HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.114 (株)インフォマティクス 取締役会長 長島雅則さん

1 The Face トップインタビュー2017年06月20日号

 
株式会社インフォマティクス 取締役会長<br />
 長島 雅則さんさん
時代と人との幸運な巡り合わせの人生

株式会社インフォマティクス 取締役会長
 長島 雅則さん

 東京大学大学院修了後、マサチューセッツ工科大学大学院(MIT)に留学。MITメディアラボの創設者として知られるニコラス・ネグロポンテ教授に出会い、CADの技術を研究することに。MIT2年目の夏、ネグロポンテ教授の研究室が主催するサマーセッションでCADシステムを開発したベンチャー企業と出会う。そこで開発したGDSシステムを日本へ紹介したことが、起業へとつながった。国内屈指の空間情報システム企業として成長を続ける株式会社インフォマティクス取締役会長、長島雅則さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

20世紀最大の発明コンピュータ出現時に居合わせた幸運に感謝

—大学は工学部を選択されました。将来はどんな職業に就きたいと考えていらしたのですか。

長島 これから伸びていく分野に進もうと思っていました。当時の日本は、東京オリンピック開催、新幹線開通、大阪万博開催と土木・建築が華やかな時代。建築には理科系の要素とアーティスティックなニュアンスがあり、面白そうだと思ったんですね。

 それから、建築学科で内田祥哉助教授(当時)の授業を受けたことも大きかった。内田先生は大学教授然としたところがなくて、親みやすく、授業もとても面白かったんです。

—そこで建築設計とコンピュータのマッチングに気づかれたと。

2010年、長島氏の寄付により「長島雅則奨学基金」を設立されたことが高く評価され、「稷門賞(しょくもんしょう)」が贈呈された

2010年、長島氏の寄付により「長島雅則奨学基金」を設立されたことが高く評価され、「稷門賞(しょくもんしょう)」が贈呈された

長島 大学・大学院では内田研究室に所属し、建築デザインや構法を研究していたんですが、この研究室は、その後、建築業界を牽引する優秀な人材をたくさん輩出しています。そこで、卒業論文・修士論文を書いている時に、コンピュータで設計ができるという話が聞こえてきた。

 今では当たり前のように使われているプレファブ工法ですが、当時は建築現場で部材加工を行っていたので、あらかじめ部材を工場で生産・加工しておき、それらを建築現場で組み立てるという概念は革新的でした。

 物を組み立てるには基本となる寸法(モデュール)が大事なんですね。3つ寄せたらきちっとした数字になる、5つ寄せたらきれいな数字になるというように、モデュールで割り付けられた位置に納まるようにすることをモデュラー・コーディネーションというんですが、このモデュラー・コーディネーションの考え方とコンピュータはすごくマッチするということに、気づいたというか気づかされたんです。

—今では建築の世界で当たり前に使われているCAD(Compu-ter-Aided Design)システムですが、当時すでにあったのですか。

長島 修士論文の内容は建築コストの統計分析だったのですが、その数値を計算するためにプログラムを作り、毎日のように大型計算センターに行っていました。もちろん、自分でパンチカードを作ってね。そういう大型計算機に触れるうちに、コンピュータって何なんだろうと、どんどん興味がわいていったんです。

 そのうちに、海外にはコンピュータで建築を設計するCADというものがあるらしいということを知った。ぜひ留学して勉強したいと思い、先輩や周りの人のアドバイスを参考に、当時、工学系で圧倒的に有名だったMIT(マサチューセッツ工科大学)を目指すことにしたんです。

 私は本当に運が良かった。20世紀最大の発明ともいうべきコンピュータが出現した時に、たまたま居合わせることができたんですから。

 

かのネグロポンテ教授の研究室で、コンピュータ内部の本質的な仕組みを学ぶ

コンピュータの最先端の環境で論文のプロジェクトに没頭

コンピュータの最先端の環境で論文のプロジェクトに没頭

—憧れのMITはいかがでしたか。

長島 MITに行けばコンピュータを使って建築設計している人がいるだろうと期待していたら、製図板にT定規と三角定規があるだけで、東大の製図室と変わらない。もうがっかりですよ。

 CADに触れる機会はないかとカリキュラムを探してみると、ニコラス・ネグロポンテという先生がCADを研究しているらしい。あ、これだ!と。さっそく研究室を訪ねると、Architecture Machine Group(AMG)という研究室で、CADシステムはもちろん、さまざまなコンピュータ・サイエンスの研究を行っているところでした。

 最後の1年ほどは土日も休まず、論文のプロジェクト開発に没頭しました。本当に楽しかったですね。1976年に完成したそのプログラムはYouTubeに載せました。この研究室でコンピュータ内部の本質的な仕組みを学んだことが、私の人生を大きく変えることになりました。

—新たな出会いがあったのですか。

長島 2年目の夏に、AMGが有名企業を招いてハードウェアやソフトウェアの最先端技術を紹介するサマーセッションを開催したんです。外部から参加する場合は結構な参加費用がかかるのですが、私はAMGのスタッフということで無料で参加できました。

 この時、実際にCADシステムを活用した事例を見る機会があり、イギリスのオックスフォード県周辺では、プレファブ構法を採用して効率的に病院や診療所を建設するためにCADシステムを採用していることを知ったんです。

 システムズ・ビルディングの手法とCADシステムを使用して設計する手法の結合は、まさに私が思い描いていたもの。イギリスのケンブリッジ県にある「Applied Research of Cambridge Limited(ARC)」という会社が開発していたのですが、「この会社で働きたい!」と思うようになり、雇ってもらえないかと手紙を出し始めました。

