HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.53 公明党議長 太田昭宏さん
インタビュー
2012年5月20日号

 

公明党議長 太田昭宏さん

大衆の中に生き、大衆の中に死んでいく
党の精神のような人生でありたい

公明党議長

太田 昭宏さん

 新潟県中越地震の時も、能登半島地震の時も、昨年の東日本大震災の時も真っ先に現地に駆けつける現場主義者。議員バッジを失って2年9ヶ月、現場の声が国政に届いていないと、さぞ歯がゆい思いをされていることだろうと思ったら、現職時代とまったく変わらずご活躍の様子。公明党議長、太田昭宏さんに、政治家としての矜持をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

新聞でいえば、政治家の役割は、凸版、主、袖3つの見出しをつけること

—前回の選挙から2年半ちょっと経ちましたが、その間はどんな活動をされていたのですか?

太田 選挙では落選ということになり、多くの方々にご迷惑をおかけし、申し訳なく思っておりますが、公明党では全国の議長というポジションにありますので、提言をまとめて発表したり、選挙戦に赴いたり、この1年は東日本大震災の被災地に20回くらい足を運びました。行事も多く、地元の町会で挨拶をさせていただいて歌を一曲歌ったり(笑)、先日は千代大龍という今度幕内に入った力士がいるんですが、地元足立区の新田高校出身なので、その祝賀会に夜まで付き合ったりと、めちゃくちゃな動きをしています。党内でも政治でも現職時代とまったく変わりませんね。

—京都大学の相撲部の主将でいらっしゃいましたが、今でも相撲はお好きなのですか。

地元北区滝野川で行われた「新撰組祭り」で挨拶する太田昭宏公明党議長(4月29日)

地元北区滝野川で行われた「新撰組祭り」で挨拶(4月29日)

太田 相撲はね、非常につながりが深いです。大相撲の人の付き合いも長いし、足立区には境川部屋や玉ノ井部屋があったりもしますのでね。先日もモンゴルの会合があって出席し、時天空などにも会いました。何にでも顔を突っ込んで何でもやるほうなんですよ。そうすれば人と人とのつながりも増えますからね。
 松下幸之助さんは「運」ということを強調されていますが、「運は信念である、信念あるところに呼び込まれる」、「運は構えである、日々の努力である」と言っておられますが、もう一つ私が気に入っているのは「運は連鎖である」という言葉です。「運」というのは人と人との連鎖なんですね。人が人を紹介してくれる。仕事を頼みもし頼まれもする。
 かつて薬害C型肝炎の被害者を「一律救済」する議員立法の法案骨子を原告弁護団と基本合意することができましたが、C型肝炎の方たちともずうっと人間付き合いをしてきた結果だと思います。「太田のところに相談に行けば、何とかしてくれる」と思っていただける人間でありたいですね。「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」という党の精神のような人生でありたいと思います。

—都議会公明党の先生方の質問を聞いても、自分で現場を見たうえで、提案されています。現場に足を運んで、現場の声を聞くということを大切にされているのですね。

太田 そうですね。バッジを失って2年9ヶ月、特に現場の大切さを感じています。現場の悲鳴が国政に届いていない。国政の論議が現場とかけ離れている。かけ離れすぎているから不信感が生まれ、相手にされない。政治が見放されるという状況になっていると思います。
 組織でも上のほうは現場に弱くなりがちですし、役人も現場に弱いです。私は、政治家の役割は、現場の悲鳴や息遣いを政治全体、そして役人に注入することだと思う。新聞でいうと、凸版見出しと主見出しと袖見出しの3つをつければいい。あとは役人が手伝ってくれますよ。

 

現場には、臭いがあり、空気があり、優先順位がある

—国会という政治の現場を離れて新たに見えてきたということはございますか。

太田 ある距離感を持つことができたのはいいことかもしれません。バッジをつけていると、永田町の中に自分の部屋があって、自分で出向かなくても人が訪ねてきてくれるし、疑問があれば役人に聞けばすぐに教えてくれます。はっと気がつくと椅子に座っているだけということになって、庶民の声が届かなくなる。

—東日本大震災の対応などを見ていても、現場の声が政府に届いていないと感じます。

福島県郡山市での除染作業を視察する太田昭宏公明党議長(3月10日)

福島県郡山市での除染作業を視察(3月10日)

太田 被災地に行くと、とにかく遅いと言われます。何月何日の何市何町では何をやってほしいか、東北の海岸沿いの被災地37市町村によってまったく違うんですね。現場には必ず優先順位があるんです。
 例えば、昨年3月末の相馬市では梅干でした。やっと温かいご飯を出せるようになったから、梅干がほしいと。昨年5月の気仙沼市ではカツオ漁の餌と氷と油。とにかくカツオさえ揚がれば気仙沼は生き返ると。
 こういう話は現場でないと聞けない。映像じゃ分かりません。東京に戻ってすぐに超党派で協力して、必要とされているものをお届けしましたが、6月28日にカツオが揚がったというニュースを見た時は嬉しかったですねぇ。
 私はもともと現場主義で、「見学に行くんじゃない、助けに行くんだ、行ったら必ず仕事をしろ」と自分に言い聞かせていますから、私が行ったところ、歩いたところには、喜んでいただける結果が出せていると思います。

