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1 The Face トップインタビュー2017年03月20日号

 
建築家 田根 剛さんさん
「場所の記憶」をつないでいく、それが建築家の仕事。

建築家
田根 剛さん

 2006年、弱冠26歳で国際コンペ「エストニア国立博物館」で最優秀賞を受賞。新国立競技場のデザインコンペでは「古墳スタジアム」がファイナリストに選ばれ、「宇宙船か古墳か」と話題になった。パリを拠点に活躍する気鋭の建築家田根剛さんにお話をうかがった。

(インタビュー/津久井 美智江)

建築は生き物、人が入って生き生きと動き出す

—建築家として世界的評価を得るきっかけとなったエストニアの国立博物館が、10年をかけて昨年オープンしたそうですね。自分の作品が完成した時のお気持ちは。

田根 何もない荒野にだんだんとでき上がっていくプロセスを見るのは、興奮するというか、建築の力を感じました。でき上がった時は、その美しさとかたたずまい、静謐な空間に感動していたんですが、建築って生き物なんですね。人が入り始めたら生き生きとした喜びが空間にあふれてきて、生き物のように動き出したのが印象的でした。

—このプロジェクトのコンペに勝ったのは26歳ですよね。

2016年10月1日にオープンしたエストニア国立博物館 Photo:Takuji  Shimmura

2016年10月1日にオープンしたエストニア国立博物館
Photo:Takuji Shimmura

田根 あってはならない年齢です。建築界では40歳くらいでようやく一人前。そこから住宅を始めて独立。運よく美術館やコンサートホールができれば何よりというのが普通なのに、僕の場合、スタートが逆になってしまいました。

—国籍の違う3人のチームですよね。どうやって知り合ったのですか。

田根 2005年、ロンドンに住んでいた時に、友人を介してダン・ドレルというイタリア人とリナ・ゴットメというレバノン人の二人と出会ったんです。仲良くなって一緒に何かやってみようと、ウェブサイトでコンペを検索すると、エストニアのナショナル・ミュージアムがヒットした。出会って数か月、実質3週間ぐらいで応募して、勝ってしまったので、びっくりですね。

—それにしても、よく通りましたね。

田根 よく通ったというより、よく選んでくれたというのが正直な感想です。旧ソ連軍の滑走路という負の遺産を使う、我々の「エストニアのメモリー・フィールド」という提案は、突出して他とは違う方向性を示していたと思います。

 とはいえ、国としては最初の国家プロジェクトですから、エストニアの建築家にやらせたいというのが正直な気持ちでしょう。ところが、ふたを開けてみたらイタリア人、レバノン人、日本人!「国籍に関係なく、このすばらしいコンセプトを形にしよう」と決断したエストニアはすごいと思いましたね。

—反発はなかったのですか。

田根 いろいろと物議はあったようです。特に歴史家の方が猛反対して……。でも、授賞式の時に文化大臣の方が言われたのは、「108の提案にはすばらしい提案や斬新な提案もたくさんあった。『エストニアのメモリー・フィールド』は、この場所にしか造ることができない、モニュメントではなくランドマークであり、我々が求めていた我々ための建築である」ということでした。

 僕たちのコンセプトは「傍らにある軍用滑走路を歴史の中から抹消するのではなく、その時代を引き継いで、新しく造り直して、ナショナル・アイデンティティとなるミュージアムと連携することに未来がある」ということだったので、形やデザインだけではなく、その場所の意味をしっかり汲み取って、「これは我々のためのものだ」と言ってくれたのがすごく印象的でした。

 

建築はその場所の意味を形にすること、展覧会は物や人の思考を物質化すること

—新国立競技場のコンペではファイナリストに選ばれ、「宇宙船か古墳か」と話題になりましたね。

田根 コンペ自体は2012年だったんですが、白紙撤回があって、実はこんなアイディアもあったと、逆に話題になった感じですね。

—今さらですが、次点が繰り上がるという選択肢はなかったのでしょうか。

田根 コンペの国際的なルールでは、1等がなくなった場合、2等が繰り上がるんですが、日本はそれをやらなかった。

 白紙撤回になった後、急にコンペが開かれ、突然、参加者が国内の建築家に絞られることになったなど、その辺は誰かがきちんと説明責任を果たすなり、明快にしなければならないと思います。

—当事者としては、許せないですよね。

田根 個人で許す許さない以前に、オリンピックという一大イベントの国際コンペであり、国民の税金を使っているものに対して、あってはならないことだと思います。日本はこれでだいぶ国際的な信用を失ったのではないでしょうか。

DGT時代のパリのオフィス

DGT時代のパリのオフィス

—今でも3人で事務所をやっているのですか?

