仕事に命をかけて Vol.48
防衛省海上幕僚監部 指揮通信情報部
指令通信課 1等海佐
木村 康張
文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。
海上自衛隊及び海上保安庁、陸上自衛隊が2009年より実施しているソマリア沖・アデン湾における海賊対処活動。今回は空から海賊を警戒監視する航空隊にスポットを当てる。
(取材/種藤 潤)
海賊対処行動は海上と空の二本柱で対応
アジアとヨーロッパを結ぶ海上輸送の大動脈、ソマリア沖・アデン湾。日本の船舶も多数利用する海域であるが、近年海賊による事件が急増していることから、2009年3月13日に自衛隊法第82条による海上警備行動を発令、同月31日より護衛艦による我が国の民間船舶の護衛をスタートさせた。同年6月からはP―3C哨戒機による警戒監視行動も開始。そして7月には海賊行為の処罰および海賊行為への対処に関する法律(以下海賊対処法)が成立、我が国の船舶だけでなくあらゆる船舶を護衛することができるようになった。
現在アデン湾の海賊対処行動は、護衛艦や哨戒ヘリコプターによる海上からの護衛と、P3―C哨戒機による空からの監視活動の2本柱で成り立っている。以前この紙面の第36回(2011年2月号)で、水上部隊5次隊でアデン湾の護衛に当たった護衛艦「むらさめ」先任伍長を取り上げたが、今回は航空隊を司令として率いた木村1等海佐に、空からの海賊対処行動についてお話を伺った。
計5回不審船を発見
海賊行為を事前に抑止した
水上部隊による船舶の護衛は、アデン湾約900㎞を対象船舶を挟みこむ形で、前後に護衛艦1隻ずつ、哨戒ヘリコプター1~2機ずつ配置し行われる。一方航空隊の警戒監視活動は、ジブチ自衛隊活動拠点から、アデン湾を航行する船舶の安全確保のため、アデン湾一帯をP―3C哨戒機により監視し、そこで収集した情報を護衛艦、護衛対象船舶、他国艦艇などに通報するのが仕事だ。
「海上で不審船を発見したら写真を撮り、機上で画面を拡大し、そこで海賊船らしいと判断した場合他国艦艇に連絡、武装解除を促してもらいます。海賊船かどうかは、長いはしごがあるか(商船へ乗り込む際に使用)、漁具がないか(漁船であれば漁具がある)、人がやたら多いか(漁船の乗員は数人)、などの判断ポイントがあります」
木村1佐が指揮を執った4次隊でも計5回不審船を発見、海賊行為の阻止に寄与したそうだ。
哨戒機での監視活動以外はフライトに備え訓練を行い、その他の時間はジブチに展開する各国航空部隊や現地学校などと交流を行っていたという。
「監視活動では海賊船が武器を持っている可能性もあったので、非常に緊張感ある任務でしたが……実は一番きつかったのは、ジブチの暑さでした(苦笑)。50度を超える気候の日もありましたから、そうしたなかでの任務は、とにかく水を飲まないと本当に死んでしまう。まさに命懸けでしたね」
最も注意を払ったのが隊員のストレス解消
現地での木村1佐の任務は、隊全体の統制や海賊対処で集結する各国海上部隊との調整など、隊全体のマネジメント。なかでも特に気を使ったのは、隊員のメンタル面への配慮だったという。
「長期任務では、慣れてくると誰でも『我』が出てくるものです。航空隊のなかにも飛行隊、整備隊、警備隊と異なる業務があるので、ともすると業務の違いから不公平感を感じる隊員が出てしまいます。そういう空気が感じられたら、任務の違いをきちんと伝え、不公平感を取り払うよう努力しました。それ以外にも生活にメリハリをつける、共通の目標を持つなど、できるだけストレスを感じない現場にするよう気を配りましたね」
もとはパイロットを志し、海上自衛隊航空隊の門を叩いた木村1佐。しかし視力の問題で戦術的判断を担う戦術航空士となり、P―3Cを中心に全国各地でフライトを続けてきた。
「冷戦時の北方海域の監視飛行や能登半島沖での不審船対処など、非常に緊迫感のあるなか任務に当たりました。そこでの経験があるからこそ、ジブチでの任務も無事遂行できたのだと思います」
現在は東京・市ヶ谷の海上幕僚監部で海上自衛隊全体のシステム構築を担う。現在の任務にもやりがいを感じるというが、取材終了間際、こうつぶやいた。
「……やはり今でも空を飛びたいですね」
<プロフィール>
1959年3月、神奈川県生まれ。高校卒業後、1977年4月航空学生入隊。教育訓練、部隊実習、幹部候補生学校を経て、1983年第3航空隊(厚木)配属。以後第2航空隊(八戸)、第6航空隊(厚木)、第51航空隊(次期固定翼哨戒機プロジェクト)、海上幕僚監部、自衛艦隊司令部、第1航空隊(鹿屋)など数々の職歴を経て、2010年12月より現職。海賊対処は2010年6月、第1航空隊副長時代に経験した。