らくがきスポーツカフェ(29)
さまざまなドラマがゲームから生まれる
スポーツ・プロデューサー、NPO法人スポーツ見物協会 堀田 壽一
今年もいろいろなスポーツでドラマを見た。だが、多くは記憶の外に行き、何かの機会にその場面が蘇る。
オリンピックには二つの魔物がいる。一つはアスリートに試練を課す魔物、もう一つはアスリートの心を歪ませる魔物だ。二つ目の魔物は、行き過ぎた金メダル至上主義がもたらす外部からの重圧などにより生まれる。名は「ドーピング」という。
今月上旬、アテネオリンピックでアスリートから採取して保存していた検体を新技術で再検査したところ、4人の選手からドーピングの陽性反応が出た。IOCは彼らのメダル剥奪を決定した。8年前のことだ。バレないと思っていたのかもしれないが、彼らの栄光は崩壊した。新薬やバレないドーピング方法の研究をする人と、それを使う人のもたれ合いがなくなることはないだろう。
ドーピングを見破る検査も精度をあげている。IOCでは検体保存を8年から10年に延長する案を検討している。なぜなら、アスリートの心を惑わすドーピングという魔物は消え去ることはないからだ。
季節は冬、1994年ノルウェーのリレハンメル冬季オリンピック。「アスリートに課された試練」という魔物に取り付かれた選手の名は、スピードスケートのダン・ジャンセン選手。彼はカルガリーオリンピック出場中に、家族の不幸に見舞われた。悲しみに堪えレースに出場するも、カーブでバランスを崩すなどメダルに届かなかった。続くアルベールビルでも力を出し切れず敗退、米国では悲運の選手として知られた。
リレハンメルはジャンセン選手の最後のチャンスであり、得意の500mで金メダル確実と、全米が注目するレースになった。米国テレビは、家族の座る観客席の前に中継カメラを入れるなど、ジャンセン選手の一部始終を撮っていた。
最後のコーナーに入った時、「あ!」と場内に驚きの声が広がった。「金メダルに縁が無いのさ」と語るジャンセン選手の悲運の顔を、私は見た。
得意ではない1000m、彼はスピードに乗って滑走していた。おそらく多くの人が応援しながら見守っていただろう。魔物の壁を乗り越えたジャンセン選手はゴールした。ドラマになったジャンセン選手の金メダル獲得を伝える米国テレビの熱狂ぶりを、「狂ってる」と思った。だが私には、彼の表彰台での感涙の顔と星条旗よりも、悲運の後ろ姿の記憶が今も強烈に残っている。
2012年もゲームから生まれる多くのドラマを見た。2013年はどんなドラマが見られるのか。来年も競技場へ足を運ぼうと思う。
<筆者紹介>
堀田 壽一(ほった じゅいち)
愛知大学経済学部卒業。NHK入局。報道カメラマンを経て、NHKスペシャル「アフリカに架ける橋」「飢餓地帯を行く」「呉清源」など幅広いジャンルでカメラマンとして活躍。スポーツも各種目を取材、スポーツ報道センターチーフプロデュサーとしてサタデースポーツ、サンデースポーツ副編集長を務める。オリンピックはリレハンメル、アトランタ、シドニー、サッカーは1998年のフランス大会を現地取材。特にJリーグは1983年から取材を続けている。1997年、NHK退職後、関連会社でスポーツ番組制作に参加。2007年からフリーランス・スポーツプロデューサー。日本トップリーグ連携機構マネージメント強化プロジェクトアドバイザー、NPO法人スポーツ見物協会会員。