コロナウィルス禍に思う

  • 記事:平田 邦彦

ここでも自助、共助の対応を

 中国・武漢に始まった新型コロナウィルスの広がりは、今やヨーロッパを主舞台として、その先行きが見えない状況となっている。

 伝染力が強く、致死率が低いこのウィルスは、未だ制圧できる薬品、ワクチンが開発されていない以上、何時になったら終わりになるのか誰にも予測できない。

 中国に続いてクルーズ船騒動がおきたおかげで、日本も汚染地として認識されてしまって、世界は日本を対象とした措置を見せているが、英国に船籍を持ち、アメリカの会社が運営している船を、いわば人道的見地から手を差し伸べた措置を感謝するような論調はどこにも見られない。

 日本に比べ遥かに多い感染者と死者を出す国が次々登場して来たが、最初に引いた貧乏くじの汚名は簡単にははがせない。ここは臥薪嘗胆、粛々とできる手を打って、嵐の過ぎ去るのをじっと待つしかあるまい。安倍政権が講じたさまざまな措置が功を奏して、罹患者、死者共に低く抑えられていることは、大いに評価すべきと申し上げたい。

 街には人影が少なくなり、マスク姿ばかりが目立ち、テレワークの呼びかけが奏功して在宅勤務者が増えているのだろうが、姿が見えないからその実態はよくわからない。

 ただ一斉休校の呼びかけに対応した学級閉鎖であおりを食った共働き家庭とか、シングル・マザーのご家庭にはしっかり目を向けて、更なる手厚い援護策を講じていただきたい。

 流言飛語に惑わされることなく、淡々と耐え忍ぶしか、今のところは打つ手はない。ただ言えることは、それらを報道するマスコミの報道姿勢には、今回も疑義を持たざるを得ない。

 連日このニュースを流し続けることは、止むなきこととは言え、センセーショナリズムに毒されることなく、個人の立場でできる対応策を伝え、近隣を含めた共助の望ましい姿への提案がもっとなされるべきではないだろうか。

 人、金、物の動きが著しく低下している中で、これまで当たり前だったことが、できなくなっているのは事実だが、だからと言って愁傷狼狽することなく、冷静にできることからやる姿勢を保ち続けたい。

 一部に出たトイレット・ペーパー騒動などまさに憶測に踊らされた愚行であって、平素から災害に備えた備蓄を心掛けていれば起きようのない騒ぎだと断じたい。

 自助の心構えが試される良い機会と捉えて、今できることと、平素から心掛けるべきことを考えてみてはいかがだろうか。抜かっている点、考えが及ばなかったあれこれが、こんな機会だからこそ見えるのではなかろうか。

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