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仕事に命を賭けて Vol.792015年03月20日号

 

東京消防庁 尾久消防署 予防課
危険物兼調査担当係長
武田 信幸

 文字通り、仕事に自分の命を賭けることもある人たちがいる。一般の人にはなかなか知られることのない彼らの仕事内容や日々の研鑽・努力にスポットを当て、仕事への情熱を探るシリーズ。今号が発刊する3月20日は、東京を中心に日本中を震撼させた「地下鉄サリン事件」が発生してからちょうど20年目にあたる日だ。今回はそのサリンそのものに現場で対応した、まさに歴史の証人というべき人物に、“見えない災害”の危険性を改めて語ってもらった。

(取材/種藤 潤)

サリンと知らず取り扱う“見えない災害”への恐怖

 「毎年3月になると、あの日のことはいやでも思い出します」

 取材中、終始笑みをたたえ、穏やかな雰囲気だった武田係長も、この話題の時には柔和な表情を保ちつつも、瞳の奥には計り知れない緊張感を宿していた。

地下鉄サリン事件。当日の築地駅周辺の様子

1997年3月20日午前の築地駅周辺の様子。この日、武田係長は地下鉄中野坂上駅構内で「サリン」を実際に扱っていた(提供:東京消防庁)

 1995年3月20日。武田消防士長(当時)は、創設されて数年しか経っていないNBC(Nuclear=放射性物質、Biological=生物剤、Chemical=化学物質)対応の専門部隊である化学機動中隊の小隊長として新宿消防署に務めていた。勤務に就いた直後の8時33分、危険排除の要請を受け、地下鉄中野坂上駅に出場、駅構内に入った。そこには事務室の長椅子等で横たわる多くの乗客たち、そして彼らを救護する救急隊員の姿があった。

 「我々は可燃性ガス測定器などで駅構内の大気を測定しながら進入しました。その後、事務室の横に置かれていたビニール袋が危険物質である可能性が高いとの情報を受け、地上に持ち出しました。車両に積載している赤外線ガス分析装置等で測定したところ、アセトニトリルという有毒物質であることが判明しました」

 その時、武田係長はもちろん、誰もがそのビニール袋の中が化学兵器で使用される神経系ガス「サリン」だということまでは分からなかった。

 「その後、地上で救助活動を手伝っていたのですが、周囲の消防隊員やその他関係者が続々と倒れはじめたんです。私も同じようになるのでは?と命の危険を感じました。防護服を着ていたおかげか無事でしたが、あの時の恐怖は今でも忘れることができません」

 

サリン事件を教訓にNBC災害の対応を強化

 武田係長はじめ同隊は活動を終了。中野坂上駅から引揚げる途中に「サリンの模様」との無線が流れ、そこでこの物質が「サリン」であると認識するに至る。その後、西新宿出張所に帰署したが、再度、霞ケ関駅に出場することになった。

危険物兼調査担当の業務

現在、武田係長(右)が担う危険物兼調査担当の業務である、危険物施設の指導現場。こうした未然に危険を防ぐ活動も、“見えない災害”に対する大切な任務だ(提供:東京消防庁)

「その1年前に起こった『松本サリン事件(1994年6月)』で、サリンの危険性は知っていました。まさか私が手に取ったのがそれだったと思うと……本当にぞっとしました」

 事件から20年。この教訓から東京消防庁内ではNBC災害への対応を強化。消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)だけでなく、ポンプ隊など現場に近い部隊でも対応できるように資器材の配置や訓練を行っている。

 幸い今日までサリンが脅威となった事件は、東京、さらには日本では起こっていないが、こうした“見えない災害”がいつ起こってもおかしくないと、武田係長は気を引き締める。

 「サリンのような物質は、目に見えないだけでなく、検知されるまで実態が分からないことが多いので、慎重に対処しなければなりません。その危険と立ち向かうためには、一人ひとりが常に自分の身を守る意識を持つことが大切になります。自分の安全が確保できてこそ、最善の消防活動ができる。その思いは、化学機動中隊を離れた今でも変わりません」

 

“見えない災害”を未然に防ぐ危険物管理も重要な任務

 現在、武田係長は尾久消防署にて危険物兼調査担当として、該当地区内にある危険物等を扱う約90施設に対し、危険性がないかどうかを定期的にチェックしている。いわば“見えない災害”を未然に防ぐ役割だ。

 「ガソリンスタンドや屋外タンク施設等を回り、安全に運用できる環境かどうかをチェックしています」

 化学機動中隊よりは危険度が低い職務と考えがちだが、そうした「大丈夫だろう」という安易な意識こそ禁物だと、武田係長は釘を刺す。

 「我々は危険を未然に防ぐのが仕事ですが、いつ何が起こるが分かりません。あの『地下鉄サリン事件』の時もそうですし、NBCとは別の現場でも私は目の前で爆発が起き、間一髪で命が助かった経験をしています。どんな場面であれ、何かあった場合に、冷静かつ適切に行動できる意識と技術を持つことが大切です。そのことは後輩たちにも常に伝えています」

 「地下鉄サリン事件」から20年を経た今、一見平穏に見える東京の街があるのも、あの日最前線で“見えない危険”と闘った人たちの高い意識の伝承があったからこそ、成り立っているのである。

 

【プロフィール】
1957年北海道生まれ、京都府育ち。1981年に入庁、同年8月より向島消防署、八王子消防署でポンプ隊員として配属。1992年より新宿消防署西新宿化学機動中隊小隊長として勤務、その3年後に地下鉄サリン事件に遭遇し活動する。その後、本郷消防署、志村消防署にて化学機動中隊を中心に活動。2014年4月より現職。

 

 

 

 

タグ:消防庁 地下鉄サリン事件

 

 

 

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