HOME » トップインタビュー一覧 » トップインタビュー Vol.87 公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長・日本パラリンピック委員会会長 鳥原光憲さん

1 The Face トップインタビュー2015年03月20日号

 
公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長<br />
日本パラリンピック委員会会長 鳥原光憲さんさん
パラリンピックの全競技場を満席にすることが目標です。

公益財団法人日本障がい者スポーツ協会 会長
日本パラリンピック委員会 会長
 鳥原 光憲さん

 古豪として知られる小石川高校への進学を機にサッカーに挑む。大学、そして東京ガスに入社した後も現役選手を続け、仕事と練習を掛け持ちする日々を送った。引退後は監督、そしてサッカー部長を務め、東京初のJリーグチーム、FC東京設立に奔走。本業のガス事業でもその行動力と求心力は遺憾なく発揮され、社長にまで上り詰めた。公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長、日本パラリンピック委員会会長の鳥原光憲さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

競技レベルを高める、スポーツ環境を整える。
両方をバランスよく進めていくことが大事。

—2020年東京オリンピック・パラリンピックまで後5年と迫ってまいりました。パラリンピックに向けて今いちばん力を入れているのはどういったことでしょうか。

鳥原 やらなければならないことはたくさんありますが、何にいちばん力を入れなければならないかと聞かれれば、とにかくチケットを完売して、全競技場満員の観客で埋まる、そういう状態にすることです。

 ロンドンの大会が史上最高の大会だったと評価されていますけれども、ロンドンではチケット完売で満員の観客、これは相当な努力をした結果なんですよ。

 オリンピックとパラリンピックとを比べると、パラリンピックのほうがそういう状態にするのが難しい。去年、日本財団パラリンピック研究会が世論調査をした結果、パラリンピックの内容を正しく理解しているかどうか測る質問に、正しく答えた人は1%にも満たなかったんですね。

—1%ですか!

ロンドン2012パラリンピック競技大会開会式

ロンドン2012パラリンピック競技大会開会式

鳥原 国内で障がい者スポーツを観戦したことがありますかという質問に対しては5%未満。それから2020年東京パラリンピックを直接競技場で見たいと思いますかということに関しても非常に数字が低くて、オリンピックの半分ぐらい。

 まだまだ社会的な認知度が低いから、パラリンピックの啓発活動をこの5年間で徹底的にやって、満員の観客につなげていくということが大事だと思っています。

—ロンドンではパラリンピック競技も放映されましたが、すごい迫力でびっくりしたんですけれど。

鳥原 パラリンピックというと、一般の人は障がいのある人がやる特別なスポーツという見方ですが、ヨーロッパでは“エリートスポーツ”と言いますけど、純粋なスポーツとしての魅力があるんですよね。

—“エリートスポーツ”?

鳥原 “エリートスポーツ”というと、日本人にはエリート、育ちのいい人がやるスポーツというイメージがありますけど、そうじゃなくて、スポーツとしていちばん優れた、トップレベルのスポーツということです。

—なるほど。協会としては障がいを持っていても、みんなが同じようにスポーツを楽しんでほしい、楽しむべきだということが基本だと思うんですけれども、それを知ってもらうためにもトップの人たちに活躍してもらうことは大事でしょうね。

鳥原 パラリンピックは一部の人がやるものだ、もっと裾野を広げるような活動を大事にしなければいけないと言う人がいますけれど、世界のトップで活躍する人がいるから、その人みたいになりたいという人が増えて裾野が広がる。裾野が広がるとトップを目指そうとする人が出てくる。世界トップレベルまで競技レベルを高めるということ、身近なところでスポーツができる環境を整えるということ、この両方をバランスよく進めていくことが大事だと思います。

 

ショーケースの場としてパラリンピックに参加、日本企業のソフト、ハードを世界にアピール。

—パラリンピックが成功して初めて、オリンピックも成功したと言えると思います。バリアフリーなどインフラ整備について、協会として都に働きかけたり、要望を出されたりはしているのですか?

鳥原 2020年に向けた大会の準備活動は、組織委員会の中にバリアフリーをどうやって実現させていくかということに関する委員会もできましたが、我々は、特にパラリンピックに集まる選手たちが、最適な競技環境の中で競技に臨めることを第一に考えて、選手たちが求めている環境整備のニーズをちゃんと伝えなければいけないなと思っています。

IPC/Tokyo  2020オリエンテーション・セミナー

IPC/Tokyo 2020オリエンテーション・セミナー

—オリンピック、パラリンピックは、ある意味では日本の技術レベルを世界に発信していく非常にいいショーケースだという見方ができると思います。

鳥原 日本の企業がショーケースの場としてパラリンピックに積極的に参加して、世界にアピールができるということは非常に大事だと思います。

 水素エネルギーの利用や情報通信をはじめ、最先端の日本の技術を都市インフラや大会運営などで示す必要があります。

 また、ハード・ソフトのバリアフリー化を進めていく中で、社会全体のアクセシビリティを高めるという意味で、アクセシブルな商品・サービスの開発ということも必要になると思う。日本はアクセシブルデザインの商品開発に先進的に取り組んでいるので、こうした商品やアイデアを選手村などに大いに活用すべきではないかと思います。

