HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.65 造園家 ランドスケープ・アーキテクト 涌井史郎さん
インタビュー
2013年4月20日号

 

造園家・ランドスケープ・アーキテクト 涌井史郎さん

ライフスタイルを見直す環境革命の時代だと思います。

造園家 ランドスケープ・アーキテクト

涌井史郎さん

 幸せの尺度が見直されている。ファストライフからスローライフへ―。有限な地球で人間が暮らしていくためには、自然と上手に調和している状態が必定。環境に即したライフスタイルを遡及する、そんな動きが起きている。名付けて環境革命。人間と自然とのあるべき姿を、造園家、ランドスケープ・アーキテクトの涌井史郎さんにうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

造園は空間と時間のデザイン あるところからは、自然に任せる

―造園家を目指されたのは、鎌倉というまち全体が庭のようなところで生まれ育ったことが影響しているのでしょうか。

涌井 もちろんあるでしょうけど、私の家は、リベラルではあるんだけども、封建的なところがあったんです。だから、人間関係が複雑でしてね、何となく気持ちが安らぐことについ目がいった。足を痛めた犬とかを密かに引き取ってきて育てるとか、生き物に対する愛着がすごくあったと思います。

 そういう体験から自然に対する愛情が少しずつ生まれてきて、それが造園家になろうと思った源流なんじゃないかと自分では思っています。

Asia Innovation Forum2011

Asia Innovation Forum2011

Asia Innovation Forum 2011 keynote speaker

―庭師というと、造園家とはちょっと違うかもしれませんが、縁側でタバコを吸いながら、ぼ~っと庭を眺めているイメージがあります。

涌井 京都に通称「桜守り」といわれている佐野籐右衛門という方がいるんですが、彼も僕もタバコ吸うんですよ。なぜかってね、むはぁ~っと吸って、ぼ~っとしてる時が一番重要なんです。だから、タバコを吸わない庭師は庭師じゃない(笑)。

 造園家というのは、空間領域だけのデザイナーではないんですね。空間と時間にまたがったデザイン。そこが建築家と違う。建築物は劣化を宿命としていますが、造園家が扱う素材は成長する。植物の成長に造園家の手は届きませんから、あるところからは、自然にお任せするしかないデザイナーなんですよ。

 例えば、江戸時代の京都の名所図会なんかを見ると、今の京都の名園とは後ろ側の山の姿がまったく違います。足利義政が造った銀閣寺の庭にしても、当時の木が生きてるわけがない。だから、造園家にとって非常に重要なのは“不易”、つまり変わらないものと、“流行”変化するものの組み合わせなんですね。石組とか地割という変わらないものに、植栽という変わらざるを得ないものが組み込まれ、それがどのような姿になっても趣は変わらない。その読み方、見極めが難しいんです。

―深いですねぇ。

涌井 ガーデンの語源をご存知ですか。それは古代ヘブライ語の“ガン(囲われた)・エデン(楽園)”。半径6400㎞の地球で、生命圏はわずか30㎞。その中でもとりわけ多くの生き物が生きているのは10㎞ほど、ものすごく薄い膜なんですよ。

 地球というガーデンは、こんなに薄くてデリケートな膜だということを念頭において、ランドスケープ・デザインを考えると、自然性と場所性が最も均衡している状態、すなわち適度に自然があって、適度に人工物がある状態が人間は一番癒されるんですね。

 それをトポフィーリアとバイオフィーリアって言うんですけど、トポフィーリアは場所愛・郷土愛みたいなもの、バイオフィーリアは自然に対するレスポンシビリティというか生命と生物に対する愛。そのバランスが安定しているのが庭園です。だから、私は造園家でありながら、地球環境問題に取り組んでいるんです。

 

防災には、減災と同時に、災害を克服するスピリッツが大事

―東日本大震災が起こり、今、首都直下地震が心配されています。東京のランドスケープ・デザインは、どうあるべきだとお考えですか。

大橋ジャンクション

大橋ジャンクション

首都高の環境技術が凝縮された大橋ジャンクション。換気所屋上の「自然再生の緑(おおはし里の杜)」

涌井 まずは、東京を一つの巨大な塊としてとらえるという考え方です。

 例えば、私は首都高大規模更新の委員長を務めました。3・11でも今年の大雪でも皆さん体験されましたけれど、首都高が止まったら大変なわけです。発災時には、おそらく一般車道は避難民と車でごった返して、とてもじゃないけど緊急車両が走れるような状況じゃない。唯一、救命救急や消防、陸上自衛隊といった緊急車両が走り回れる可能性があるのが首都高です。どんな条件であっても首都高が健全に働いてなきゃならない。脆弱であっては絶対だめなんですね。

 一方で、東京にたくさんある小さなクラスター(集団)が、それぞれ努力するという仕組みも考えなければなりません。つまり、その土地のコミュニティをしっかりして、どうやって生き残るかという戦略を描くことがすごく大事。そのためには中心となるコアが必要で、例えばそれは小さな公園かもしれない。そして、その公園には、マンホールトイレがあったり、遊具の上にテントを張れば更衣室になったり、あるいはベンチを剥がせばそこにコンロが入っていたりする。

