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1 The Face トップインタビュー2018年01月20日号

 
能楽師 坂井 音雅さんさん
好きや嫌いではなく、天職と思いやる

能楽師 坂井 音雅さん

 厳しい稽古で知られる坂井家の長男として生まれる。2歳6ヶ月で初舞台を踏み、ただひたすら能の道を歩むも、高校の時にこれでいいのかと悩む。「好きとか嫌いではなく、自分のしていることが、天職である」という大先輩の言葉に使命を感じた。以来、「生涯修行」と、能を探求し続けている能楽師・坂井音雅さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

厳しさの中にも優しさを感じる家族を含め、多くの方々から学んだことが大きい

—お父様の坂井音重先生には連載「めづらしき花」でお世話になっております。長い歴史を持つお能の家にお生まれになって、大変だと思われたことはございませんか。

坂井 どんな職業もそうだと思いますが、比較するものがありませんので、大変だと思ったことはないですね。ただ、同業の同世代の人からは、「坂井のところは厳しい」と、どこかの国に例えて言われることはありますけどね(笑)。

—師匠はお父さまでいらっしゃいますか。

坂井 はい、父です。私が中学の時に兄弟3人で一緒に大鼓を柿原崇志先生から特別に習っておりました。家族ではない柿原先生から学ばせていただいたことはたいへん大きいと思います。また、ほぼ同時期に人間国宝の鵜澤寿先生に小鼓を習っておりました。稽古はたいへん厳しく、私は出来の良いほうではなかったので、普通だったら怒られて「そのまま完全にできるまで稽古を続けなさい」とおっしゃられるところを、コーヒーでも飲みに行こうかとおっしゃってくださったり……。厳しさの中にも優しさを感じられて、ありがたく思いましたね。

 最近は観世宗家から貴重な指導をいただいてございます。

—兄弟3人、全員が能楽師になられたのは素晴らしいですね。その中でご長男の重責といったものはございましたか。

坂井 それはございません。父は、「君は長男だから、君は次男だから、君は三男だから」ということはなく、「やりたくない者にやられることほど迷惑な話はない。やりたくないのだったら3人とも辞めてもらって結構だ」という教えでした。

 ただ、そうは言いつつ、毎年必ず装束を一点以上作っていたんですね。誰も継がなかったら、それを全部売り払ってハワイに移住して豪遊すると。売り払うのに何でわざわざ作るんだろうな?と思っていました。

—能から離れたいと思った時期があったのですか。

坂井 高校の時ですかね。私が辞めると言ったら、弟2人がそれなら自分たちも辞めるとなったものですから、さすがに私も、自分のせいでこの道が好きな2人が辞めるのは具合が悪いと思いました。

「翁」 撮影/前島 吉裕

「翁」 撮影/前島 吉裕

—何かやりたいことがあったのですか。

坂井 特になかったんですけど、何が何でも生涯の仕事にするという「覚悟」がなかったんですね。

 そんな時に、父と他流の名手の方の酒席にご一緒させていただく機会がありまして、その方がご自身の体験をもとに、「やるからには天職と思いやらないといけない。好きとか嫌いではなく、やらないといけないんだ!」とおっしゃったんですね。そして「最近の若い人たちはこの道が好きだからとか言うけれど、私はとても好きだなんて言えない!」と。

 私に迷いがあることを父がその方に話をしてくれていたのか? その方が気づかれたのか? それは分かりませんが、その時に「ハッ」と気づいたというか、「好きや嫌いではなく、天職として命を懸けてやる!」という使命みたいなものを感じました。

 

物語は分からなくても、心の琴線に触れる何かを感じるのが能

—毎年装束を作っているとおっしゃいましたが、能装束は普通の着物とは違うのですか。

坂井 もちろん違います。蚕から違いますから、糸も着物と違ってしっかりしていますね。染めるのも天然素材ですし。

 装束を作るのは代々残したいからですが、初めの10年、20年は能楽堂ではキラキラしてしまうんですね。年数を経て落ち着いた色彩になる。ですから30年、50年かけてやっと風合いのある装束になり、舞台で使えるようになるんです。

—では新しい装束は、いつお使いになるのですか。

坂井 薪能とか華やかさを求められるようなところで少しずつ使って、能楽堂では少し落ち着いてから使います。古いものでは何百年も前のものもありますし、実際に使っているものもありますよ。

—博物館とか展覧会でも能装束が展示されることがありますが、ものがすごくきれいです。

坂井 我々も虫干しで干していると、きれいだと思います。でも、実際に能楽師が能装束を身につけて舞台に出るともっと美しい。装束の柄も古いものになればなるほど「大胆」というか「斬新」なんですよ。遠目で文様が効くように計算し尽くされていますのでね。

 しかし、美術品として能装束が「博物館」でその価値を認めていただけるのは大変ありがたいですが、できれば1年に1回でも3年に1回でもいいので、然るべき方が身につけて舞われるといいと思いますね。お作りになった方は美術館に飾るのではなく、身につけるものとして作っておられるでしょうし、能装束としても悲しいのではないかと思います。それは能面にしても然りなんですけれど……。

—そういう技術を守り伝えていくことも大事なんでしょうね。

「道成寺」 撮影/前島 吉裕

「道成寺」 撮影/前島 吉裕

坂井 能は、舞台人だけではなくて能面を作る方、装束を作る方など多くの方々の支えがないとできません。そういう方々の思いも全部背負って舞台に立っていますので、技術を守ることも、我々の使命だと思っています。

