若手起業家を支援。化学反応が起きたらおもしろい!

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

株式会社 荒井商店 創業者・相談役/一般財団法人 荒井財団 理事長 荒井喜八郎さん

 固定資産税が払えず、止むなく始めた不動産業。自分で選んだ商売をしたいと、始めたのが病院経営。2つの事業のノウハウと経験を生かし、高齢者向けの施設の運営に進出し、いずれも成功を収める。現在は財団を設立し、若手起業家を支援するプロジェクトに邁進している。株式会社荒井商店創業者・相談役、一般財団法人荒井財団理事長の荒井喜八郎さんにお話をうかがった。

尊敬できる人の書生はどうかと思い そうそうたる実業家の門を叩いた。

—50年以上にわたって不動産業に携わっていらっしゃいますが、社会人のスタートは電通だったとか?

荒井 僕は都立の立川高校から、およそ似つかわしくない学習院大学に行ったんですが、3年生になって将来をどうするか考えたんです。親父は町の仕事師で、僕が高校1年の時に脳出血で倒れてずっと寝たきり。周りもみんな起業家というか、いわば零細企業、中小企業の仕事師。サラリーマンなんて一人もいない。

 森繁(森繁久彌)のサラリーマンシリーズを見ていたから、サラリーマンなんて平凡だと思っていたし、当時の僕は今思えば恥ずかしいほど、すごい自信家だったから、サラリーマンになればきっと出世すると信じて疑わなかったわけ。そんな決まっているような人生、おもしろくねえ、やめた、と。じゃあ、どうしたらいいか。三助になろう!

—なぜ三助に?

荒井 福沢諭吉がね、三助をほめているんですよ。自主独立の仕事として。それで、自分は焼き芋屋になろうと考えたんです。夏にサツマイモを作って冬に焼き芋にして売って歩けば自主独立だと。

 そんなことを考えているうちに、自分の尊敬できる者の書生になってはどうだろうという考えが浮かんだんです。凝り性なものですからね、本当に書生になる気はないんだけど、例えば“電力の鬼”と呼ばれた実業家の松永安左エ門とか、そうそうたる連中の門を叩いたんです。松永安左エ門は小田原へ10日ぐらい通いましたよ。

 たまたま野村證券の下を通った時、「そういえばここに奥村綱雄というサラリーマン社長がいる。大したことないだろうけど会ってやろう(笑)」という感じで、のこのこ入っていった。何回か通っているうちに会ってくれる人もいるけど、たいてい最初は断られるんだよね。ところが、珍しいことにすぐに秘書が出てきて「会わせましょう」って言うのよ。しばらくして会いに行って、1時間ぐらい問答してね。結論として「俺のところに来い」と言う。

 僕は学習院で証券研究会というのを作っていたんだけど、「証券はあんまり好きじゃないからいやだ」と言ったの。「だったら好きなところを言え。俺が紹介すればどこでも入れるから」と。1時間話しただけで、さすが大したものだよね。

どちらも大したものだと思います(笑)。

荒井 当時、電通は「広告の鬼」と呼ばれていた吉田秀雄が社長で、大したものだと思っていたから、「電通を受けます」と言うと、「じゃあ入れてやる」ということになった。ところが電通は試験をやるという。試験なんて入学試験以来やったことないから、どこか受けておこうと思って、三菱商事と東洋経済新報を受けたの。優以外ないし、学校推薦あるからさ(笑)、どっちも受かったけど、電通に入ったわけ。

 実は、山田光成と吉田清貫という男が作ったJCBという会社があって、クレジットは必ず伸びると思ったから、本当はそこに行きたいと思っていたんです。でも親父がまだ生きてるでしょ。電通はさすがに知っているけど、JCBなんてわけのわからないところやめてくれと。親孝行ですよ。

ワン・ロデオ・ドライブビル

米国・ビバリーヒルズを代表するショッピングストリートにあるワン・ロデオ・ドライブビルも荒井商店の所有

不動産屋は偶然始めた商売、自分で選んだ商売として病院を作る。

—電通はいかがでしたか。

荒井 配属されたのは営業局中央部というところで、主流中の主流。とにかく封建的ですごいんだ。朝は7時に出勤、夜は毎日午前様。僕は朝日新聞の担当になったんだけど、朝日はアンチ電通みたいなところがあったから、翌朝届ければいい原稿でもとにかくその日中に届けなければいけない。その代わり全部ハイヤーだけどさ。家で寝る時間は3時間ぐらいしかなかったですよ。

 丸2年たって親父が死んで、吉田秀雄も死んじゃったんですよ。それで電通を辞めて、JCB行くことにしました。ずいぶん仕事しましたよ。加盟店係で、当時の大きな加盟店はほとんど僕がやったの。楽しく仕事をしていたんだけど、急に固定資産税が上がって、住んでいる家の固定資産税が払えなくなった。

 しょうがないから土地を売りに出したけど、売れない。四苦八苦していたら、JCBの社長が「待っててやるから、いったん家に帰って整理してこい」と。それで、休職したんです。でも、土地はあるけど金はない。なんとか金をかき集めて、50世帯ぐらいの公団型アパートを2棟造りました。そうこうしているうちに結婚して、不動産の会社も作ったので、JCBを辞めて、不動産屋になって、今日に至ると。