—障がいのある人ができるだけ人の助けによらずに自分で働いて収入を得るためには、動きやすい状況をつくる、それがビジネスになるという世界があるわけです。障がい者のためのインフラ整備という言い方が正しいのか分かりませんが、パラリンピックはまさにそのショーケースと言えますね。

鳥原 国際パラリンピック委員会(IPC)の示す基本的なレガシーは4つあります。

 1つは都市全体のインクルーシブ(障がいのあるなしにかかわらず誰でも受け入れられる)なインフラ整備。これは今おっしゃられたような話も全部含んでいますね。2つ目は、障がい者スポーツそのものの発展、特にスポーツの普及拡大を図ること。3つ目は、障がいに対する社会の啓発。つまり、インクルーシブな社会づくりに不可欠な国民の意識の変革を促すこと。4つ目は、インクルーシブな社会に必要な商品やサービスの開発、障がい者の教育や雇用機会の拡大。

 このようなレガシーを、2020年を越えて将来の日本の社会に残るようにしていくことがパラリンピック開催の最大の価値だと思います。我々もスポーツの面だけじゃなく、そういった多様なレガシーを確実に創りだすことができて初めて大会を成功させたと言えると思っています。

 

始めたらやり通す、誘われたら断らない。その性分でサッカー一筋の人生を歩むことに。

—ご自身がサッカーの選手でいらしたと知って、とてもびっくりしたんですけれど、サッカーはいつから始められたのですか?

鳥原 私の時代は中学からサッカーをやるというのはごく限られた学校でしたので、高校からです。僕が行った都立の小石川高校は、伝統的にサッカーが盛んだったし、サッカーがいちばん歴史があって注目されるスポーツだったから、野球から転向した(笑)。

—ポジションは?

鳥原 今のポジションで言うとMF(ミッドフィルダー)、中盤です。

—東大に行かれて、そこでもサッカーをされて……。

鳥原 一度始めたらやり通す性分なんですよ。サッカーが好きになったからでもあるし、高校の先輩が大学にいてその先輩たちから誘われると断るわけにはいかない。

—東大のサッカーは強かったんですか?失礼ですけれど(笑)。

鳥原 それがね、僕らの頃は強かった。今みたいにサッカーが盛んな大学はあまり多くなかったから。そういう中で一生懸命やっていたからね、関東大学リーグの2部のいつもトップクラスでした。

 国立大学の全国大会でも優勝しました。関東大学リーグの新人戦では、決勝戦で早稲田に負けたんですが、その時、早稲田には釜本選手がいましたからね。

—ほんとに強かったんですね。東京ガスに入られたのもサッカーが関係しているのですか?

鳥原 無関係じゃないですね。会社に入る前に、会社訪問をした時に面会をしてくれた人事課長が一橋のサッカー部のOBで、ちょうどいいところに来たという感じで、会社に入ってからもサッカーをやるんだったら、ここで内定をしてもいいと(笑)。それで内定したんです。

—これは書いても大丈夫ですか?

鳥原 うーん。いいですけどね(笑)。

—それで、会社員とサッカー部の選手という二足のわらじをはくことになった。

鳥原 当時は、日本リーグができたばかりで、その下に関東リーグがあって、関東リーグに入っていたので、普段は仕事が終わってからグラウンドに集まって練習する、試合が近くなると一日ぐらい午後から練習するという感じでした。社会人ですから。

—その後は監督も務められ、FC東京の設立にも奔放されました。

鳥原 僕は別に名選手でもないし、輝くタイトルを取ったわけでもないし、何もお話しできるようなことはないんですよ。会社のチームを母体にしてFC東京を設立する時は苦労しましたが、その後はサポートしているだけです。まあ、自慢できるとしたら、サッカーを一筋にやってきたことぐらいかな。

—サッカーを続けていらしたからこそ、JリーグのFC東京設立の夢につながったのでしょうし、こうして障がい者スポーツというところに結びついているのではありませんか。

鳥原 サッカーをやってなかったら、もちろん障がい者スポーツ協会の今の役割もなかったでしょうね。

—毎週末、味スタに通われているとうかがいましたが、今でも?

鳥原 最近は、味スタに行くより優先順位の高い障がい者スポーツの競技会やイベントがありますので、まずそっち優先にして、そういうのがない時に味スタに……。だからゴルフをやる暇がなくなっちゃいました(笑)。

—2020年まで大変でしょうけれど、パラリンピックのチケット完売に向けて頑張ってください。微力ながら応援いたします!

鳥原 ありがとうございます。

 

公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長<br />
日本パラリンピック委員会会長 鳥原光憲さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
とりはら みつのり
1943年、東京都出身。67年、東京大学経済学部卒業、東京ガス株式会社入社。96年より原料部長としてLNG(液化天然ガス)調達を担当。オーストラリア北部 のガス田開発ではライバルの東京電力との協調体制を築く。2006年、代表取締役社長兼執行役員。10~14年、取締役会長、後に相談役。11年、公益財団法人日本障がい者スポーツ協会会長、日本パラリンピック委員会委員長(現在は会長)に就任。

 

  
 

 

 

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