学法学部卒業。同年4月、警察庁採用。大蔵省主計局、駐アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、富山県警察本部長、防衛庁長官官房審議官、警察庁保安部長、警察庁官房長、警察庁警備局長、大阪府警察本部長、特命全権大使(スリ・ランカ国駐在)、日印経済委員会常設委員会委員長などを経て、現在株式会社東芝社友、一般社団法人新型インフルエンザ対策協議会理事長。

 

 

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