—全国各地でお能を教えていらっしゃいますが、人に教えることによって学ぶことはございますか。

坂井 生前贈与じゃありませんが、20代の時に私は南の方、次男は中部、三男は北の方と、父の稽古場を兄弟で引き継いだんですね。そこで感じるのは、教えることの難しさというより、伝えることの難しさです。

 最近は理論的なところが重要視されるようになっていますが、そうじゃない。能の魅力は、物語は分からなくても、心の琴線に触れる何かを感じることが重要だと思うんです。

 高校の時、父の舞台を見ているだけではだめだと思って、他の先輩の舞台を拝見し、そのすごさに圧倒されて、涙がぽろぽろと落ちたことがあります。そんな自分にもびっくりして、能は本当にすごいものだと感動いたしました。

 おいしい食事を頂戴して、おいしいと感じて、帰ってからもやっぱりおいしかったと余韻に浸ると言いますか、その時も大切なんですけど、その後まで感じさせる何かがある。能は本来そうあるべきで、それは日本文化の一つの良さだと思います。

 2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、外国の方も、また何の予備知識がない方も、心を打つような舞台を務められるといいなと思っています。

 

文化オリンピアードは、人と人とのつながりを見直すいい機会

—理事長を務めていらっしゃるNPO法人白翔會が、東京2020文化オリンピアードに認定されました。どんな活動をされる予定ですか。

坂井 昨年は東京2020応援プログラムに認定され、第1回目の公演として「翁」を私が、「融」を父・音重が上演し、外国の方もお招きして見ていただきました。今後も引き続き講座を開いて、国内外を問わず皆さんに参加していただければと思いますね。お能の成り立ちからお話をさせていただいて、それから体験型のワークショップのような形で、実際に声を出して、身近に感じていただけるようにもしていきたいと思っています。

—楽しみですね。いろんなことができそう。

坂井 そうですね。我々の世代は第二の団塊世代じゃないですけど、能楽師のシテ方と言われる方たちがたいへん多いんですね、流派を問わず。この人たちの集まりが年に1回あってご一緒するんですが、一人一人がしっかり自立していいものを発信していこうと、それぞれが頑張ってやっています。その集合体として将来的に集まって何かできればいいと思っています。

 文化オリンピアードは、人と人とのつながりをもう一度見直す、いい機会なのではないかと思います。

—まずは人材がないとできることもできませんものね。

坂井 そうですね。プロの能楽師となるべき人材をどれだけ多く育てていくのかということが、一つ重要なことだと思います。昔はたいへん厳しかったようですが、最近は東京藝術大学の邦楽科があったり、国立能楽堂の養成所があったりしますので、一般の方でも能楽の世界に入って、プロになって活躍することもできるようになりました。

 後継者に恵まれない方もおられるわけですから、自分の子供を育てるだけでなく、自分の子供でない人たちにも、時には厳しく叱ったり、時には背中をぽんと押してあげられたら素晴らしいと思います。第三者から聞く話ってものすごく重みがあるんですよ。この方はその思いをずっと受け継いで生きておられるんだなと。

—そういう思いの伝承が伝統芸能なんでしょうね。

坂井 その人を目指すのではなく、その人の思い、その人が目指せなかったところを目指すと言いますか。「人生には果てがあるけれど、能には果てあるべからず」という世阿弥の言葉がありますが、そうやってどんどん練磨されていくのが日本の文化なんでしょうね。

—果てがないんですね。そういう思いで日々お稽古を?

坂井 あまり高いところを目指すと辛くなるので、登れそうな小さい山から(笑)。

 「大曲(たいきょく)」といわれる「大切な曲」に挑んでハイ終わりましたではなく、どういう境地に持っていけるかどうかが大切で、人間学ではありませんが、能の演目はそういうふうに作られています。そういう意味で最高峰と言われているのが「姨捨」です。

—「姨捨」が最高峰たる所以は?

坂井 色がないと言いますか、無色透明な感じとでも言いましょうか。父の舞台もそうでしたし、他の大先輩の舞台も拝見しましたが、体が透き通っているんですね。巧まずして、惹きつける何かがある。

 能は、難しさと奥深さが平衡している素晴らしい世界だと思います。奥深い=楽しい、その境地にたどり着くべく、これからもずっと探求し続けていくのでしょうね。

 

能楽師 坂井 音雅さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
さかい おとまさ
昭和49年能楽師・坂井音重の長男として生まれる。2歳6ヶ月で初舞台。6歳で初シテ(主役)を祖父・坂井音次郎追善能の「経正」で勤める。平成13年一子相伝とされる能「石橋」を披く。15年日中国交正常化30周年記念として北京・釣魚台迎賓館にて、能「石橋 大獅子」、仕舞「殺生石」を勤める。16年観世会初会にて能「翁」の千歳を勤める。坂井音次郎23回忌追善能にて、能楽師の登竜門とされる能「道成寺」を披く。「ロシアにおける日本文化フェスティバル」に参加。28年「国立劇場おきなわ開館10周年記念公演」にて能「道成寺・赤頭」を勤める。特定非営利活動法人白翔會理事長。重要無形文化財総合指定保持者

 

 

 

 

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