HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.43 写真家、文筆家、画家 西川 治さん
インタビュー
2011年7月20日号

 

写真家、文筆家、画家 西川 治さん

自分にとって大切な魂の軌跡は心の中に残っている

写真家、文筆家、画家

西川 治さん

 写真家、文筆家、画家としてのみならず、料理人としてもテレビ、雑誌、コマーシャルなどのマスメディアでユニークな視点から各種料理を紹介し続けている西川治さん。その時々にやりたいことをやり続けた結果、すべてがつながっていたと話す、その生き方の基本にあるのは?

(インタビュー/津久井美智江)

絵を描くことはアクション
発散できるから楽しい

―写真家としてだけでなく、文筆家、画家としてもご活躍ですが、やってて楽しいのは何ですか。

西川 絵かな。文章っていうのは集中して、脳みその中にどんどん自分を追い込んでいくから、書き終わっても脳みその中に何か残っている。そういう状態が続いてると、落ち込むというか、人と話したくもなくなるんだよね。
 もちろん絵を描いている時も集中しますけど、ある意味では途中でもふんぎれる。でも文章は途中だったら、どうしてもその続きを考えちゃうでしょう。絵っていうのはアクション・ペインティングというのがあるように、アクションなんだね。「わぁ、終わった」という感じで発散できる。

サハラ砂漠の朝。山羊が放牧され、枯れ草を食べにでかけるのを撮影。 昼間の気温50度、朝はまだ1、2度でブルブル

―絵は50歳から始めたということですが、きっかけは?

西川 20年くらい前、子どもがまだ小さかった頃の夏休みに那須の家に行ったんです。その年は雨が多かったのかな、外に出られなくて退屈してたんですね。その時、たまたま写真の小道具として使ったカンバスと絵の具があって、子どもと一緒に絵を描いてみたら面白かった! 2、3日後には事務所の男の子に電話して、カンバスと絵の具を買ってきてくれと頼んでいました。だから、本当に偶然。雨が降ってなかったら、カンバスや絵の具がなかったら、まず絵の分野はなかったですね。

―たまたま電子ピアノとかがあったらそっちの世界に行っていたかも?

西川 音楽を聴くのは好きだけど、演奏するのは苦手ですね。やっぱり写真をやっていたので、絵のほうがとっつきやすかったんでしょう。写真と絵はまったく別なものだけど、ある部分では血縁関係ですからね。
 ある画家の方から「西川さんは構図が身についているね」と言われて、なるほどと思いました。写真を撮る時はひとつのレンズを通してじっと見て、その中で構図を考え、撮ったらどうなるかということを計算しますから、無意識のうちに身についていたんでしょうね。だから、カンバスの空間とフィルムの空間はほとんど同じ。いきなり絵の世界にいってたらまた違った絵になっていたでしょう。

―実物は見ないで描くとか。

西川 ほとんど見ないね。見て描くと、どうしてもものに引きずられるというか、似せて描こうとしてしまうでしょう。例えば、カバンが目の前にあれば、そのしわとかいろんなものが目に入りますから、描いちゃいますよね。だけど自分の中のイメージでカバンを描けば、そのほうがカバンらしいことがある。
 リアリズムに徹した写真よりもリアリスティックな絵を描く人もいますが、中途半端なリアリズムだったら、実物のほうが美しいし、実物より美しいのは、実物を超えるか、その手前のどっちかだと思います。

―息子さんの絵や自画像はけっこう描かれていますが、奥様は描かないんですか。

西川 絵を描き始めた頃1、2枚描いたけど、40年も一緒にいると面と向かうこと自体が恥ずかしいからね。

―自分の中のイメージで描くのですから、面と向かって描くわけではありませんでしょう。

西川 絵を描いている時はものすごく面と向かっているんだよ(笑)。

オーストラリアに半年いて理屈っぽくなくなった

―早稲田の文学部をやめて、写真の道に進まれたのは何故ですか。

コモ湖のホテルの中庭で。イタリアのチーズを集め、さて、どう撮ろうかと思案中

西川 授業がぜんぜん面白くなくなったの。今思えは最初は何だって面白くないのは当たり前。つまらない授業でも深く入っていけば、自分から面白くできるはずなんだよね。
 でも、当時は生意気だからさ。酒ばっかり飲んで、小難しい議論をしたりして、遊びほうけてた。卒業できそうにないし、どうしようと思っていたら、週刊誌ブームがあったり、広告写真とか仕事の間口も広がって、カメラマンが必要になってきたんです。

―写真との接点はあったのですか。

西川 高校の頃ちょっと写真をやっていて、賞を取ったりしてたんです。写真家になるつもりはなかったけど、大学に入ってカメラを買ってもらってボックスをのぞいていると、実に楽しいし美しいんだ。フィルムを入れなくてものぞいてたくらいで、それで写真の道に進もうと、1年くらいスタジオに入ってライティングとかを勉強しました。
 その後すぐにフリーの写真家の名刺を作って、それなりの仕事がくるようになりました。その頃はカメラマンのギャラはものすごく良くて、サラリーマンの給料が2、3万円なのに、いきなり20数万もらいました。それで3年目くらいにオーストラリアに行ったのかな。

―オーストラリアを選んだ理由は?