田根 この4、5年はほとんど別々にやっていたので、エストニアが終わって10年を区切りに、それぞれの新しいやり方でやっていこうと三者で話し合い、昨年12月にDGTという会社は解散しました。1月からは独立して、パリを拠点に日本も含めた世界で仕事をしています。

—建築家としてだけでなく、展覧会やイベントなどのディレクターとしてもご活躍されていますね。

田根 展覧会の企画や展示の設計、デザイン、舞台美術といった仕事は、もう10年以上続けています。

 建築のような大きな仕事もありますが、短い時間だけど非常に密度の濃い、多くの人に見てもらえる仕事もすごく好きですね。

—「形が残るものと記憶に残るもの」と表現の仕方は違いますが、基本にあるのはどんなことですか。

田根 建築の場合は、場所が重要なので、その場所の意味をいかに形にしていくかということを考えます。展覧会の場合は、扱う物や人に意味があるので、その意味をリサーチしたり考えたりします。

 実際は、物をつくるというより物を考えるのが仕事で、自分たちの思考をいかに物質化していくかということをいつも考えている感じです。

 職人の人たちにいかにいい仕事をしてもらえるかとか、どうしたら使う人が使いやすいかとか、そういうことをこちらがどれだけ考えたかで、結果は全く変わりますからね。

 

人類が持っていた記憶を掘り返し、
それを未来につなぐことに意味がある

—海外で長く暮らしていらっしゃいますが、日本について思うところはございますか。

田根 ヨーロッパに住んで15、16年経ちますが、自分が生まれて育った場所なので、そろそろ日本の未来のことを考えなければならないと思っています。例えば、日本は人口が減っていくが、どうするのか。今はオリンピックで盛り上がっているが、その後どうするのか。そういったことが放置されたままなんですよね。たぶん僕らの世代は思い切りそれをかぶるので、考えているとだんだん暗くなっていくんですが、もう少し明るいことを考えないと……と、最近思うようになりました。

—何かきっかけがあったのですか。

田根 小池都知事が開いた「東京未来ビジョン懇談会」に呼んでいただいて、高校生から40代前半ぐらいまでの各界の方が17人集まって話をしたんです。その時、高校生の子たちがプレゼンテーションしたんですが、内容云々ではなく、彼らがすごく若々しくて(笑)。彼らが自分たちの未来、自分たちがこれから暮らしていくことについて一生懸命考えている姿を見て、それに励まされた感じです。

2014年にミラノサローネで発表した「LIGHT  is  TIME - CITIZEN」のインスタレーション。デザインアワードをダブル受賞するなど大きな話題となった田根氏の代表作

2014年にミラノサローネで発表した「LIGHT is TIME - CITIZEN」のインスタレーション。デザインアワードをダブル受賞するなど大きな話題となった田根氏の代表作

 彼らの未来について暗いことを話すのではなく、彼らが生きていく場所をちゃんと考えないといけない。僕らも希望を持ってやっていくべきだし、変えるべきは変えていかなければならないと思わせてくれたのは、高校生の若い力ですね。

—彼らもいろいろ押しつけられて困るかもしれませんが、自分たちのことですからね。

田根 考えてみたら、エストニアは人口140万人の国で、札幌市と同じくらいなんですね。その国があれだけの大きな博物館を造って、この10年で人が変わりました。前はむすっとしてあんまりしゃべってくれなかったのですが、今はおしゃべりで、みんな楽しそうにしています。その姿を見ると、社会の力とか人の気持ちは本当に大事だと思います。あれくらいの国でできるのですから、日本も頑張れという気持ちになりますよね。

—最後に、都政に対するご意見などあれば。

田根 「東京未来ビジョン懇談会」で、明るい未来の東京についてお話しくださいと言われた時、最初は「明るく頑張らなくてもいいんじゃないか、暗くても豊かな社会があるんじゃないか」と思っていたんです。

 未来というと、どこか空想のような、「ないもの」をつくるものだと思っていたんですが、そうではないと最近気づきました。ないもので未来をつくるのではなく、今、自分たちに、東京に、あるものをもう一度ちゃんと認識し、その「あるもの」の未来をどう考えるかということが、これからの東京にとってすごく大事だと思うようになりました。

—まさに「メモリー・フィールド」ですね。

田根 そうですね。日本も含め世界が目指した近代建築という一つの大きなムーブメントがあるんですが、新しいものを造り、新しい未来を作るのではなく、もう一度遠い過去に戻り、場所が持っていた、人類が持っていた記憶を掘り返して、それを未来につなぐことのほうが、もしかしたら意味があるのではないかと思わせてくれたのがエストニアのプロジェクトでした。「場所の記憶」を世代から世代へつないでいくことが、ひとつの場所にひとつの建築を造る僕らの仕事の本質だと思っています。

 

建築家 田根 剛さんさん

撮影/木村 佳代子

<プロフィール>
たね・つよし
1979年東京生まれ。建築家。2006年よりフランス・パリを拠点に活動。DGT.での10年間の活動を経て、2017年よりATELIER TSUYOSHI TANE ARCHITECTSを設立。代表作に『エストニア国立博物館』『A House for OISO』『虎屋パリ』『LIGHT is TIME』など。また2012年に新国立競技場基本構想国際デザイン競技で「古墳スタジアム」がファイナリストに選ばれ注目を集めた。フランス文化庁新進建築家賞(2008)、フランス国外建築賞グランプリ(2016)、芸術選奨文部科学大臣新人賞(2017)など受賞多数。現在、コロンビア大学GSAPP、ESVMD(スイス)で教鞭を執る。

 

 

 

 

タグ:建築家 田根 剛 エストニア国立博物館 新国立競技場ファイナリスト LIGHT is TIME - CITIZEN

 

 

 

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