—仕方なく始めたとはいえ、どんどん大きくなって……。

荒井 確かに僕も一生懸命努力はしたけど、時代がよかったのよ。高度成長期でしょ。インフレでしょ。人口も増えるし、ビジネスも多様になる。ディベロッパーは売ったり買ったりだけど、僕は貸しビルで売らなかったから残っただけなんですよ。

鶴巻温泉病院

リハビリテーションで知られる鶴巻温泉病院

—でも、病院や老人ホームの経営にも進出されました。

荒井 不動産屋は偶然始めた商売でしょう。だから、自分で選んだ商売をしようと思って、それで病院を作ったんですよ。そして、途中で両方を合わせた老人ホームも始めたというわけです。

—なぜ病院だったのですか。

荒井 僕は身体が弱くて小学校2年から5年まで学校に行ってないんですよ。そういう意味で医療に興味はあったけど、日本人ってみんな病院好きでしょう。それに教育熱心。だから病院か学校だと思ったの。たまたま病院のほうが先に資料が集まったので、病院を始めたんです。

—鶴巻温泉病院ですね。そちらは全国に先駆けてりハビリテーションを取り入れたことで知られています。

荒井 おふくろが病気になって慢性期になった時、いろんな病院を見て回ったんだけど、どこも満足できなかった。それで、長期入院ができる環境の良い病院を作ろうと思ったということもありますね。

 長年培った不動産業のノウハウと、この病院経営の経験が、介護付き有料老人ホームやサービス付帯の高齢者向けの住宅につながっていきました。

志の高い若手起業家同士の交流を促進し、育成・支援を行う「荒井倶楽部」をスタート。

—2015年には荒井財団を設立されましたが、目的は?

荒井 堅苦しく言うと「社会貢献を志す人材の育成や交流の促進を図るとともに、幅広い社会貢献活動への物心両面に亘る支援を行うことで、地域及び社会の形成と発展に寄与すること」です。

 ワセダクロニクル(ジャーナリズムNGO)の活動を支援したり、日本文化を語る会や近代史勉強会を主催したり、スペシャルオリンピックスの活動やパラリンピック出場を目指す選手を支援したり、まあ、いろんなことをやっています。

荒井倶楽部のコワーキングスペース

荒井倶楽部のコワーキングスペース

—そして今年、創業支援オフィス「荒井倶楽部」を発足されました。具体的にはどんな支援をされるのですか。

荒井 荒井財団が借りた南青山のテナントビルのワンフロア(120坪)をコワーキングスペースとして志の高い若手起業家たちに無料で開放することで、彼らの活動を後押しするんです。それから、事業創出に必要な知識や事業モデルを磨くための実践的な支援として、荒井倶楽部サポーターの専門家や先輩起業家からアドバイスも受けられるようにしています。

 正会員が対象の個室ブースが10あって、ほかにパブリックスペースとしてミーティングルームや会議室、ラウンジなどがあります。パブリックスペースは準会員でも使うことができます。

 今のところ正会員は8組で、準会員は5組。20組ぐらいウェイティングしているんじゃないかな。

—正会員はどんなグループなのですか。

荒井 高齢者の旅行をサポートする医者のグループとか、本当にナースが必要なナースコールかどうか分かるようにするシステムを作ったナースコール改革とかね。

 これは大成功すると思うけど、産業廃棄物の有効回収術。産業廃棄物って無駄が多いらしいんですよ。例えばビルを壊すとガラが出る。コンクリートもあれば鉄骨もある。そういうものを効率的に回るシステムなんですよ。

 あとはさっき話したワセダクロニクル。これは大したもので、今度ワシントンポストが取り上げるらしいです。

 ほかに、介護保険の改革をしようというところとか、政治家のプロモーションを格安にやるところとか。ねえ、おもしろいでしょう。

—理事長も面接されているのですよね。選ぶ基準は? 

荒井 人間です。僕は投資しているわけじゃないから。投資するということは成功するかどうかがポイントでしょ? 僕は儲ける気はないから、おもしろければいい。とにかく若者の一生懸命な姿は見ているだけで自分も楽しくなるじゃない。

 それに幅広い分野の人が集まって、自由に情報や意見を交わすことによって、化学反応が起きたらもっとおもしろい!

—なるほど。

荒井 一つ言っておかなきゃいけないことがあるんですが、会社は14、15年前に全部売ってしまって、今は相談役です。本来なら、今でもオーナーとしてやっているんでしょうけど、跡継ぎがいない。後継ぎがいないなら、いずれ売ることになるから早く売っちゃおうとね。私が、おこがましくも、成功者みたいに言われることがあるけど、運が良かった、時代が良かった、社員もよくやったということですよ。

 それにしても、21、22の若輩者が、図々しく飛び込んで、会ってくれとか、80の爺さん相手に人生問答するとかさ、よくそんなことをやったなと思うよね。

—本当に……。すごいです!

(インタビュー/津久井 美智江)

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