—フットワーク軽く動けてよかったのではないですか。

太田 政治はフットワークだと思っていますので。バッジをつけていても同じことをしたと思いますし、バッジをつけていたらもっとできたこともあるかもしれません。
 去年、震災直後に気仙沼市と女川町に行った時に、両方の方から言われたのは、「くれぐれも東京で立派な人たちが、わが町の復興プランを作らないでください。現地に来て1週間泊り込んで、あそこをどうしようと指を差しながら、一緒に考えてほしい」ということでした。
 現場の声を聞いて、その人たちに代わって手を打つということが、政治では一番大事だと思うんですが、どうも今の政権を見ていると東京の永田町で会議ばかりやっているように感じられます。

—被災地復興だけでなく、2年ほど前からの円高とデフレ、政治の混乱、そしてこの1年の電力不足についても、現場の声が届いていないように感じます。

太田 まったくその通りですね。最近はその4つに加えて、電気料金の値上げ、ガソリンの高騰が悲鳴となっています。現場には、臭いがあり、空気があり、優先順位があると私は言うんですが、優先順位を間違えちゃいけない。
 民主党政権は、現場の優先順位や急所を何も分からずに、今はただ増税一直線。物事には見逃してはならない本質というものがあるのに、それもなんかボケていて、しかも責任を取らない。特に民主党は責任を取らなさ過ぎる。人事においても、一度失敗して退いたのに違うところで生きている。私は“人事の回転ドア”と言っていますが、責任を取らない政権はいけません。責任を取るという見事さというか、さすが政治家、身の振り方はしっかりしているというのが信頼獲得の第一歩だと思うんですがね。

 

友達は宝、人は宝
役人ともひとりの人間として付き合う

—話は変わりますが、政治家になろうと思われたのはいつ頃ですか。

太田 親父が政治が好きで、NHKのラジオ討論会を幼稚園の頃から親父の膝の上で聞いていました。それで社会科が好きになって、中学校時代には、政治家か新聞記者になろうと思っていました。
 ところが高校に入ると、時は高度成長の真っ只中。ダムを作ったり、橋を作ったり、道路を作ったり、技術が重要だと思うようになり、土木工学科に進んだんです。
 私が大学に入ったのは昭和39年、東京オリンピックの年ですが、6月に新潟で大地震が起きまして、昭和大橋というできたばかりの橋が崩れたんです。これが日本で初めて問題になった液状化現象で、耐震ということにも興味を持ち、学部でも大学院でも耐震工学を専攻しました。「太田さんは相撲学部でしょう」と言われますが(笑)、ちゃんと土木工学科で耐震工学を学んでいるんですよ。

—耐震工学がこんなに重要な役割を果たすようになるとは思われなかったのでは。

太田 実は、政治家になってしばらくして阪神淡路大震災が起きたんですね。以来、学校の耐震化をはじめとして、国がやってきた地震関係の仕事には全部絡んでいますが、去年の東日本大震災、そして首都直下地震の予測を受けて、地震対策をどうするかという考えをまとめて、先月、官邸に提案したところです。

—災害に強いまちづくりに力を注いでいらっしゃいますが、そういうベースがおありだったのですね。

太田 そうなんですよ。いわゆる危機管理、ミサイルとかそういうものについては、情報が一箇所に入って、上から一糸乱れずバシッといくのが大事ですが、地震とか災害の場合は、上に情報がピシーッと入って、ドンと落とすことは無理です。
 災害はあくまでも現場で起きているもので、危機は刻々変化しています。むしろ現場がどれだけの力を持って強いかが試されると思う。危機管理は実務なんですね。

—中学の時に政治家か新聞記者をめざしたものの、高校時代に理科系に変わって、政治家も新聞記者も全然関係ない土木屋になろうと思っていたのが、結果として新聞記者になり、政治家になり、そして今、専攻された土木工学の知識が役に立っています。

太田 不思議なもんですね、人生っちゅうものは。その土木の時代に仲間だった人たちが、建設省や道路公団、首都高などに大勢いて、学者になった者もいて、今は一緒になって日本を良くしようと協力し合っています。

—学生時代の友達は利害関係がありませんからね。政治家としても、現場主義で人として付き合ってきたことが、すべてつながっているのでしょう。

太田 私は利害関係で人と付き合うことはないものですから、役人とお付き合いする時も「衣を取れ」と言って、ひとりの人間として付き合ってきました。「役人と話をするなら、別に君じゃなくてもいい。人としてどう思うのかを聞きたい」と。友達は宝、人は宝ですね。

 

 

公明党議長 太田昭宏さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
太田 昭宏(おきた あきひろ)さん
 1945(昭和20)年10月6日、愛知県生まれ。京都大学工学部大学院修士課程修了。71年、公明党機関紙局に入社(国会担当記者)。京大時代は相撲部主将。93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー、党憲法調査会座長、党総合選対本部長、党幹事長代行、党国会対策委員長等を歴任。党前代表。現在、党全国代表者会議議長、東京第12総支部長(北区全域と足立区西部)、首都直下地震対策本部総合本部長、現代中国研究会顧問ほか

 

東京都自治体リンク
LIXIL
プロバンス
光学技術で世界に貢献するKIMMON BRAND
ビデオセキュリティ
レストラン アルゴ
株式会社キズナジャパン
ナカ工業株式会社
東京スカイツリー
東日本環境アクセス
株式会社野村不動産 PROUD
三井不動産 三井のすまい
株式会社 E.I.エンジニアリング
株式会社イーアクティブグループ
株式会社ウィザード・アール・ディ・アイ
 
都政新聞株式会社
編集室
東京都新宿区早稲田鶴巻町308-3-101
TEL 03-5155-9215
FAX 03-5155-9217