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1 The Face トップインタビュー2018年08月20日号

 
プロスキーヤー 三浦雄一郎さんさん
自分の可能性の限界を超えてみたい。

プロスキーヤー 三浦雄一郎さん

 子どもの頃からスキーと登山が遊びという生活を送る。1964年、イタリアで開催された直下降のスピードを競うキロメーターランセで世界新記録を樹立。1970年にはエベレストの8000m地点から滑降を成し遂げるなど、数々の世界記録を樹立してきた。86歳で南米最高峰アコンカグアに挑戦、90歳で4度目のエベレストを目指すプロスキーヤー、三浦雄一郎さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

滑降は、エキサイトしながら、世界にチャレンジしているという感覚。

—この秋にまたヒマラヤ山脈のチョー・オユーの登頂と山頂からのスキー滑降に挑戦するそうですね。

三浦 その予定だったんですが、中国の山岳会から75歳以上はだめだというお達しがあって……。今年の頭にね、急遽、中国が条例を作ったんです。

—それは危険だからということですか。

三浦 まあ、そうでしょうね。その代わりというわけではありませんが、南米の最高峰アコンカグアへ、来年の1月に86歳で行く計画をしています。

—チョー・オユーとアコンカグアとでは山の性質は違いますでしょう?

三浦 スケールが全然違います。チョー・オユーの方が1000m高いです。

1970年のエベレスト大滑降  撮影/小谷 明

1970年のエベレスト大滑降  撮影/小谷 明

—ではトレーニングは少し楽になるのでしょうか(笑)。

三浦 どれが楽でどれが楽でないということはなく、どこも大変ですけど、いろんな意味でスケールはエベレストが遥かに大きいですね。登山技術そのものも大変ですけど、年齢ですよね。これが50代とか60代ならまだしも、80歳を過ぎると標高8848mは1万mを超える以上のストレスになりますからね。

—山に登るだけではなくて、そこから滑り下りてくるのですよね。

三浦 そっちの方が大変ですね。命がけです。

—命がけの挑戦をし続けるそのエネルギーはどこから?

三浦 自分でできる限りはいろんなものにチャレンジしてみたい。できるかできないかという自分の可能性の限界、これを超えてみたいと思っています。

—スキーを始められた当初から、そういう思いはお持ちだったんですか?

三浦 そうです。大学に入ってから、世界の中でチャレンジしていきたいという思いが大きくなりました。

—大学を卒業して、アマチュアの資格を剥奪されたことも理由の一つでしょうか。

三浦 そうですね。それは自分の失敗でね、組織に歯向かったという(笑)。でも、結果的にはそれがよかったですね、僕にとっては。プロとして自分の立てたプランをどんどん実行できましたから。

—1964年7月にイタリアで開催されたキロメーターランセ(スピードスキー)で世界新記録を出したのが最初ですか?

三浦 その前に世界プロスキー選手権、そこでランキング8位に入って、それがきっかけになりました。最高は3位まで行きましたけど、その時代では世界のベスト10には入っていたと思います。

—ものすごい斜面を、滑るのは怖くないのですか。

三浦 怖いというんじゃないですね。自分はエキサイトしながら、世界にチャレンジしているという感覚。それが好きだったんですね。

—今まででいちばん興奮したのは?

三浦 やっぱり最初のエベレストのスキー滑降ですね。

—映画にもなりましたけど、転んで落ちて行った時はどんな感覚だったのですか。

三浦 99%助からない。というのは死ぬことですけど、死ぬというよりも、3千年、3万年たったらどこの世界にいるんだろう、生まれ変わりは何になるんだろうという好奇心。輪廻転生の世界。わくわくでもないけども(笑)、そういう感覚でした。

 

99歳でモンブラン氷河の滑降に挑戦する父親の姿に一念発起、エベレストを目指す。

—全く想像のつかない世界ですけれども、スキーを始めるきっかけは?

小学生時代、父・敬三に連れられて蔵王で山スキー (C)ミウラ・ドルフィンズ

小学生時代、父・敬三に連れられて蔵王で山スキー ©ミウラ・ドルフィンズ

三浦 僕は青森の生まれで、父親は日本のスキー界の草分けでしたから、自然の流れですね。小学校5年生の時のことですが、肺病、つまり結核の疑いがあるということで入院することになったんです。

 当時、親父は宮城県のスキー連盟の会長をやっていたものですから、東北大学のスキーコーチを頼まれていて、「退院できたら大学の山岳部の冬合宿で蔵王に連れていく」と言ったんです。それを聞いた途端、うれしくてうれしくて、病気なんかしていられないと(笑)。

—小学5年生で本格的な大学の山岳部の合宿について行ったのですか。すごい!

三浦 スキーは僕のほうが上手でしたね(笑)。今の蔵王と違ってリフトもバスも何もない。山形駅から食料担いではるばる歩いて登って行く、そんな時代でしたが、子どもって大人が思うよりもいろんな能力があるものなんですね。

—目標や夢を持つということは病気も直してしまうのですね。

三浦 そう思います。

—ところで60歳くらいの時に一度、登山とスキーから離れられましたね。

三浦 0歳になる少し前に、世界7大陸最高峰からの滑降を成功させたので、引退しようと思っていました。もうやることはないだろうと思って。

 基本的には今もそうですけど、飲み放題、食べ放題、運動不足。それで生活習慣病になって余命3年を宣言されました。このまま死んでもしょうがないと思ったんですが、その頃、父親が99歳でモンブラン氷河の滑降に挑戦すると。90歳から99歳の間に3回もスキーとトレーニングで骨折しているんですよ。それにもめげずに百歳近くになっても、自分の夢に向かってチャレンジする姿に刺激を受けまして、親父がモンブランなら俺はエベレストに登ってやると一念発起しました。

 僕自身もエベレストに3回登りましたけど、3回それぞれ心臓の手術をしたり、骨折したり、さらにぎりぎりでまた心臓の手術をやらざるを得なくなったり、そういう想定外のハンディキャップがあったんですが、それがあったから逆に頑張り通せたと思っています。

—今まで続けてこられて、スキーの魅力、登山の魅力とは?

