コミュニケーションを取り戻そう

  • 記事:平田 邦彦

スマホ社会が、もたらすもの

 テレビドラマを見ていたら昭和中期の情景に固定電話の取次ぎをする光景が出て来た。そうだ、そんな時代もあった。誰もが携帯を持ち、メールでやり取りするのが当たり前となった今では考えられない不便さがそこにはあった。

 ワープロなる代物が事務所に見られるようになったのは、40年ほど前だろうか。機械に疎いオジサンたちは下書きを女子社員に渡して清書してもらうことが当たり前だった。

 それが今ではそれぞれがPCを持ち、およそ何でもそれで済ます時代となった。さらにスマホなる道具が進化して、PCの機能と引けを取らず仕事もこなせるまでに高機能化している。

 相手の状況をわきまえずに呼び出す電話は毛嫌いされ、メールでのコミュニケーションが当たり前になってきた。

 先進のオフィスにはもはや固定電話は姿を消して、社員はスマホを持たされるのが当たり前になりつつある。思えば便利な世の中になってきたが、それと引き換えに失ったものにも目を向ける必要がある。

 隣に座っているなら、直接話せばと思うのはロートルで、相手の都合、思考を乱さないためにはメールのほうが適当だとの考え方だとしたら、ちょっと待ってくれと言いたい。

 話をすることは、用件を伝えるだけではなく、必ず無駄な会話が介在する。季節の挨拶とか、暑いだの寒いだのの話に始まって、いろんな情報が飛び交う。どこの飯屋が旨かったとか、誰それがどうしたといった噂話の中に、互いの距離感が詰まり、人間関係が形成されているとは考えないのだろうか。

 新社会人のアンケートに曰く、固定電話が怖い。見知らぬ人といきなり会話をするのは恐ろしいことで、メールならそれなりに言葉を選び、的確に意思疎通ができるとの答えだった。

 話をすることとは、問わず語りに己をさらけ出し相手を理解する為に、不必要と思われる会話であってもそれなりの効用があると考えるのは老生の古臭い思いなのだろうか。

 どうも納得が行かない。人と話すことで話術は上達するし、自分の言いたいことを的確に相手に伝える術が身についてくる。自分だけが分かっていても、相手に伝わらなければ初めから会話は成立しない。それが用件だけを伝えるメールで果たせるのだろうか?

 絵文字を織り込むことによって、それなりの感情も伝えられるとも聞かされた。いやそれはそれで否定しないが、会話の持つ豊かさとは比較にならない。いくら自分が話したいことを口にしても、相手に受けなければ、次は工夫して相手に伝わる方法を工夫する。

 もっと言葉を口にしよう。それこそが自分を理解してもらえる方法なのだから。

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