廃プラ対策をもっと加速しよう

  • 記事:平田 邦彦

※写真はイメージです。記事と直接関係はございません。

あわせて過剰包装も考える

 インドネシアに漂着したクジラの腹から、6キロもの廃プラスティックが出てきたニュースは世界を驚かせ、一気に廃プラ問題に対するの機運が世界的に高まった。

 便利に使われてきたレジ袋も、有料化が進みエコバッグ持参の買い物客も増えてきてはいるものの、わが国ではまだまだそのスピードは遅いのではないだろうか。買い物袋を紙製のものに置き換えているところも増えてきているが、大きな買い物の袋についている持ち手の部分はプラスティック製だし、廃棄されたプラ製品が細密化して、我々の口に入る食品にも結構含まれているとの話も聞く。

 確かにプラスティックが果たしてきた役割は大きく、安価で成形も容易なだけに、幅広く使われてきたが、それがごみとなったときに、きちんと処理されることの難しさが、この廃プラ問題の根源となっている。

 分別収集もかなり浸透して、各地で規定に若干の差はあるものの、細分化した分別を求められてきたし、それも守られてきているが、完全とは言い難い。どんなに分別を強いてもプラ製品が使われている限り、この問題は解決しない。

 少なくとも身近なところで、レジ袋はエコバッグ持参を義務付けることと、必要とするなら紙袋で十分対応できる。この点はシステムの変更ではなく、意識の改善との視点に立った行政指導をもっと強化するべきだろう。

 加えて過剰包装についても考え直そうではないか。ほんの5〜60年前には肉でも魚でも経木とか竹皮に包まれて、それを新聞紙にくるんで売られるのが当たり前だったのが、これもプラトレイにとって代わられ、おかげで間伐も放置され、竹林にも人の手が入らずで山は荒れる一方となって、それが自然災害を誘発する一因となっている。

 この狭い国土にあって、自然との共生の中に成り立ってきた、我々の生活は輸入資源たる石油を原料とするプラスティック製品にとって代わられてしまった。

 おかきやクッキーにしても、型崩れしないように等との配慮からか一つずつ袋に入れられているが、ここでもプラ製品が幅を利かせる。それをご丁寧に箱に入れた上にさらにプラフィルムで包装し、最後に紙で包まれていたりもする。体裁を重んじてのことだろうが、それに慣らされた身には違和感すら失っている。中身は腹に入れば崩れていたって関係ないはずだ。

 これを機会に包装も考え直そうではないか。自然環境との共生こそが、我々人類に許される行為であると弁え、再生可能、自然環境を傷めない資源を活用してきた先人の知恵に習い、今一度見直して、意識の変革をしてゆくきっかけを与えられたと考えるべきではないだろうか。

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