技術だけでなく、大切なのは人としての心の豊かさ

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

株式会社ハチオウ 代表取締役社長 森 雅裕さん

 化学物質の恩恵により、人々の生活は便利になったが、その研究開発の工程や製造の現場ではさまざまな廃棄物が発生する。それら化学系廃棄物の処理・回収を専門にするのが株式会社ハチオウ(八櫻)だ。同社代表取締役社長、森雅裕さんは経営理念である「五訓」を備えた上で持てる技術を活かし、社会に貢献したいと熱く語った。

試験・研究開発や製造の工程で発生する廃液や試薬などの薬品を化学的に処理する。

—化学系廃棄物の処理・回収が専門ということですが、具体的にはどのようなことをされているのですか。

 化学系廃棄物の事業を始めるに当たっては、実はその前の事業が関係しているんです。

 弊社の隣に森銀器製作所がありますが、そこは東京の伝統工芸品である東京銀器を製造している会社で、職人だった私の祖父が設立した会社です。父もその家業を手伝っていたのですが、原料である銀の地金を自分で供給できるようにと考えたんですね。

 折しも、佐藤内閣が公害国会を開いていて、公害関係法令が制定され、その時に廃棄物処理法もできた。これからは廃棄物の処理も求められる時代になると、二つの目的が合致して、1970年に銀のリサイクル事業からスタートしたんです。

 大手の工場なら自社で処理施設を造ることができたでしょうけれど、中小企業には難しい。当時は都内の至るところに町工場があった時代で、特に印刷業は同じく東京の地場産業で、そこから発生する写真廃液や亜鉛凸版廃液の処理に困っていました。

 弊社が、容量分析のノウハウを元に、引受先の無かった亜鉛スラッジを湿式による資源化技術でその処理のお手伝いをしているうちに、六価クロム廃液など新たにさまざまな廃液や薬品などの処理の相談も多くなり、時代の流れに合わせて都内での化学系廃棄物処理の事業が本格化しました。

—印刷と銀は関係があるのですか。

 今はデジタル化が進み激減しましたが、印刷の製版という工程で銀塩写真の技術を使うんです。塩化銀、臭化銀、ヨウ化銀などのハロゲン化銀を感光材料として使用した写真フィルムを使うので、フィルムの中に銀が入っています。

 現像後、投影していない部分には銀が残っていますから、そのフィルムを燃やして銀の入っている灰を溶解する、あるいは写真を現像する工程で発生する廃液から電気分解で銀を析出させて回収するなどして、銀のインゴットバーのもとになる素銀を作るんです。

—廃棄物というと建物を壊して、破砕機にかけて選別をするというイメージでしたが、むしろ化学の実験みたいですね。

 そうですね。破砕などのように物理的に処理をするというより、化学反応で廃液中の重金属などを無害化する技術です。

—無害化?

 廃液中に入っている有害な成分や重金属などの成分を、化学反応によって安定した状態、水に溶けない状態に生成させる処理のことです。

 私たちの生活にはあまり関係ないように思われるかもしれませんが、実はすごく生活につながっていて、例えば情報通信機器や医療機器、薬もそうですが、新しいイノベーションによって私たちの生活が豊かになっていますよね。そこには必ず技術開発が必要で、その工程ではいろいろな廃液や汚泥が発生しています。それを私たちが処理しているんですね。

 社会が進化していく裏側で、私たちもそれに合わせて進化をし続けていかなければなりません。機械化できる部分は自動化する。しかし、廃棄物故に多種多様な廃液が出てきますので、その都度正しい処理が必要です。それを管理できる技術者、ハンドリングできる人材を育成していくことが不可欠であり重要です。

処理後の残渣が基準値を満たしているかを分析

処理後の残渣が基準値を満たしているかを分析。処理品質を確認するために処理過程で分析をすることもある

東京から出る化学系廃棄物は、可能な限り都内で処理したい。

—いちばんご苦労されているところはどんなところですか。

 すべて苦労しているんですけど(笑)。

 そうですね、施設を新しく造りたいのですが、普通のメーカーが工場を造るのと違って、産廃処理施設ゆえに、都内ではなかなか工場が建てられないところが苦労ですね。

 弊社は墨田区と八王子市の二ヶ所に工場がありますが、東京に特化した処理業者として、都内の化学系廃棄物を都内で処理することにこだわりたいんです。地域で発生した廃棄物はできる限り地域内で処理するというのが理想じゃないかと思っているんです。

—そこまで東京都内にこだわる理由は? 

