理念、哲学だけでなく、実践するところに赤十字は意味がある。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

日本赤十字社 社長 大塚 義治さん

 栃木県の“かなりの山の中”で育った。中学3年の3学期、都立高校を受験するために上京。東京大学へ進学し、厚生省へ入省した。仕事をするなら弱い立場にある人、恵まれない立場にある人のために—。その想いは赤十字の精神に通じる。日本赤十字社社長、大塚義治さんにお話をうかがった。

赤十字の原点を守りつつ、非常に早い社会の変化に対応していく。

—昨年7月号に日本赤十字社医療センターの看護師で、国際救援の保健要員としてバングラデシュに派遣されていた山本美紗さんにご登場いただきましたが、もちろん大変なこともおありでしょうけれど、とても生き生きとされていて素敵でした。

大塚 海外支援や救援活動に出るスタッフにはできるだけ会って、出発前であれば激励をし、帰ってくれば労うことにしています。もう何度目というベテランもいれば、初めてという若いスタッフもいて、職種も医師、看護師、薬剤師、普通の事務職員といろいろですが、特に若い人たちに共通して感じるのは、きれいごとに聞こえるかもしれませんが、帰ってきた時、表情が輝いているんですね。自分の職業の原点を確認するような経験をしてくるんだろうと思いますが、いつも心を動かされます。

—若いのに頭が下がります。ぼーっと生きている私は何をやっているんだろうと。

大塚 チコちゃんにしかられる(笑)。

—まったく(笑)。日本赤十字社の社長になられて半年ですね。

大塚 早いものですね。社長になった時に副社長の名刺がたくさん残っていたので、もったいないから“副”を消して使うと言ったら、秘書課の職員に怒られた(笑)。つまり準備をしていたわけではなかったんです。

 近衞前社長とはお互いよく連絡を取りながら仕事をしていましたから、日々の仕事のやり方が大きく変わるということはないんですが、肩にのしかかる責任の重さは日が経つにつれて感じています。

—もうすぐ日赤が創立150年を迎えるということで、長期ビジョンを作られていますが、柱になることはどんなことでしょうか。

大塚 ひと言でいうなら原点を守りつつ、変化に対応していかなければならないということでしょうか。

 150年近く守り続けてきた大事なもの、いわば赤十字の理念みたいなものがあり、これは何としても守っていかなければなりません。一方で非常に速い社会の変化にうまく対応していく、変化に応じてやり方を変えていくということも非常に大事です。

 それはかなり勇気のいることですが、失敗を恐れずにチャレンジしよう。失敗するかもしれないけど、失敗したらまたやり直せばいい。それはそれで一つのステップとして意味があると気楽に考えればいいじゃないかと、若いスタッフたちに言っています。

 去年ノーベル賞を受賞された吉野彰さんが、「ノーベル賞のような大きな仕事をされた秘密というか条件は何ですか」という記者のインタビューに「執着心と柔軟性」と答えたんですね。執着心というのは、彼の言葉でいうと、しつこくあきらめずにこだわること。柔軟性というのは能天気なこと、何とかなるさと思うことだと。「実はこのバランスが難しいんだけどね」と、彼独特の表現でおっしゃっていましたが、非常におもしろいし、実感としてよくわかる。執着心と柔軟性。なるほどと思いましたね。

講習でAEDの使い方を学ぶ大塚氏

普遍的な発想に立ち、目標は具体的な行動。それが赤十字の特色の一つ。

—アンリー・デュナンという一人の青年が提案した赤十字の理想が約160で世界中に広まり、その考え方あるいは事業を継続してきたのはすごいことですね。

大塚 160年というのは長いようですが、私のひいおじいさんぐらいの時代ですよね。遠い昔ではなく、皮膚感覚でわかる昔。そう考えると非常に短いとも言えます。その間に192カ国、世界のほとんど全ての国が参加するまでに広がったというのは、とてもすごいことだと思います。

 おもしろい文献とか本にぶつかることがあるんですが、驚いた本の一つに新渡戸稲造の「武士道」があります。明治時代の本ですね。その中に、赤十字の話が出てくるんです。新渡戸稲造が言うには、日本に赤十字思想というのが入ってきて、あっという間に広まった。それはなぜか。大雑把にいうと、武士道という精神が日本人の精神構造の中にあって、それは実は赤十字の精神と非常に近い。だからあっという間に広まったと。

