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1 The Face トップインタビュー2016年01月20日号

 
シテ方金春流能楽師 本田光洋さんさん
良い舞台が良い観客を育て、いい観客がいい舞台を育てる。

シテ方金春流能楽師 本田光洋さん

 “明治の三名人”と言われた櫻間左陣の最後の弟子であった父から、有り難くも厳しい稽古を受ける。植物の世界に魅せられるも、還暦を過ぎてなお稽古に励む父の後ろ姿を見て能楽師の道へ。前姿、あるいは懐を見たらたぶんやらなかったと笑うが、大学卒業後は能楽の普及に邁進。一人でも多くの人に能に触れてほしいと熱く語るシテ方金春流能楽師、本田光洋さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

日本人が共有する文化や美意識、それが古典というものだと思う。

—能はユネスコの無形文化遺産に世界で初めて登録されました。能が世界的に高い評価を得ているのはなぜだと思われますか。

本田 日本人の特性といいますか、平安時代の雅楽は雅楽として、能は能として、歌舞伎は歌舞伎として残り、新派新劇といいながらも百何十年もたってきているというふうに、そのものを変化させるのではなくて、それはそれで残しておいて新しいものができてくるというのが日本人の保存の仕方、特徴だろうと思います。

 一方でヨーロッパは、前のものが否定されて新しいものになりますから、古いものは残らなかったのですね。ヨーロッパの文化は今でも世界の主流ですが、写実主義が主体でした。日本人は音楽が好きなのだと思いますが、歌舞伎でも能でも文楽でも、みんな音楽があります。それに、写実的といっても様式的な演技。ヨーロッパの人にとっては、自分たちのやってきた写実主義とは違っている点が目新しかったのでしょう。絵画でもある時期、中国、日本のものが見直されたことがありました。

 能の特徴は、神様が出てきたり、亡霊が出てきたり、精霊が出てきたり、生霊が出たりと、人間の心の中に宿る精神的な世界を描こうとしているところです。写実というのはある程度やると行き着いてしまう。けれども精神の世界はきりがない。そこに能の魅力があるのではないかと思います。

能「江口」(2015年9月2日、国立能楽堂) 撮影/辻井 清一郎

能「江口」(2015年9月2日、国立能楽堂) 撮影/辻井 清一郎

—そういう意味では日本も、明治維新でそれまでの伝統や文化が否定され、さらに敗戦により相当なダメージを受けました。よくぞ持ちこたえたと思います。

本田 能は、中世の初め世阿弥の初期は田舎の祭礼でも行われていました。謡の文句は今も変わっていないのですが、この古典や信仰・宗教をちりばめた文言を、当時の観衆はわかっていたのではないかと思います。そういう時代が長く続いて、さらに上流階級の人もやるようになり、能は保護されてきたんですね。

 例えば俳人の芭蕉は、実盛が討ち死にした首洗の池(福井県)のところで「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」と詠みました。「むざんやな」と聞けば、謡曲の「あなむざんやな、これは斉藤別当にて候いけるぞ」を思い浮かべ、実盛のことだと連想したんですね。そういう文化や美意識を共有しているから、日本人同士安心して話ができる。日本人の意識の基盤、それが古典というものなのだと思います。

 ところで現代は、そういう日本人の文化的基盤が急に消えてきています。明治維新も太平洋戦争もあったけれども、今がいちばん大変なのではないかと関係者と話しています。ユネスコの無形文化遺産になりますと、「遺産になっちゃったのか!」なんて言われますが、絵画は発掘されれば残りますが、芸能は残りません。いつ遺産になってもおかしくないという危険性をはらみながらやっているわけです。

 

父の後ろ姿を見て能楽の道へ。
前姿、懐具合を見たらたぶんやらなかった(笑)

—伝統芸能を受け継ぐ家にお生まれになって、当然のことながら継ごうと思っていらっしゃったのですか?

本田 当然のことながら思っておりません(笑)。

—小さい頃からお稽古はされていたんですよね。

本田 はい。私が生まれたのが昭和17年。昭和20年が終戦で、東京のほとんどの能楽堂が焼けてしまいました。食べるものもない時代ですからお稽古する余裕もない方が多く、能楽師や芸術関係の人はみんな大変だったと思います。

 特に戦後は、第二芸術論などと言う人もいて「あんなことやっているから日本は負けたんだ」という風潮がかなり続きました。

 そういう時に、僕は3歳ぐらいになっていたんでしょうか、ここに暇な師匠と暇な弟子がいて、ありがたく稽古していただいたわけです(笑)。

 父は明治32年、1899年生まれ。19世紀の遺物と僕なんか言っていたんですが、父が本格的に稽古を受けたのが櫻間左陣先生。明治維新の頃には20歳くらいでしょうか、肥後の熊本から江戸に修業に出てきたんですね。もちろん新幹線もバスもありませんから、歩いて。参勤交代に従って来たんでしょう。殿様も雨が降れば旅ができず、川留めになれば「今日は鷹狩か、囲碁か、謡か」とそこに何日も逗留。要するに、生きたカラオケとでもいいますかね。後に“明治の三名人”と称されるのですが、父は晩年の最後の弟子だったそうなんです。

 日常生活では優しかったけれど、「壁は破れる、手から血が出る、ありがたい稽古であった。それをお前にやってやろう」というのですから、稽古は厳しかった(笑)。隣の家の人が、「もうそれぐらいにして!」と止めに来たという話も母から聞いています。