三浦 スキーというのは山に登って滑り降りるわけですから、スキーと登山は一体化していて、僕の父親もそうですけれども、百歳越えて骨折しても、何としても治して滑りたい、そういうものなんですね。子どもの頃から我々の遊び場であるということだと思います。

 そういう意味で山が大きければ大きいほど、チャレンジする気持ちも大きくなりますし、実際に登ってもスケール感が違いますから、大きい山ほど魅力がありますね。

 

子どもたちや山の仲間が協力し、究極の老人介護登山をしてくれて幸せです。

—エベレストはまた登るのですか。

三浦 わからないです。僕が登ると言うと、また何歳以上はだめみたいなことが出てくるかもしれないので。それはそれとして、エベレストにこだわらなくても世界にはいい山がいっぱいあります。

 第一日本は、国土の70%が山岳地域で、四季ぞれぞれの変化がある。日本の山というのは低いけれど、そのふもとの森だとか、湖だとか、あるいは渓流だとか、そういうことを含めて相対的に素晴らしい。世界でも最も美しい山々がある国だと思いますね。

 それに日本の山がいいのは、富士山では高山病になりますけど、標高3000m以下ですから高山病の心配をあまりしなくていいところです。ヒューマンスケールと言いますかね、人間が山歩きをするのにちょうどいい山なんですよ。

エベレストへ向けて低酸素室でのトレーニング (c)ミウラ・ドルフィンズ

エベレストへ向けて低酸素室でのトレーニング ©ミウラ・ドルフィンズ

—特別なチャレンジがない時はどんな生活をされているのですか。

三浦 基本的には札幌で生活しています。札幌は近くに山あり、海あり、自然がいっぱいありますから、ちょっと散歩に行ったり、ハイキングしたり、ゴルフをやったりと、自由に遊んでいます。

—特別なトレーニングというのは、どこかに行くとなった時にスケジュールを決めてやっていくものなのですか?

三浦 そうです。今度、アコンカグアに行くために、来週の日曜日から南米に入ります。南米は今、冬ですから、アンデスのスキー場で3週間ちょっと、3000mくらいをベースに4000mぐらいまでの山でトレーニングをします。スキー場でリフトを使って午前中は滑り、午後は山登りというプランです。

 一昨日、青森で講演をしたんです。青森の出身ですから、同級生がいますね。でも生きているやつはほとんどいないんですよ。生きていたとしても歩けるやつがいない。寝たきりだとか介護だとか、そういう連中の方が多いんです。

 僕が65歳でエベレストに登るためのトレーニングを開始した頃は、藻岩山という札幌の500mの山も途中までしか登れませんでした。その頃は血圧190、狭心症の発作、もちろん不整脈はある。それを治療しながらトレーニングをして、結果としてエベレストに登ったんですが、病気になったりけがをしても、それであきらめることはない。まだまだ可能性はあるし、目標が大きいほど、病気やけがを治す力が強いと思いますね。

—やはり目標を持つということがいちばん大事なのですね。

三浦 エベレストだとか富士山でなくたって、温泉に行こうでも、旅行でもいいだろうし、何か行動する計画があればいいと思います。僕の父親は百歳を超えてもっと上手に滑りたいと言っていましたが、人間、いくつになっても向上心が大事。それが基本的にはアンチエイジングの原点だと思います。

—アコンカグアが86歳ですよね。90歳では何か目標を立てていますか。

三浦 今のところ90歳までは生きそうな感じがするので、現実には不可能かもしれないけど、90歳でもう一回エベレストに登りたい。エベレストがだめだったら、それに匹敵する山はいくつもありますから、そっちに行こうとは思っています。

 僕の場合は、子どもたちや山の仲間が協力して究極の老人介護登山をやってくれているので(笑)、そういう意味で、たいへん幸せですね。

 

プロスキーヤー 三浦雄一郎さんさん

撮影/宮田 知明

<プロフィール>
みうら ゆういちろう
1932年10月12日青森市生まれ。1964年イタリア・キロメーターランセで時速172・084㎞の当時の世界新記録樹立。1966年富士山直滑降。70年エベレスト・サウスコル8000m世界最高地点スキー滑降(ギネス認定)を成し遂げ、その記録映画はアカデミー賞を受賞。85年世界七大陸最高峰のスキー滑降を完全達成。2003年次男(豪太)とともにエベレスト登頂、当時の世界最高年齢登頂記録(70歳7ヶ月)樹立。08年75歳2度目、2013年80歳にて3度目のエベレスト登頂、世界最高年齢登頂記録更新を果たす。プロスキーヤー・冒険家としてだけでなく、全国で1万人以上が在籍する広域通信制高校、クラーク記念国際高等学校の校長としても活躍している。記録映画、写真集、著書多数。

 

 

 

 

 

タグ:エベレスト滑降 キロメーターランセ 世界記録 アコンカグア

 

 

 

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