MITにあるNAGASHIMA  ROOM

MITにあるNAGASHIMA  ROOM

 そんな時、ネグロポンテ先生に「おまえは何をやりたいんだ?」と聞かれたんですね。私が「役に立つことをやりたい」と答えると、「MITはもちろん役に立つことを考えているが、ある意味で可能性を追求するところだ。可能だと分かったら民間に任せる。役に立つ物を作りたいならMITにいてもしょうがない」と。それで、イギリスのARC社に手紙を出しているが断られている旨を話すと、ネグロポンテ先生が何度かイギリスへ電話で直接交渉してくれて、「Yes」の返事をもらうことができました。

 ところが、「問題が2つある。イギリスの天気が悪いことと、ARC社の給料が低いことだ」と。イギリスに行ってみて、これが本当だということが分かりました(笑)。後に分かったのですが、ARC社はいわゆるベンチャー企業で、当時の経営状況はかなり厳しく、増員できる状況ではなかったんですね。

 ちなみに、MITを終了した6月から10月に渡英して入社するまでの4ヶ月間、ネグロポンテ先生は研究費を獲得して、技術助手として雇ってくれました。本当にありがたかったですね。

 

イギリスのベンチャー企業に入社
夜も寝ないでシステムの開発に没頭した

—MITがあるアメリカのマサチューセッツ州のケンブリッジから、本家イギリスのケンブリッジへ渡って、薄謝の生活はいかがでしたか。

長島 イギリスでは暮らせましたよ。年俸3000ポンド。1ポンド500円だったので、150万円。でも、入って数年で3倍、4倍になりました。

—それは開発したシステムが評価されたということですか?

長島 働きぶりですかね。社員十数名の会社の、数名の開発チームに加わり、今なら大変ですが、夜も寝ないでGDS(General Drafting System)のシステム開発に携わりました。それまでのシステムは直方体の部品を組み合わせ、3次元で設計するものでしたが、劇場のような曲線を利用した設計には向きませんでした。

 そこで、3次元の設計を諦め、自由な曲線を2次元で描くシステムを開発することになったんです。機械設計ではなく建築設計をするCADシステムでしたからですね。

 さらに、英国で開発されたシステムですから、当然、英語しか表示できなかったので、日本語でも対応できるようにしようと、空き時間をやりくりしながら当用漢字約2000字のフォントを作り込むこともやりました。とにかく、システム開発をしながら、時にはデモンストレーションやシステムのインストール、サポートや営業などあらゆる仕事を担当しましたが、この時の経験は後々本当に役に立ちました。

—日本ではCADシステムは使われていたのでしょうか。このGDSシステムを持ち込んだのは御社ですか。

長島 いくつかのCADシステムは、日本に紹介され始めていました。例えば、IBMが売っていました。我々が持ち込んだGDSというCADシステムは、最初というわけではありませんが、日本語の文字を図面上に自由に描けるシステムは、多分、世界で初めてです。部品を扱えるデータ構造、いろいろな線種を扱えるラインスタイル、漢字も扱える文字スタイル、豊富な作図機能等々優れたところがあったと思います。

 イギリスでGDSの販売が本格的に始まろうとしていた1980年の暮れ、私は日本に一時帰国することにしました。その年の9月に生まれた“リアルプロダクト”(笑)である息子を我々の両親に、開発に携わったGDSシステムという“ソフトウェアプロダクト”を、内田先生をはじめ、先輩・同僚にお披露目するためです。

 内田先生のおかげで、設計事務所や建設会社など約40社から多くの方々が見にきてくださいました。デモンストレーションを行うと、「このシステムを導入したい」という声が数社から上がったんです。会社を作るつもりはなかったんですが、買い手が見つかっちゃったら作らないと(笑)。で、35年間どうにか生き延びてきたわけです。

—2010年に東大に「長島雅則奨学基金」が設立されたそうですが、どのような思いで寄付されたのですか。

長島 東大では内田先生や友達にも鍛えてもらい、MITではネグロポンテ先生や仲間に鍛えてもらいました。そしてみんなに助けてもらって今があります。ある意味、恩返しではないでしょうか。

 私は留学費用は親父が出してくれましたが、そういうチャンスはあるとないとでは全然違います。今はインターネットが発達して世界中の人と情報のやり取りは容易になってきました。こういう時代だからこそ、実際に海外に行って交流する意味と意義は大きくなってきていると考えます。今後、ますます、実際に異文化を感じることは、大切な経験になるはずです。多くの学生たちに、そんなチャンスが少しでも与えられたら幸せです。

 

株式会社インフォマティクス 取締役会長<br />
 長島 雅則さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
ながしま まさのり
1949年、東京都出身。都立戸山高校から東京大学工学部建築学科に進学。1974年、大学院工学部建築学科修士課程修了後、マサチューセッツ工科大学(MIT)大学院に留学。MITメディアラボの創設者としても有名なニコラス・ネグロポンテ教授の「Architecture Machine Group(AMG)」に所属し、CADの研究に取り組む。76年6月MIT修士課程修了。同年10月イギリスのベンチャー企業「Applied Research of Cambridge Limited」(ARC)」に入社。1981年に帰国し、9月エイ・アール・シー・ヤマギワ株式会社(現・株式会社インフォマティクス)を設立。その後、代表取締役に就任。

 

  
 

 

 

タグ:長島雅則 株式会社インフォマティクス General Drafting System 長島雅則奨学基金 

 

 

 

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