HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.44 特定非営利活動法人 日本防災士機構 理事長 宮川 知雄さん
インタビュー
2011年8月20日号

 

特定非営利活動法人 日本防災士機構 理事長 宮川 知雄さん

自分の身を守れてこそ、家族を守ることができる。

特定非営利活動法人 日本防災士機構 理事長 

宮川 知雄さん

 地震・火山噴火・台風……。世界の中でも飛びぬけて自然災害の多い日本。大災害の発生が避けられない以上、災害に立ち向かうためには、国民の一人ひとりがわが事として、自分の命は自分で守る、地域は地域で守る、職域は職域で守るという意識が重要だ。被災現場で実際の役に立つ知識と技術を身につけた「防災士」を育成することで、日本の防災力を高める一端を担っている日本防災士機構理事長、宮川知雄さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井美智江)

災害による被害を少しでも減らす防災士の役割とは―

―お恥ずかしいのですが、今回初めて「防災士」の存在を知りました。防災士制度とはどのような制度なのでしょうか。

宮川 私たちが国民運動として推進しております防災士制度は、「自分の身は自分で守る」ことを第一義に、自分の身を守った上で、「家族を守り」、そして近隣の人たちと手を携えて、地域や職場で実効的な災害対応をとることができる防災士を育成することを目的とした制度です。
 自分の身は自分で守る、つまり“自助”というのは、私ども日本防災士機構だけではなく、防災関係者の合言葉なんですね。なぜか。自己を助け、家族を助け、余力があったら周囲の人を助ける、これを「共助」といいますが、そのためにはまず「自分が死なない、気絶しない」ことなんです。「自分だけ助かればいい」と勘違いしている人もいるようですが、自分だけ助かって、家族をおいて逃げる人なんていませんよ。

平成23年度、日本防災士会総会でスピーチをする宮川さん

平成23年度、日本防災士会総会でスピーチをする宮川さん

―東日本大震災では、津波が来たら、肉親に構わず、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろという意味の「津波てんでんこ」という言葉がクローズアップされました。まずは自分の身を守ることが本当に重要なのですね

宮川 災害が発生した場合、その被害の規模が大きければ大きいほど、警察、消防、自衛隊といった公的な機関が機能を発揮するまで時間がかかるんですね。概ね3日といわれていますが、ではその間、どうするのか。
 阪神・淡路大震災や今般の大震災の経験に照らしても、巨大災害による被害は行政の初期対応能力をはるかに超えています。
 特に被災直後には、隣人同士が助け合って、お互いの生命を守っていくことがとても大切なんですね。
 そこで、各自の家族はもちろん、地域や職場の人々の生命や財産に関わる被害が少しでも軽減されるよう、被災現場で実際に役に立つ活動を行なうのが防災士なんです。

―いざという時に、十分な知識と技能を持った防災士がリーダーシップを発揮してくれると心強いでしょうね。

宮川 そうですね。防災士は、さらに各自の所属する地域や団体・企業の要請を受けて、避難、救助、避難所の運営などにあたり、地域自治体等の公的な組織やボランティアの人たちと協働して活動するという大きな役割も担っています。
 また、平時には防災意識の啓発にあたるほか、大災害に備えた互助・協働活動の訓練や、防災と減災および救助等の技術練磨などに取り組んでいます。求められれば、地域や職場などでは防災計画の立案等にも参画しています。

―地域のコミュニティが見直されていますが、その中心に防災士が必ずいるようになると防災に対する意識も高まるでしょうね。

宮川 今こそ被災現場で実際の役に立つ、一定の知識と技術を身につけた防災士を育成していくことが重要であり、期待されていると考えております。

日本は世界でも稀に見る災害列島
 だからこそ防災教育が必要

―このたびの大震災ではどのような活動をされたのですか。

床下の泥を出したり、水で泥を洗い流して家屋の復旧を支援する防災士

床下の泥を出したり、水で泥を洗い流して家屋の復旧を支援する防災士

床下の泥を出したり、水で泥を洗い流して家屋の復旧を支援

宮川 防災士の有志の集まりである日本防災士会とともに、被災地支援活動のための合同対策本部を立ち上げ、これまでに180名を超す防災士が、4次にわたって被災地へ赴き、ボランティア活動を行いました。
 特に高齢と人手不足のために手が回らず、津波被害の汚泥と悪臭により住居を放棄しようかと思案にくれ困窮されている方々の家屋とその周辺環境の復旧作業に従事し、被災者から感謝の言葉をたくさんいただきました。
 また、第1次ボランティア活動の帰路では、被災地ボランティアの一環として、漁港で集団で買物をしたところ、閑散を極めていた魚市場では「被災後初めて大型バスで買物に来てくれた。これからもきっと来てくれるに違いない。希望が持てた」と大歓迎を受けたそうです。