 理由はいくつかあります。

 パソコンにしてもスマホにしても医療機器にしても薬にしても、皆さんが生活の中でお世話になっているものですよね。

 東京はそのイノベーションを生む研究開発が多い土地です。また、理系の大学も多いです。さらには、それらの新しい技術の恩恵を最も受けているのが都民であり、都内で働く人々だと思っています。だからこそ、これらの廃棄物の処理を地方任せにするのではなく、都内で処理できるようになりたいんです。

集合研修で情報を共有

集合研修で情報を共有

 そして、一番大切な理由は、墨田区と八王子の工場の技術スタッフが、お客さまのところに電車や車ですぐ行けることです。廃棄物を出すお客さまと、処理する技術者が顔を合わせやすい距離にいるということは、非常に大きなメリットなんですよ。

 例えば、都内のある理系大学にうちの社員が常駐して、大学の先生と一緒に実験室から出る廃液や薬品管理のお手伝いをしています。実際に処理の実務をしてきた技術者が、その発生現場の管理支援をすることは、安全と適正処理のために役立つのです。

 化学系廃棄物は、目で見て判断できないことが多い。ですから、出す側の情報と管理がとても重要なんですね。単純に法律で定められたことを守っていればいいわけではなく、人と人のつながりの中で解決していくことが多いので、コミュニケーションがとても大事なんですよ。

 だからこそ、東京から出る化学系廃棄物を適正に処理できる工場は、他県ではなく都内に造りたいというのが私のこだわりなんです。

 廃棄物処理業のような、人びとの生活が豊かになるためのイノベーションの裏方を支えている施設も必要だという社会的な理解、コンセンサスが得られると嬉しいと思っています。

東日本大震災後の福島で、化学工業団地の廃棄物処理に携わる。

—具体的な工場のイメージがあるのですか。

 地域の未来に安心を繋げて、地域のためになる化学系廃棄物処理の複合施設を建てたいと思っています。具体的には秘密なんですが(笑)。

 その地域に万が一何かあった時に電力を供給できるとか、温水が確保できるとか、いわゆる災害拠点となるような施設は、もはや当たり前となっています。多摩エリアですと、災害拠点の必要性は高まっていると思います。昨年秋の大雨の時は実際に川の氾濫や土砂崩れしてしまった場所がありましたからね。そういう時に避難場所となれる処理施設が造れたらいいですよね。

 また、大量に発生するであろう災害廃棄物は一般廃棄物ですから、自治体が処理しなければならないのですが、我々産廃業者もお手伝いできるという形が取れれば、少しでも早い地域の復旧に協力できるのではないかと考えています。いずれにしても地域のための施設でありたいと思っています。

—災害の時は一般廃棄物だとか産業廃棄物だとか言っていられませんものね。

 そうですね。大規模災害が起きた時に、産廃業者が協力する事例は全国的に一般化していると思います。

 実は、弊社にも福島を応援するプロジェクトがあったんです。福島の原発のすぐ近くのエリアが放射能汚染され、完全封鎖になったわけですが、そこに化学工業団地があったんですね。そこは時計もその時間で止まっているんです。大震災から3、4年経った頃に声がかかったんですが、要はそこを中間貯蔵施設に造り替えるために、全部更地にしたいんだと。工場内は地震直後のままで、製造中の薬剤はもとより、配管内、タンク内もそのままで、地震で倒れていたり、津波で潮をかぶっているのもあるんですよ。それを現地で処理して欲しいというご依頼でした。

 放射線レベルの高い場所なので「断ろう」という意見が役員はじめほとんどだったんですね。でも、一人の幹部社員が、「ぜひやるべきです。話を聞くだけでも聞きましょう」と言うんです。依頼者から、話を聞くと「放射能の管理は依頼者の専門分野なので責任を持つ。ケミカルの管理をハチオウにお願いしたい」と。

無害化処理をしている様子

無害化処理をしている様子

 東京と福島の間で会議を重ねて、「それならできそうだ」とお引き受けしたんですが、この仕事の希望者を募るために手を挙げてもらうこととしました。そうしたら、「ノーという選択肢はありませんよ!」と言う社員が複数いて。嬉しかったですね。それに、福島の責任者が心のある立派な方で、素晴らしいチームが成立しました。

—どれくらいかかったのですか。

 2年半くらいですかね。そこで活きたのが、弊社の経営理念でもある「五訓」です。「1つ.ありがとう という感謝の心、2つ.すみません という反省の心、3つ.はい という素直な心、4つ.おかげさまで という謙虚な心、5つ.私がします という奉仕の心。」という、この「五訓」が弊社の企業風土を作ってきたんですね。

 福島の現場は、指示命令で仕事が済むような現場ではありませんから、顔も合わせたことのない現地の人たちと、いかにうまく短時間で良いチームを作るかというところが勝負所です。

 先ずは、五訓に従ってハチオウの社員がトイレ掃除と挨拶を率先しようと話し合いました。長期に渡った福島のプロジェクトが成功したのは、そういう現場の日々の積み重ねのお陰でした。感謝しきれない思いです。

(インタビュー/津久井 美智江)

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