 東京全体のシステムは、ものすごく大掛かりなハードと、きめ細かな地域コミュニティというソフトの二重に考える必要があると思います。

―東日本大震災では、堤防が決壊するというハードの限界も目の当たりにしましたし、東北だからこそのコミュニティ・パワーも実感しました。

涌井 今回のことで我々が学ばなければならないのは、ランドスケープをデザインする際にはハードパワーとソフトパワー、この両方が必要だということです。

 産業革命以降、利益こそが人間が追求すべきものであり、自然は睥睨できると勘違いしてきました。それ以前は、その土地とのゆかり、自然とのゆかり、人とのゆかりを大切に暮らしてきたんですね。

 防災を考える時、科学技術の力で自然をなんとかするという欧化思想に立脚していいのでしょうか。私はそうは思いません。減災だけではなく、やっぱりヒューマンパワーとしての“克災(こくさい)”、私が作った言葉なんですけど、災害を克服するスピリッツがすごく大事だと思います。

 日本人は、この克災ができてきた民族なんですね。どんな災害が起きても、それを乗り超える強靭なスピリッツがある。東北の三陸では、この百年の間に3回も大津波が来てるんですよ。それでもあの土地を捨てない。それはやっぱり克災のスピリッツがあるからです。そして、その克災というのは、さっき言ったトポフィーリア、つまり場所愛・郷土愛があって初めて養われるんですね。

 

ランドスケープ・デザインの発想は“いなす”という知恵から生まれた

―ランドスケープ・デザインの発想は、どうして生まれたのですか。

涌井 実は、女性、つまりカミさんとの付き合いの中から生まれた結論なんですよ。

 自然って気まぐれですよね。だけど美しい。その美しさって、けっこう際どい美しさで、急に泣き出したり、拗ねたりする女性みたい(笑)。そういう女性とよりよく付き合っていくためには、抑え込むのではなく、負けるが勝ちという気持ちで住み分け、お互いを尊重することが大事だと。結果として出てきたのが“いなす”という知恵だったんです。

―日本語にはいい言葉がありますねぇ。

涌井 このいなすという発想が頭に浮かんだ時、改めて日本の土木技術を見てみますと、ほとんどがいなしてるんです。里山もそうですし、信玄堤もそう、五重塔もそうなんですよ。

 美しいけれども、時に怖いカミさんに対するように、人間は自然に対峙してきたんですね(笑)。

 実は、日本人はいなしの達人なんですよ。里山ってあるでしょう。里山は人が手を入れることによって、自然と調和してきた場所なんですね。で、里山の向こう側は何かというと、人が手を入れてはならない神様の領界。然は然りながら、まったく手を入れないかというとそうではなくて、神の許しを得た範囲の中では、手を入れていく。こういう了解ができているんですね。だから日本人は、昔はシゼンとは言わないで、ジネンって言ってたんです。自ずから然り。

―松島の漁師が山に木を植えるのもそうですね。

涌井 同じことが東京にもいえます。大都市東京が存在するためには、膨大なヒンターランド(後背地)の田園が必要なんですね。ところが、これから人口が減少し、ますます都市に人口が集中すると、空洞化する田園がものすごく出てくる。里山同様田園は、人が適度に手を加えていないと荒れ果ててしまうんですね。

 するとどうなるかというと、放っておいたカミさんみたいなもので、亭主はあとでえらい目に合うわけです。機嫌をとるために、ものすごく金がかかる(笑)。

―だからこそ、適度に手を入れていかないとダメだと(笑)。

涌井 田園は食料を生産するだけの場所ではなく、ものすごく多目的、公益的な機能を持っているんですね。

 それを維持するためには、農薬漬けの安いほうれん草じゃなく、高くても生産者が見えるほうれん草を買う。こういう関係を強化していかないと、あっという間に農村は疲弊してしまいます。そのことによって、東京自身が貧してしまう可能性も多分にしてある。大都市の豊かな暮らしを享受する以上、常に田園のことを考えるということはすごく大事だと思いますね。

―正にランドスケープの視点ですね。

涌井 私は今、環境革命が起きていると思っています。地球は有限である。その有限な地球の中で、都市は最も傍若無人な振る舞いをする空間である。よって都市住民は持続的な未来を考えるために、どうやって環境に則したライフスタイルを確立するのか。

 都市の便利な暮らしは、一見すると不便な社会によって支えられているように思えるかもしれませんが、ではどちらが幸せかというと、実は不便な社会かもしれない。ファストフードじゃないですが、都市住民はファストライフに陥っていて、スローライフを持っている人たちに対する欲求が常にある。ファストな地域とスローな地域が、上手にマルチハビテーションしているのが一番豊かなんですね。そういう複眼的なライフスタイルを遡及する時代がくると思っています。

 

 

NPO法人 放課後NPOアフタースクール代表理事 涌井国泰さん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
わくい しろう
 1945年、神奈川県鎌倉市生まれ。東京農業大学農学部造園学科中退。造園家として多摩田園都市、全日空万座ビーチホテル、ハウステンボス等のランドスケープ・デザインを手掛ける。2002年「愛・地球博」会場の演出総合プロデューサー。東京都市大学教授、中部大学客員教授、東京農業大学客員教授。国連生物多様性の10年委員会委員長代理、(社)国際観光施設協会副会長、生物多様性広報参画委員会座長、全国エコロジカルネットワーク委員長。TBSテレビ「サンデーモーニング」にコメンテーターとして出演。著書に『景観から見た日本の心』など。

 

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