―そもそもこの機構が設立されることになったきっかけは、阪神・淡路大震災だったそうですね。

宮川 日本は、災害列島といわれるくらい世界の中でも飛びぬけて自然災害が多いんですね。地震・火山噴火・台風等によって生じる人的、物的損害も計り知れません。
 こうした大災害の発生がこれからも避けられない以上、災害に立ち向かうためにはさまざまな努力が必要です。防波堤やダム、堤防を整備することはもちろん大切ですが、いくらハード面を整備しても、自然災害による被害を完全になくすことは不可能です。
 しかし、やりようによっては被害を減らすことができるのではないか、特に人命の損害は減らせるのではないか、という観点から防災を考えた時、「防災教育の必要性」に行き着いたのです。
 というのは、日本人が特にそうなのかもしれませんが、自然災害に対して柔軟というか、すぐ忘れちゃう。結局、防災対策は「風化対策」でもあるんですね。

―「天災は忘れた頃にやってくる」という寺田寅彦の言葉ではありませんが、阪神・淡路大震災ですらかなり風化していますからね。

宮川 ですから、平時から自然災害について関心を持ってもらうために教育に力を入れてほしいんです。

―それで防災士という資格を作って、防災意識を高めようということなのですね。

宮川 国民の底辺まで防災の意識を高めることが目的なので、防災士になったからといって、それでご飯が食べられるということではありませんし、民間資格ですから特別の権限や義務を持つものでもありません。
 しかし、防災士として防災に関する一定レベルの知識と技術とインセンティブを持って、減災と防災に実効ある大きな役割を果たして活躍することで、地域や職場において価値ある存在として高い評価と期待が持たれるようになってきています。

 

人の命を救うには、防災に対する基本知識を徹底的に叩き込む

―特にどういう人たちに防災の教育が必要なのでしょうか。

宮川 例えば学校の先生です。先生は生徒の命を守るためにも、防災に関する適切な実践力を備える必要がありますし、いざという時、現に学校が避難所になっていますからね。
 残念な例をあげますと、今回の大震災で先生と生徒7割が亡くなった小学校がありましたね。かなり問題になりましたが、「津波が来るから逃げて」という連絡が入ってから、校庭に生徒を並ばせ、その後で教師の間で避難場所について議論などをしたために、避難するのが遅れたんだそうですね。

海岸沿いに残る流木等を撤去する防災士

海岸沿いに残る流木等を撤去する

―考えられませんね。津波が来るまでに30分くらいはあったのですから、小学1年生だって20分も山のほうへ走れば助かっていたはずですよね。

宮川 この小学校のケースは、運が悪かったというしかありませんが、災害教育が徹底していれば相当な数の方が助かったと思うと、悔やまれてなりません。
 しかも、三陸は明治29年に2万2千人も亡くなった大きな津波に見舞われていて、「此処より下に家を建てるな」という石碑があったというのでしょう。いかに常日頃から教育し、伝えていくことが大事かということです。
 もう一つ例をあげますと、3年前の夏のたいへん暑い日、六甲山の上のほうで見かけない黒い雲が出て、ピカピカ光ってゴロゴロいうのが聞こえる中、若い保育士さんが園児を連れて親水公園で遊んでいたんだそうです。すると突然、大粒の雨が降ってきたので、雨宿りをしようと、都賀川にかかっている橋の下へ避難したというんですね。大勢のお子さんが流されましたが、これもどうなっているのかと思いました。わずか15mくらいの川幅ですよ、水があふれるのは当たり前じゃないですか。
 私は決して個人を非難するつもりはありませんが、どうして本能的に河川から逃げようとしなかったのか。教育以前の問題で、自己防衛本能がとっても弱くなっているのではないかという気もしています。

―現代の日本人はあまりに安全を重視しすぎて、危ない目にあったり、痛い思いをすることを避けすぎていると思います。やはり、危険を察知するには、体で覚えるというか、経験が必要だと思います。

宮川 人の命を救うには本能が弱いなんていってられませんから、くどくても嫌われても、防災に対する基本知識は徹底的に叩き込む。この鉄砲水の話のように、生きた例として繰り返し、繰り返しいうしかないんです。
 大人にも子どもにも「もうそんなことは何回も聞いたよ」といわれても、いざという時に思い出してもらえれば、助かるのですからね。とにかく、「死ぬな」ということです。

 

 

特定非営利活動法人日本防災士機構 理事長 宮川 知雄さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
宮川 知雄(みやがわ ともお)さん
1930年、東京都生まれ。55年、東京大学法学部卒業。同年、労働省入省。内閣審議官、労働大臣官房秘書課長、大阪労働基準局長を経て、83年、労働省職業能力開発局長。退官後、労働福祉事業団理事、国際短期大学副学長。阪神・淡路大震災後、石原信雄元官房副長官他の有力者の要請で、政・官・財界人脈を駆使して2002年、日本防災士機構の設立に参画し、理事長に就任。

 

東京都自治体リンク
LIXIL
プロバンス
光学技術で世界に貢献するKIMMON BRAND
ビデオセキュリティ
レストラン アルゴ
株式会社キズナジャパン
ナカ工業株式会社
東京スカイツリー
東日本環境アクセス
株式会社野村不動産 PROUD
三井不動産 三井のすまい
株式会社 E.I.エンジニアリング
株式会社イーアクティブグループ
株式会社ウィザード・アール・ディ・アイ
 
都政新聞株式会社
編集室
東京都新宿区早稲田鶴巻町308-3-101
TEL 03-5155-9215
FAX 03-5155-9217