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1 The Face トップインタビュー2013年08月20日号

 
写真家 内堀タケシさん
アフガニスタンで、写真はお金に換えるものじゃなく、伝える手段だと意識が変わった。

写真家 内堀タケシさん

 夢はプロスキーヤーになることだった。高校1年で関東大会に出場するも、雪国生まれ雪国育ちにはかなうはずもなく、5年間通った高校も卒業はならず。家業の飲食店を手伝ったがあまりに忙しく、1年半で店をたたみ、友人の誘いで南太平洋に。水中写真を撮りながら南米に渡り、リオデジャネイロで最初の奥さんと出会った。駆け落ち同然で、ヒッチハイクでニューヨークへ。子供ができたと分かって日本に戻り、カメラマンのアシスタントからスタートしたが、ブラジルの義父の具合が悪くなり……。写真家、内堀タケシさんの波瀾万丈の人生は、アフガニスタンへと続く。

(インタビュー/津久井 美智江)

空爆後の町で子供たちが凧揚げをしていた。こういう写真を撮らなくちゃダメだと思った。

—アフガニスタンの写真を撮るようになったのはどうしてですか。

内堀 日本写真家協会の仲間でフォトボランティアジャパンという団体をつくって、6切りの写真を額に入れ、毎年、六本木の富士フィルムフォトサロンで売って、集まったお金をいろんなところに寄付しているのね。だいたい100万円くらい現金が残るんだけど、2001年の9・11の後、例年通り今年はどこに送ろうかという話になって、「アフガニスタン大変だよねぇ、だれか知ってる人いる」ってなった。

ジャララバードから首都カブールに向かうソルビーの丘、遊牧民の子供がどこからともなく現れる。

ジャララバードから首都カブールに向かうソルビーの丘、遊牧民の子供がどこからともなく現れ る。

 僕、以前、雑誌の取材で日本で暮らす外国人を紹介するシリーズをやっていて、アフガン人の医師を取材したことがあったの。その人、京都大学医学部に留学してたんだけど、ちょうど卒業の年にソ連がアフガンに侵攻して帰れなくなっちゃった。そのまま日本に残って、日本人の奥さんもらって、静岡で開業医をしてるんだけど、毎週水曜日は病院を閉めて、茶畑の山の中の老人世帯に往診してるのよ。理由を聞くと、「向こうが動けなくて、こっちが動けけるなら、動ける ほうが動けないほうに行くのは当たり前だ。アフガニスタンではふつうだよ」みたいなことを言うわけ。すげぇと思って、静岡を通る時に寄ったりしてたんで、フォトボランティアジャパンの話をしたら、ぜひってことになって、12月に行くから一緒に来ればということになった。

—アメリカが空爆を始めたのが10月1日ですよね。

内堀 そう、その年の12月。それまでお気楽に写真撮ってたのが、これじゃ戦場カメラマンじゃねぇかよ、冗談じゃねぇ(笑)って思ったけど、仲間はみんな「行け行け」だし、先生は「来い来い」だし、断れなくて……。

 パキスタンのイスラマバードからペシャワールに行って、ペシャワールからアフガニスタンに入るんだけど、国境のカイバル峠までは、いまもそうだけど完全な自治区なの。完全に無理だと思ったよ。

—それでも何とかカブールにたどり着いた。

内堀 うん。そうしたら、子供たちが走り回って凧揚げしてるんだよね、空爆された後のぐちゃぐちゃな町の中で。BBCとかCNNが流してる、髭もじゃのターバン巻いた男たちが機関銃ぶっ放したり、戦車がガーガー走ってる世界だけじゃないんだ。こういう日常の写真撮んなくちゃだめだなぁって思って、それで僕の写真も変わったの。それまでお金に換えるだけの写真を撮ってたけど、そうじゃなくて人に伝える写真があるんだって、初めて目覚めた。

—ところで、お金は無事に渡せたんですか。

内堀 医師のお父さんが、日本で言えば司馬遼太郎みたいな人で、カブール大学に教え子がいっぱいいて、すぐに話がついて、教育省に渡せました。

 

ランドセルが学校の象徴になって、子供たちの就学率を上げるきっかけに。

青空教室でランドセルを机代わりに授業を受ける小学生。日本の支援による使用済みランドセルが村の子供たちの就学率を上げている。

青空教室でランドセルを机代わりに授業を受ける小学生。日本の支援による使用済みランドセル が村の子供たちの就学率を上げている。

—伝える活動の一つが小学校での写真展……。

内堀 そう。帰ってきてすぐに三鷹市の公民館で写真展をやったら、その写真を見た方が小学生だけど興味を持っているから、写真を見せて話をしてくれと。立て続けに何校かでやったけど、子供たちの反応はものすごくて、質問が止まんないの。

 こんなに求めてくれる人がいるなら、そういう写真を撮らなきゃいけないと思って、翌年2回行って、以来11回行ったかな。

—ランドセルを送る活動に携わることになったのは?

