すてきなフラ・ワールドを作りたい。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

フラダンサー、ミュージシャン 古賀 まみ奈さん

音大の付属中高に通うも、ピアノの成績が振るわず、大学は音楽について学ぶ楽理科へ進む。大学を卒業後、趣味で始めたフラの奥深さに魅了され、音楽だけでなく、舞踊や文学も含む文化人類学を学びたいと大学院に。さらにフラの本場ハワイに留学し、研鑽を積んだ。フラダンサー、ハワイアンシンガーとして活動する古賀まみ奈さんにフラの魅力をうかがった。

「一回りめぐってハワイっていい」今は恩師のこの言葉と同じ気持ちです。

—中学、高校は国立音楽大学の附属に通われたそうですね。その時は何を?

古賀 クラシックのピアノです。でも、ピアノ、下手だったんですよ(笑)。だんだん成績が悪くなっちゃって、勉強のほうが好きだったこともあり、大学はピアノではなく音楽を勉強する東京藝術大学の楽理科に進みました。音楽学、ミュージコロジーともいうんですが、歴史とか美学とか、今は私の時代と違ってマネージメント論とか映像と音楽みたいなものにも広がってきていますが、その時は民族音楽みたいなものに興味があったんですね。

—そこでフラと出合ったのですか。

古賀 藝大時代にはフラとは直接出合ってないんです。藝大時代にフラを知っておけば、もうちょっと違う進路もあったかもしれませんね。

—では、フラに出合ったのはいつ?

古賀 藝大を卒業して、23~24歳くらいの時に何をしていいか分からなくなって、趣味でフラを習い始めました。フラメンコでもいいと思っていたんですけど(笑)、母がハワイ好きだったので、それでフラを。20年ちょっと前ですが、当時はまだ映画の『フラガール』もありませんでしたし、認知度が低いというか、中高年の方の趣味という印象が強かったですね。

 本当にただの趣味で始めたフラですが、始めてみるとすごく奥深い。それで、フラをターゲットとした勉強をしたいと思い、東京大学大学院の文化人類学専攻に入ることにしました。藝大ではなく東大にしたのは、藝大の音楽民族学は音楽だけを切り取って分析するのですが、音楽だけでなく、舞踊とか文学とかも含む文化人類学を学びたいと思ったからです。

—そこまで深く学ぼうと思わせたフラの魅力はどんなところですか。

古賀 私がフラを習った教室は古典フラといって、にこやかでハッピーなものだけでなく、神様とか大地の不思議な強さみたいなものも表現するんですね。その両方を行き来しているあたり、その振れ幅が私にとって魅力だったのかなと思います。

 不思議ですよね、あの笑顔。でも、長年やってきて、ハッピーなものと、すごく気合いを入れて神様と向き合わなきゃいけないとか、大量に言葉を覚えなきゃいけないとか、その後ろにある歴史を覚えなきゃいけないとか、その振れ幅を知ると、笑顔の意味も分かってくる。オンとオフなんですね。オフで楽しいという振れ幅の上のほうの部分が日本のフラのイメージで先行していたのかなと思います。

 東大のすてきな恩師が、もう退官されましたけど、ある時「一回りめぐってハワイっていいよね」とぽそっと言ったんです。日本とハワイの関係性というのは独特のものがあって、研究していると「いい」なんて簡単に言えないんですけど、でも一回りめぐって「やっぱりいいよね、ハワイって」ということなんですね。私も今、そういう気持ちでいます。

ハワイアンの核を大切にして踊っている

ハワイアンの核を大切にして踊っている

コロナで停滞した日本のハワイアン業界を応援したく企画・主催したコットンクラブでのイベント「東京HULA2021」にはミュージシャンとしても出演

コロナで停滞した日本のハワイアン業界を応援したく企画・主催したコットンクラブでのイベント「東京HULA2021」にはミュージシャンとしても出演

ハワイアンの核は、とげのなさ、まろやかさではないでしょうか。

—日本ではハワイアンミュージックって、ずっと一定の人気がありますよね。この癒される音楽は何なんでしょう。

古賀 ハワイアンミュージックって、定義が難しいんですよね。大まかにいうと、ハワイ諸島を土台として作られた歌がハワイアンミュージックといわれています。特にハワイアンが演奏したらハワイアンミュージックになると思います。

 ハワイはアメリカの州です。アメリカの観光客をターゲットにした観光というコンテクストでハワイアンミュージックが宣伝されてきた歴史があるので、ジャズのようにスイングしたり、あるいはアメリカンポップスの影響もありますね。その中では英語の歌だったんですが、ネイティブに原点回帰みたいな時代になると、すごくシンプルなハワイ語だけのフォークソングになりました。

 その後、インテリネイティブが育った80年代、90年代を経ると、むちゃくちゃ難しいハワイ語の、誰も歌えないようなインテリネイティブ・ハワイアンミュージックという感じになり、今度は逆にラップだったり、ワールドミュージックというような感じになっています。表現を探しているところなのかもしれませんね。

 ですから、まずハワイ語で歌われている、あるいはハワイのカルチャーを題材としている、ハワイアンの人たちが演奏しているというのが、ハワイアンミュージックの定義かなと思います。なんかちょっとゆるーくて難しいんですけど。

