仕事に命をかけて Vol.55
航空自衛隊 航空開発実験集団 電子開発実験群
技術調査隊 第1調査班 2等空尉
野田 仁
文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。
今回取り上げるのは、航空自衛隊の縁の下の力持ちとも言える、「電波」のスペシャリストだ。「電波」という見えない要素を日々地道に、実直に調査している彼らの活動があるからこそ、日本の防空は安定的に運用されているのである。
(取材/種藤 潤)
地上電子装備品に関する試験評価の専門部隊
今日、我々の生活のあらゆる場所に電子機器が使用されているが、日本の防空を司る航空自衛隊でも、レーダーなど最新鋭の電子機器が使用されている。
そうした電子機器が関わる装備品の実用性の確認、性能向上、改善を図るために、試験評価および研究を日々行っている専門部隊が、関東の防空の拠点である入間基地に存在する。
電子開発実験群は、1961年に電子実験隊として発足、1968年に現在の入間に移設され、1989年に現在の部隊の形に編成された。
今回取材に応じていただいた野田2尉は、そのなかにある技術調査隊・第1調査班に所属する。
同班が担うのは、電子機器利用における「電波」環境の専門調査だ。
「航空機、哨戒機、ミサイル、レーダー……航空自衛隊のあらゆる装備品には電波が関わっています。それらが安全・安心に運用できるよう電波状況を確認・検証するのが、我々の仕事です」
「電波」に関わる装備品の使用環境を調査する
「電波」という言葉を聞いただけだと、特殊な世界の物事のように思えるかもしれないが、我々の生活に電子機器が欠かせないように、「電波」も携帯電話やテレビ、ラジオなど、さまざまな形で生活と密接に関わっており、そのため全国各地には各種電波機器が配置されている。そうした一般社会の「電波」と航空自衛隊が使用する「電波」の干渉(同一の場所でぶつかりあうこと) の可能性を検証し、より多くの電波が共存できるように、航空自衛隊では対応しているのである。
ちなみに昨年の北朝鮮の人工衛星と称するミサイル発射の際、技術調査隊は先島諸島に赴き、調査を行ったそうだ。
全国の離島や遠隔地でひたすら電波を収集
技術調査隊第1班は、全国の各部隊から調査依頼を受け、まず「理論計算」と呼ばれるデータ分析を行い、現地の電波状況を予測する。その上で現地のリアルなデータが必要な案件に関しては、実際に現地で電波調査をする「実測」を実施。それらの結果から、現地の電波状況を踏まえた最適な装備品の運用方法を導き出し、依頼のあった部隊に対し報告・提案する。
年間の対応件数は20件ほど。そのうちの平均7~8件を実測まで対応するという。
「すべて実測まで行えればいいのですが、実測には時間と手間がかかるので、ある程度選別しなければならないのが現状です」
実測する期間は、1つの案件で1週間から2週間。しかも実測する場所は全国の離島や遠隔地となるため、移動そのものにも時間が費やされるという。
「専用車で長時間にわたり移動をし、到着したらひたすら電波を収集し続ける。非常に地味で、かつ体力的にもハードな仕事です」
それでも野田2尉は、この仕事にしかないやりがいがあると言い切る。
「全国のさまざまな場所に行けるのは貴重な体験ですし、そういう最前線にいる隊員たちとの交流は、非常に勉強になります。そしてなにより電波そのものについて知ることが楽しい。学んだ知識と現場のデータが結びついた時の喜びは、何ものにも代え難いですね。電波の知識にはゴールがないので、今でも勉強の毎日ですが、もっと電波について知りたいです」
噛み締めるように語る野田2尉の言葉に、縁の下の力持ちにしか出せない頼もしさを感じた。
<プロフィール>
1973年大阪生まれ。高校卒業後、1993年に自衛隊に入隊、同年7月より航空総隊56警戒群(沖縄)、2003年より航空総隊司令部飛行隊(入間)レーダー評価隊に配属。2008年幹部候補生学校に入校。同年飛行開発実験団(岐阜)に配属し、装備品の開発評価に従事。2011年より防衛大学校理工学研究科で光通信を学び、翌年4月より入間基地にて現職。