区民がいかに暮らしやすい町を作るか。それが区長の仕事です。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

港区長 武井 雅昭さん

 両親は教員、親戚も教員が多く、いわゆる教員一家に育つ。ビジネスの世界でバリバリやるイメージがなく、人のためになる仕事をしたいと公務員になった。ところが青天の霹靂、区長選に出ることに。立場は違えど、区民のために働くことは同じ。区と区民を身近なものにするために日々、邁進している港区長、武井雅昭さんにお話をうかがった。

歴史の中で守られた緑と、新しく生まれた緑が調和する町。

—港区というと都心にあってハイソな町というイメージがありますが、区役所のある芝エリアはすごく緑が多いですね。

武井 皆さん、区長室に入られると驚かれます。都心というと、昔の言い方だとコンクリートジャングル、無機質なイメージを持たれる方が多いですが、水辺もありますし、お台場の海岸もある。住んでいる方はもちろんですが、今ある86か国の大使や外交官の方も、緑が多い環境をとても気に入って評価していただいていますね。

—港区の緑被率は何%くらいなんですか。

武井 約22%、23区の中でも上から数えて4番目くらいではないかと思います。神社やお寺、あるいは大名屋敷もあったところですから、その庭園が残っていたり、歴史の中で緑が守られていたということはありますね。

 一方で、開発によって緑が失われるのではなく、逆に緑を生み出すということに取り組んでいます。高層ビルがたくさん建ち並んでいますが、容積率が大きい大規模な開発の場合は、敷地の半分は緑化することという、けっこう厳しい緑化基準を設けて緑の率を高めているんです。

—緑って増やすこともできるんですね!

武井 そうなんです(笑)。

 区の計画の中に緑の軸というものを描き、各事業者さんには、開発が行われているそのエリアの中だけではなく、緑の連続性を意識していただいています。緑を巡りながらの回遊性を確保し、生活の中の緑を身近に体感していただける町づくりを目指しているんです。

 港区は幹線道路一つ入るとたいてい住宅地です。路地に鉢植えがあったり、小さな空間を利用して草花を育てていたり、そういう緑も身近に感じることができるんですよね。

平成30年から開催されているMINATOシティハーフマラソン

平成30年から開催されているMINATOシティハーフマラソン

さまざまな部署を経験し、人脈が広がった。

—住宅需要やオフィス需要に、新型コロナウイルスの影響はございますか。もっとも、港区はブランド力がありますから、それほど影響はないかもしれませんが……。

武井 職住近接という意味では、都心居住にそのメリットを感じている方々にとっては新たな選択肢があると思われるでしょうし、通勤に取られる時間をもっと有効に活用できますから、いろんな要素が出てくると思います。

 また一方で、在宅勤務の中でインターネットへのアクセスのしやすさを考えると、東京都も5Gの普及に取り組んでいますが、港区もより多くの情報を多くの方に提供できるよう、あるいは避難所などでも多くの情報を得ることができるよう、5G環境を充実させることを独自に取り組んでいます。これからは情報に接する環境が、住居を選ぶ一つの要素になってくるかもしれませんからね。

—ライブや美術展などインターネットでも配信されるようになりましたが、やはりそこに行かなければ体験できないことも大切ではないかと思います。

武井 そうですね。港区には文化的な施設、あるいは歴史のある神社仏閣なども多いです。歴史というのは町の中におのずと醸し出され、にじんでくるものです。住まう、生活する、子どもを育てるといった要素の中で、何を重視するかは変わってくると思いますが、時代時代に、そこで暮らしていた人たちが、その地域を大事にして育て、今に受け継いでいる、そういうことを感じられる町であることは、重要な要素であることに変わりはないと思います。

—話は変りますが、なぜ公務員になろうと思われたのですか。

武井 私の父も母も教員で、父方の伯父も伯母もみんな教員、いわゆる教員一家でした。ですから、ビジネスの世界でバリバリやっている人間が身近にいなかった(笑)。就職の際は民間も考えました。でも、具体的に卒業して何をやろうかと考えた時、人のためになる仕事をしたいと思った。もちろん民間の皆さんも世の人のために働いていらっしゃるんですけど、学生の時はイメージが湧きませんでした。自分に合った働き方は何だろうと考えた時に、公務員という世界が身近なものに感じられたんですね。

—区役所ではどんなことを?