—そのゆるーいところがハワイアンミュージックの魅力なのかもしれませんね。

古賀 そうですね。時代に合わせて生き延びているというか、観光とともに歩んできたのでしょうけど、今はネイティブのハワイアンのカルチャーとともにあるのだと思います。ハワイ文化の大事な一部というか、看板みたいな感じですね。ネイティブの抵抗の運動とかがあると必ずフラが踊られます。

—ハワイの人はみんなフラを踊れるのですか。

古賀 ハワイの歴史の中でフラが廃れてしまった時代がありましたが、1960年代後半から70年代にかけて、ハワイアンルネサンスといわれる文化復興の時代に、すごくポピュラリティを得たんですね、フラ競技会という装置によって。それ以降はとても人気があります。

 それにハワイ語の教育自体が進んで、今は小さい頃からイマージョンスクールでハワイ語だけで育つ子も出てきましたし、学習したハワイ語を話す両親に育てられる子どももいます。でもフラを踊るのは小学生では数%、全員ではないと思いますね。

 おそらくいろんな芸能がそうなんだろうと思いますが、フラは小学校の運動会から、抵抗の運動、あるいは観光としても踊られます。日本人から見ると整合性はどうなの?と思ってしまいますが、ハワイにいると普通なんですよね。ハワイアンミュージックって不思議だなと感じながらも、やわらかい、すてきなあり方をしていると思います。

 私は日本人として、日本でハワイアンをやったり、ハワイの人がいる前でハワイアンをやって思うのは、彼らがどこを大事にしているのかをちゃんと見極めて、核のハワイアンを大切にしなきゃということです。それは、とげのなさというか、まろやかさなのではないかと思いますね。

ハワイ島で行われた国際的なフライベントにクムとともに参加。前列左から3人目が古賀さん、5人目がクム

ハワイ島で行われた国際的なフライベントにクムとともに参加。前列左から3人目が古賀さん、5人目がクム

ハワイの人たちは耳がいい。特に声に対する意識の高さはすごいです。

—ハワイアンで大事なのはどんなことですか。

古賀 ハワイには文字がなかったので、言霊というか、言うことが大事なんですね。どう言うかが大事なので、インドのように音律とか細かい文化は発達しなかったし、ラテンのようなリズムの細かさは発達しなかったんですが、歌の細かい流儀みたいなものはあります。

 日本の伝統芸能の習得と似ていて、文字資料を使わないで耳だけを頼りにして、抑揚一つ、息継ぎ一つ、全くそのとおり言っていく。ただ、日本は独特の譜面がありますけど、ハワイはないですからね、本当にひたすら覚えるだけ。今はレコーダーというものがありますから、それを頼って何とか(笑)。

—耳から聴いて覚えるしかない。

古賀 ハワイの人たちって、すごく耳がいいんです。例えばフラの教室に入る時、生徒は「部屋に入らせてください」というお祈りを言うんですね。先生はその歌い方を耳で聴いて、その生徒が準備万端かそうでないかをジャッジする。

 目じゃなくて、声の文化というんですかね。ちょっとかっこいいプレイをすると、ずっと知らないふりをしていた人がぱっと振り向いたり……、耳が聴いているんですよね。特に声に対する意識の高さみたいなものが、ハワイの人はすごいと思います。

—今は歌も歌われていますね。歌いながら踊ることあるのですか。

古賀 フラは基本的に歌わないで踊りを踊る役割です。ですが、ある時期からハワイ語とかカルチャーをちゃんと理解するという意味で、ハワイ語を正しく発音するとか、正しく理解した表情をつけてハワイ語を言うことが、フラダンサーの評価を上げたんですね。それで歌いながら踊るダンサーがわりと多くなりました。

—フラの教室を開いたのは、ハワイで勉強したことを日本で伝えたかったから?

古賀 はい。母や、その世代の人たちに教えてと言われることが多く、「じゃあ、やるか」みたいな。

—いろんな場面でお母さまが登場しますね。

古賀 そうなんです。私の今いる道は母親との対話で生まれた感じです。

—人に教えるのと自分で踊るのと、どちらが本当にやりたいことなのでしょう。

古賀 私はフラが好きな、フラ・ラバーなんですね。フラは、踊りがあって、支える音楽があって、支えるストーリーがあってと総合芸術です。それに群舞なので、ある程度人数がいないといけなくて、オハナ(家族)というかいろんな世代がいるよさがある。

 それこそフラはファミリービジネスで、みんなそれぞれ家族がいて、それぞれの仕事があって、そういうのを持ち込んでくるものがフラだと理解しているので、教えることと、パフォーマンスすることは私にとって別物ではないんですね。一緒にすてきなフラ・ワールドを作るためなら何でもするという感じです。

—コロナ禍でフラの現場に変化がありましたか。

古賀 リモートレッスンという道が開けたのは発見でしたね。私のクム(師匠)はハワイ出身で、北米西海岸サンフランシスコにいるんですが、オンラインになることで、日本でもレッスンを受けられるようになりました。今までにないくらい、週に2、3回クムのレッスンを直接受けることができるのは良かったと思います。

 コロナ禍では何かサバイブ力が試されている気がします。悲しい、いやなことも多いけれど、それはそれとして何かを探す。楽しく探せばいいのかなと思っています。

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