内堀 国土社から『アフガニスタン 勇気と笑顔』という本を出したんだけど、その時の印刷屋さんが、「毎年、余剰紙が出るんだけど、アフガニスタンは物資がないだろうから持っていく?」と言ってくれて、せっかくだから白い紙より何か摺って持っていこうということになって、4枚1セットのカレンダーをつくったの。「1万セットできました」って電話がかかってきたから、行ってみると、天井に届くくらいあるわけ。

 いったいどうやって持っていこうかって困っていたら、国際交流基金が半分持ってってくれることになって、後の半分を国際協力NGOジョイセフ(JOICFP)っていう団体が、ランドセルを送るコンテナの上に5㎝くらいの隙間があるから、その幅に梱包すれば入れてくれるってことになった。

 僕がアフガニスタンに行ってることを知ったジョイセフの人から「このランドセルが着いて、子供たちが使っている写真を撮ってきて」と頼まれて、関わるようになったんだ。

—ランドセルは役に立っているのですか。

女性の姿が見えないカンダハルのストリート。

女性の姿が見えないカンダハルのストリート。商店の売り子も男だけだ。

内堀 村の場合は、校舎もなく黒板だけの学校だから、そこに子供を行かせようという理解のある家と、そうじゃない家があるんですよ。ところが、朝、子供たちがランドセルを背負って学校に行くようになると、それが学校の象徴になって、「うちの子も行かせようかなぁ」みたいになる。就学率を上げる効果はすごくあると思う。

 女の先生がいないと女子は学校に行かせないとか、問題はいっぱいあるけど、村はまだいいの。問題は町。町に住んでる人たちは、自分の子供は学校に行かせるけど、地方から出稼ぎに来てる子たちは行かせいないんだ。パン屋の主人に「この子たちも学校に行かせてやれ」って言ったことことがあるけど無理だった。実際その子たちが学校に行けたとしても、たぶん給料が減って村への仕送り額も減るって意識があるから、本当は出稼ぎの子供たちのところに出張先生みたいな 形で出向いて、簡単な読み書きだけでも教えられるといいんだけどね。

—そういう活動も視野に入れているんですか。

内堀 ランドセルを渡すこと自体すごい大変で、なかなかそこまでは……。現地のアフガン医療連合っていうNGOが配布してくれてるんだけど、村の人たちと話をして、生徒のリストを出してもらったりして、その村にやる気があることを確認してからでないと、後で問題になったりするから難しい。ただポンとあげるなんてことできないんですよ。

 

信頼関係とお金だったら、圧倒的に信頼関係のほうが価値が高い。

—写真はお金に換えるものじゃなく、伝える手段だと意識が変わったとおっしゃいましたが、写真の撮り方とかも変わったのですか。

内堀 自分の思いとか撮りたいものとかを考えないようになった。だからアフガニスタンの学校に行った時も、とにかく全員バーって撮る。撮った写真の中から選ぶってことをしてるの。人や場面を選ぶようになっちゃうのがすごく怖いわけ。俗な人間だから、こっちのほうが売れるんじゃないかとか考えちゃうでしょ。そうやってどんどん差別的になっていくのが怖いのよね。

 それに僕は失ったものがいっぱいあって、それは経済と関係があるんだけど、お金を得ると失うものが大っきいって感じてて……。アフガニスタンに行って、価値観も変わった。

—例えば。

内堀 ビンラディンの情報に5億円とか賞金がついてたでしょ。アフガニスタンの友人に「ビンラディンの情報ないの? 5億円もらえるよ」みたいな話をしたら、真顔で「お前、もし俺に賞金が着いたら俺を売るか?」って聞かれたの。「ううん」って答えると、「そうだろ。信頼関係とお金だったら、圧倒的に信頼関係のほうが価値が高い。5億円より、俺とお前の信頼関係のほうが価値がある」ってはっきり言われた。

 それに、アフガニスタンには水道がないから井戸なんだけど、僕が井戸のほうに向かって歩き出すと、大人でも子供でも誰かがスッと寄ってくるの。なぜかって、ポンプを押さないと水が出ないから、一人だと手を洗ったり水を飲んだりするの大変でしょ。そういうことが当たり前なんだよね。

—人間っていいですね、まだまだ捨てたもんじゃない。

内堀 小学校で話をしてるって言ったでしょ。町に出稼ぎにきてる子が、村に仕送りしてるって話をした時に、「どうやってお金送ってるの?」って聞かれて、銀行もないしどうやって送ってるんだろうと思ったのね。翌年、パン屋のジアって子なんだけど、パン屋を辞めてたから町中探してやっと見つけ出して、「どうやってガズニ村まで現金を送ってんの?」って聞いたら、「簡単だよ、僕ガズニ村のジアだけど、そばを通る人いない?」って、一人ひとり当たって、渡してくれるという人がいたら預けるっていうの。

—すごい話ですね。

内堀 でしょ。小学生にその話をすると、全員が「盗られちゃうでしょ?」って言うんです。人を疑ってみる世界観と根源的なことが違うんだよね。

 ジアと引き受けた人は、「届けてくれるのね?」「いいよ、届けるよ」って言った瞬間に、信頼関係ができていて、それを社会の誰もが疑っていないんですよ。

 さっきも話したけど、信頼に対する価値がものすごく高い。ここではお金で簡単に人を裏切るようなことはあり得ないんだ、ここはそういう社会・世界なんだって、僕はアフガニスタンに行くといつも感動する。本当に人を信じて、信じてもらえる。そういうことがたぶん一番人間らしいこと、動物とは違う、人間らしいことだって思うんですよね。

—だから行きたくなる。

内堀 そうなの! 行けばお腹壊して、点滴打ったりするんだけど、すっごく行きたくなる。再会すると、みんなギュッとハグしてくれて、「元気だった?」って本気で喜んでくれる。人間の心の芯みたいなところでつながってるような気がするんです。

 

写真家 内堀タケシさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
うちぼり たけし
1955年、東京都杉並区生まれ。「何気ない日常」をテーマにルポルタージュを続け、海外取材は60カ国に及ぶ。特にアフガニスタン取材は2001年より11回の取材を敢行。ポルトガル・スペイン語圏にも精通する一方、俳句関連の取材で国内各地の暮らし、風土、行事などを撮影。著書に『アフガニスタン 勇気と笑顔』、『ランドセルは海を越えて』、『NHK俳壇』、『俳句・季語入門』など。NGOカレーズの会、(社)日本写真家協会会員。写真の可能性を追求する「写壇ぺん」主催。

 

 

 

 

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