西川 ヨットの写真を撮ろうと思ったんですよね。僕はね、クリスマスの前後って昔から嫌なことばっかりあるんですよ。冬の12月、憂鬱で憂鬱で、オーストラリアみたいな明るいところに行きたいなぁと思ったんです。

―何か変わりましたか。

西川 半年くらいいて理屈っぽくなくなりました(笑)。
 週末になると、カメラを何十㎏も担いでハーバーからハーバーまで移動するわけですよ。オーストラリアはとにかく広いんでバスに乗るか歩くか。朝の暗いうちから、新宿から東京に行くくらいの距離は当たり前のように歩きましたね。とにかく体力勝負、ずうずうしくやっていくしかないと考えるようになりました。その時に出したのが「帆―sail―」という本で、今の石原都知事に序文を書いていただきました。

―ヨットからスタートして、ファッション、子ども、そして料理の写真へと移っていきますね。

西川 オーストラリアからの帰りにトランジットで香港に寄ったんですが、無味乾燥な西洋料理を食べ続けた後でしょう。中国料理が本当においしくて、カメラも売り飛ばして1週間食べ続けました。それが料理に興味を持つきっかけかな(笑)
 日本というのは面白いもので、子どもの写真を撮ると子ども写真家、料理の写真を撮るようになると料理写真家と、すぐに決めつけたがる。だけど、その時には、子ども写真家になろうとか、料理写真家になろうとは考えてません。網だけはあちこちに仕掛けておくけど、後で引き上げてみたら魚がいたということですよ。
 今考えれば、若い頃はその時々にやりたいことをやっているように見えても、ある時期がくると、つながってくるということだね。だから、若い時は自分がやりたいことをやればいい。失敗っていうことはないんだよ。むちゃくちゃな旅行をしていても、そこから何か得ることはあるし、必ず自分の身になっているはずなんだ。

ものを半分捨てると死んだものが生き返る

―引越しをされたばかりということですが。

西川 十数年いて部屋が汚くなってきたのと、それにいろいろ捨てたかったから。引越しでもしないと、なかなか捨てられないでしょう。思い切って引っ越して、気分も変わってよかったです。

モロッコで、歯磨きペーストのような甘い甘いミント・ティーと甘い甘いお菓子を…

―何を捨てたんですか。

西川 紙類。資料とか昔の写真とか。終わったらその時に捨てればいいんだけど、ひょっとしたらと思ってとっておくことがよくあるんです。その時は確かに大事だけど、今見るとただのごみ。ものを半分捨てるとすっきりして、死んだものが生き返るよね。
 だから、3月11日の大地震ですごく揺れた時、この食器がみんな壊れたらよかったと思ったくらい。地震なら諦めがつくもん。

―今回の大震災では津波ですべてのものが流され、改めて形あるものの儚さを知らされました。

西川 被災された方は大切なものをたくさんなくされたと思うけど、でも、後で考えたら大したものじゃないかもしれないですよ、僕の資料みたいにね。
 もしも自分にとってものすごく大事な魂の軌跡みたいなものがあるとするならば、それは心の中に残っているはずなんです。ただ、それは自分の心の中だけのものだから、人に見せることはできない。形があれば人に見せることができるという意味で、ものの存在価値があるということじゃないかな。

―より強く自分の心の中に残ったものがあるとするなら、ものはなくても、語ることによってもっと強く相手に伝わるような気もします。

西川 やっぱり話してきかせるということは、心に伝わると思うね。
 僕は満州生まれで、戦後7歳で引き上げてきたんです。1年くらい逃げ惑いながら、命からがら日本へ帰ってきた。酷寒の地で、食べるものもなく、途中で妹2人を亡くしました。親戚の叔母さんとかもね。本当に泣きたかったですよ。
 被災地の人たちは本当に気の毒だと思うけど、原発の事故はひどいけど、津波はしょうがないよね。それは運命というか宿命としてしか受け止めようがない。僕だってたまたま満州で生まれたばっかりに大変な思いをしたし、東京にいたって空襲があったわけで、たまたま東北地方の沿岸部にいた。それを恨んでもしょうがない。人間なんて不条理の中で生きているんだよ。

―まったくそのとおりですね。
 最後に世界中いろんな所に行かれて、一番好きな料理は何ですか。

西川 やっぱりその土地で、その土地の人が作った料理が一番おいしいと思う。だって、その土地の人が何千年何万年て生き延びて、繁栄しているということは、その土地の最上のものを選択してきたからでしょう。だから、日本のイタリア料理は確かにうまいけど、やっぱりイタリアで食ったほうが絶対においしいよ(笑)

 


写真家、文筆家、画家 西川 治さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
西川 治(にしかわ おさむ)さん
1940年、満州生まれ。早稲田大学中退。写真家、文筆家、画家として活躍しながら、料理研究家としても60冊以上の著作がある。主な著書は『PASTA パスタ』、『快楽的男の食卓』、『快食快汗』『世界ぐるっと朝食紀行』『世界ぐるっとほろ酔い紀行』『世界ぐるっと肉食紀行』、写真集に『見つめる犬』『miao』など。富士フィルムカレンダー撮影20数年間継続。日本経済新聞で「フードは語る」を連載。TBSハイビジョン「芸術家の食卓」、NHK「男の食菜」に一年間、「ジャンコクトーへの旅」等に出演

 

 

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