武井 最初に配属されたのが広報課、今の組織でいうと区長室広報公聴です。いろんなお問合せ、ご意見を承って、いろんなご案内をしていました。その後、法律相談や区民世論調査を担当し、予算課に5年、そこから区政会館に行って、23区全体での都区制度改革に向けて取り組んだりしました。そこには各区をはじめ東京都からも人が派遣されていまして、今でもお付き合いが続いていますが、いろいろな人脈が広がった時でもありましたね。

 その後、区に戻ってきてからは社会教育、今でいう生涯教育ですね。そこでPTAの皆さんとか団体の皆さんとか、そういう方ともお付き合いをさせてもらいました。課長になってからは、議会事務局や人事に身を置きました。

お台場海浜公園

白砂のビーチで磯遊びやマリンスポーツを楽しめるお台場海浜公園

正しい情報、正しい知識を持つことが重要。そのために正しい情報を提供する。

—なぜ区長に?

武井 区長になろうとは考えたこともなかった(笑)。私はいわゆる役人、公務員という立場で仕事をしていましたのでね。それが、どういうわけか……。

 私は区長になる直前、区民生活部長を務めていたんです。この組織はいわゆる区民の身近な窓口で、税金、国民健康保険、町会、産業団体、商店会等の各団体、各町会といったすべてとお付き合いがありました。その時、区民の皆さんと区とがもっともっと近くなるべきだと感じていたことは事実です。

 多くの皆さんから、区長をやってみないかというお話をいただく中で、私の力で区と区民をもっと身近なものにして、区民のためにもっと働けるような区役所にもしたい。また、区民の皆さんにも区役所の運営の中にもっとかかわってもらえるような仕組みができるんじゃないか。そんなふうに考えるようになったんですね。

—ご家族の反対はなかったのですか。

武井 それこそ青天の霹靂。当然反対(笑)。でも、区長になったらこういうことをしたい、区民のためにこんなふうに働きたいということを話しまして、最後は納得してくれました。家内は私が区長になって2年後に病気で他界したんですが、決断してからは一生懸命支えてくれました。また、周りの方も助けてくださり、本当にありがたかったです。

—公務員の時と区長になってからの違いはございますか。

武井 区民の方々とお話をしたり接したりする中で感じること、これは実行しなければいけないということを、政策という形でまとめて世に問うことができるところが違うと思いますね。

 一方で、職員が納得して動くことも大事だと思います。やらされている仕事ではなくて、自分がこれをやることで区民はこんなに幸せになる、あるいは区民の悩みを解決することができたということを職員自身が実感して、やり甲斐を感じながら働けるようにしなければなりません。

区立芝公園「平和の灯」の点灯式の様子(平成17年)

区立芝公園「平和の灯」の点灯式の様子(平成17年)

—コロナ禍に対する区の対策は?

武井 まずは区民の健康を守る、命を守る。検査体制、医療体制を充実させて区民生活を支えることです。最初にやったのは5百万円の緊急融資。無利子で信用保証料も区が負担して7年間は据え置き。今はVISIT MINATOというキャンペーンをスタートしましたが、共通商品券に30%のプレミアムを付け、テナントオーナー向けの賃料助成も行いました。

—お金持ちの港区だからできることだと思います。

武井 財政状況が良いことは事実です。やりたくても財政的に厳しいところもあるでしょうから。

 港区の財政を支えているのは住んでいる方で、一人一人に納めてもらっている税金です。それだけに人口の増減にも直接左右されますし、景気動向にも左右される。今度のコロナの影響も大きいです。だから基金を貯めておく必要がある。港区はその基金を活用することで乗り切っていこうと思っています。

 もう一つ大事なことは、正しい情報、正しい知識を持ってもらうこと。そのためにも正しい情報を提供していくことが重要だと思います。

 そのために、慈恵医大の先生に協力していただいて、指導要領のカリキュラムに準拠した形で小学校と中学校の教材に使うための新型コロナウイルス感染症の予防に関する動画を作りました。子どもの頃から正しい知識をつけてもらいたい。大人に対しては、これも動画で飲食店向け、オフィス向けなどの感染予防対策を区ホームページで公開しています。

 そういうことを通じて、これからのウィズ・コロナの時代、皆さんが適切な感染予防策を取りながら、日常活動、経済活動も含めて社会を動かしていけるよう、区政をリードしていきたいと思っています。

(インタビュー/津久井 美智江)

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