—他の世界に行きたいとは思わなかったのですか。

本田 私は子どもの頃から植物が好きだったのですが、植物の大学者で東大の教授をされていた方とその奥さまに父が稽古をしていたんです。

 稽古の時お宅に一緒について行きますと、大先生がお庭の植物をいろいろ説明してくださるのですが、そこへ奥さまが「植物は趣味になさいませ、食べていけませんわよ」と(笑)。

 それと父親とは42歳離れていましたから、僕が20歳の時には60歳を過ぎていて、普通なら定年です。そういう歳でも父は暇さえあれば稽古をしている。理想的後ろ姿教育といいますか、前姿を見ていたら、あるいは懐具合を見たらたぶんやらなかった(笑)。口では好きでなくちゃできないと言いながら、気がつけば他のことはできなくなっている。そういう育て方をうまくされてしまったというところでしょうか。

 大学を卒業して1年もしないうちに亡くなってしまい、大変な時期もありましたけれど、能は一人でやるものではなく流儀というものがあります。父がいなくなってからは、先輩の先生方や家元に指導していただいて、どうにかできるようになったと思っています。

 

若い頃にわかりやすい文化ばかりでなく、古典に接する機会を持つことが大事。

—流派があるとのことですが、金春流の特徴はどういうところですか。

本田 表現がおおらかなところだと思います、謡も舞も。近代の芸術は繊細になっている傾向があり、観世流はかなり繊細巧緻な芸風を持っていらっしゃる。そうかと思うと金春流以上に力で押してくる喜多流のような流儀もあります。

 金春流は中間的なところで、若い頃はおおらかなのは若々しくていいんですけれど、中年頃が難しい。繊細な表現をしようとすると、芸風がちょっと違ったりするところがありますのでね。

—平成24年から能が教科書に載るようになりました。能の置かれている状況は変わってきているのでしょうか。

本田 確かに法律規則は、あればそれは基盤になります。しかし、いちばん問題なのは教科書に載ったとして、果たして先生が教えられるでしょうかということです。

—先生が全く知らないわけですものね。

本田 京都とか金沢のように、歴史的基盤があるところでは当たり前に生活に入ってきていますが、そうでないところは、まずは先生に教えることが先決だと。能はいわゆる文法的解釈としての国語ではなく、芸能のシナリオであり、謡があり舞があり囃子があって一つのものができているということを学んでいただくことが必要だということです。

 私どもの能楽協会では、昔ながらの謡本では謡えないと思い、著作権を持つ家元の許可を得て、正確なドレミじゃないですけど、これに従えばなんとなくわかるというものを「羽衣」と「高砂」で作りました。

 今年で5年目になりますけれども、実技もやりますので1回だいたい30人で、年に10ヶ所ぐらいでやっています。能楽協会でもいちばん大事な仕事と位置づけております。

早稲田大学金春会の学生と御岳山へ

早稲田大学金春会の学生と御岳山へ

—まずは一人でも多くの人に能にふれてもらうことですね。

本田 そうですね。政府は今時の若者文化を世界にアピールしようとしていますが、ヨーロッパではクラシック音楽がちゃんと教育の中に入っています。日本もわかりやすい文化ばかりでなく、若い頃に古典に接する機会を持つことは大事だと思いますね。

 僕は50年以上大学のクラブなどで教えていますが、必ずしも実技家になってほしいわけでも、謡を謡えるようになってほしいわけでもありません。社会に出た時、「能を見たい」と誰かが言ったら、「能はこういうもんだよ、一緒に行こうか」と言える人材を育て、観客の裾野を広げたいのです。

 能は人数でやるものです。名人というのは一人で生まれるものでなくて、やはり底辺があってそのピラミッドの上に生まれるのです。そういう名人が良い舞台をやれば、良い観客が育つ。そして良い観客が良い舞台、名人を育てる。これはもう絶対ですね。

—2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、平行して文化プログラムを開催することが義務づけられています。能楽協会でも何か企画されているのですか。

本田 2020年の1回限りのイベントではなく、これから5年間の長期的計画として、オリンピックは若者の祭典ですので、日本の北から南までの若者が、文化を通じても参加できる催しになってほしいと思います。

 オリンピックには選手もお客様も若い人たちが大勢来ると思うので、そういう人たちに能の魅力を伝えていきたいですね。

 若い人の相手をするのは大変ですが、昔の話をしたり、経験を語りながら、僕らが直接伝えるべきものがきっとあるんじゃないかなと思っています。

シテ方金春流能楽師 本田光洋さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
ほんだ みつひろ
1942年、東京生まれ。65年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。47年、初舞台「三井寺」子方。48年、初シテ「初雪」。66年、「道成寺」披き。71年、カナダ及びアメリカの海外公演に参加。76年、「三井寺」シテ演技で文化庁芸術祭優秀賞受賞。92年、モントリオールにて「葵上」シテ。93年、デンマーク、スウェーデンにて演技指導。98年、クロアチアへ演技指導。2011年、日独修好150年事業の一環としてベルリン、ミュンヘン、エアワルト、デュッセルドルフで公演、講座を行う。(公社)能楽協会専務理事、日本能楽会会員、(公社)金春円満井会理事長、重要無形文化財総合指定者。

 

  
 

 

 

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