 そういう逸話にぶつかるともおもしろくて、私は赤十字コレクションといって個人的に集めているんです(笑)。

—まとめたらおもしろそうですね。

大塚 とってもおもしろい。赤十字というとある種の特別な理念、哲学みたいに受け止められるかもしれませんが、そうではなくて、もっと普遍的な考えだと思うんです。「惻隠の情」という孟子の言葉がありますが、私が日赤に来て「赤十字って何だろう」と考えた時、惻隠の情という感覚だと自分なりに思ったんです。なかなかいいじゃないかと思ったら、何のことはない。日赤の創始者の佐野常民もそういうことを言っているんですね。マイ・オリジナルどころか、創立者たちがそういう思いを持っていた。

 ただ、それだけでは赤十字とは言えません。プラス実践。考え方だけではなくそれを具体的に活動する、行動する。アンリー・デュナンの言葉で言えば組織化する、常日頃準備をしておく。理念、哲学だけではなくて、プラス実践というところに赤十字の意味があるんですね。非常に現実に立脚した発想だと思います。

 例えば赤十字の7原則の一つに“中立”がありますが、赤十字は紛争当事者のどちらにも味方をしませんということです。つまりどちらからも攻撃もされないような形に持っていくようにする。それは、あくまでも今まさに救いを求めている人々、救いを必要としている人々、紛争犠牲者であったり、あるいは傷ついた兵士たちだったりするわけですが、彼らに手を差し伸べることが赤十字の目的であり、使命だからです。

 中立という言葉一つとってもそういうバックグラウンドがあるわけで、普遍的な発想に立ってなおかつ具体的な行動こそ意味があるという実践性。それが赤十字の特色の一つではないかと私は思っています。

故郷の粕尾川で友だちと魚釣り。小学校5、6年の頃

日赤の仕事にめぐり会えて、とてもラッキーだった。

—大学を出られて厚生省に入られました。赤十字と相通ずる厚生ということに興味がおありだったのですか。

大塚 さあ(笑)。半世紀も前のことなので、記憶が定かでありませんが、仕事をするなら弱い立場にある人、恵まれない立場にある人のためにという気持ちはありましたね。

 今はこういう立場になりましたが、厚生省、後の厚生労働省で仕事をし、退官して素浪人をしていた時にお声かけいただいたので、正直に言えば、日赤で仕事をする必然性はなかったんですね。でも日赤で仕事をするようになって、これは素直にそう思うんですけど、とてもラッキーだった。こういう仕事にめぐり会えて幸運だったと思っています。家内が、私は日赤へ来てからのほうが役所にいた時よりも何だか生き生きしていると言うんです。それなら最初から日赤に行っておけばよかったねと(笑)。

—ところで、ご出身はどちらですか。

大塚 出身を聞かれると私は栃木県と言っているんです。おぎゃあと生まれたのは東京の下町ですが、戦後まもなくの社会的に不安定な時期でもあり、いろんな事情もあって、1歳になるかならないかの頃に栃木県に。かなりの山間の村で、“うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川”まさにそのとおりのところで育ちました。

—東京に出ていらしたのは大学で?

大塚 高校を受験するために東京に出てくることになりました。都立高校を受験するためには、都内の中学校に在籍しないといけないというので、3年生の3学期から。新しい中学校に行ったら、1クラス55人で16クラス。田舎の小学校、中学校で育った少年にとってはカルチャーショックもいいところでしたね。

—いじめられたりしませんでしたか。

大塚 それはありませんでした。下町の、決してガラが良いとはいえない中学校だったんですけどね。後から思えば、担任の先生が配慮してくれたんだと思いますが、私の席の周辺はみんないい子(笑)。

 当時の印象に残っている話をしますと、高校受験がうまくいって、郷里に住んでいたおふくろが「どうしても東京の担任の先生にお礼が言いたい」と上京してきたんです。一緒に先生のところに挨拶に行ったら、先生が「お礼を言うなら田舎の中学校の先生におっしゃってください」と言われた。その帰りがけ、おふくろが「おまえは田舎でも東京でも本当にいい先生に恵まれて、運のいい子だね」ってしみじみ言ったんです。私もまったく同感でした。

 ついでに言いますとね、田舎の担任だった恩師とは今でも時々お会いするんですが、おふくろは「先生から私を東京にやれと言われたんだ」と話していました。しばらく前、先生にお会いした時にそう言ったら、先生が「いや、おまえのおふくろさんが相談してきたから、俺は賛成したんだ」と(笑)。おふくろはもういませんから、真実を確かめようがないんですが……。

 田舎の友だちとは今でも年に一遍くらいクラス会をやっていますが、自然に囲まれたところで、伸び伸びと育つことができて、これまたラッキーだったと思っています。日赤との出会いといい、恩師や友人たち、故郷との出会いといい、私はとても運に恵まれているようです(笑)。

(インタビュー/津久井 美智江)

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