力を抜いて海の中に溶けていく感覚が フリーダイビングの魅力です。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

フリーダイバー 岡本 美鈴さん

1995年3月20日、地下鉄サリン事件に遭遇。翌年には大きな手術を経験し、やりたいことがあったらすぐに行動に移すと決めた。野生のイルカを見るために小笠原に通ううちに、一緒に泳ぎたいとフリーダイビングを習い始めると、すぐに競技の魅力にハマった。わずか3年で日本記録を樹立、世界大会では4個の金メダルを獲得しているフリーダイバーの岡本美鈴さんにお話をうかがった。

イルカと泳ぐために フリーダイビングを始める。

—フリーダイビングを始めたきっかけは?

岡本 ある日、テレビを見ていたら、女性リポーターがイルカと泳いでいたんです。小笠原の海で。野生動物と人間が、まるで犬とじゃれ合うように泳ぐ風景が印象的で、私も一度でいいから、海で野生のイルカを見てみたいと思ったんです。

 それで1999年、26歳の時に初めて小笠原を訪れてから、通うようになりました。カナヅチだったので初めはライフジャケットをつけて、水面からイルカを見ているだけでしたが、自分も潜ってイルカと泳ぎたくなり、島で知り合った友人に素潜りを教えてもらっていました。

 その友だちと沖縄旅行に行った帰りのことです。現地解散して一人で羽田へ帰る時、その飛行機の機材トラブルで、離陸できないまま1時間足止めになってしまいました。それで、隣の席の方と話をしたら、その方がフリーダイビングの日本代表だということが分かったんです。

 「イルカと泳ぐためのコツはありますか」と聞くと、「フリーダイビングというスポーツをやるのがいちばんの早道」と。羽田空港に着くと神奈川県の真鶴町で活動しているフリーダイビングサークルを紹介してくれて、その場で代表の方に電話をしてくれました。運命だと思いました。

 フリーダイビングは厳しそうだけど、何しろカナヅチなので、あえてスポーツとして練習することで、イルカと遊べるのではないかと思ったんです。真鶴の練習会には毎週土日に通いました。始めた当初は、小笠原のイルカと上手く泳ぐことが目的だったので、世界大会優勝や日本記録のことは考えてもいなかったんですよ。

—なぜそんなにハマったのですか。

岡本 フリーダイビングの練習を重ねることで、2年後にはイルカとも自由に遊べるようになり目的は達成できていました。その後もフリーダイビングにハマり続けた理由は大会・競技会の面白さです。フリーダイビングの大会の雰囲気が素敵だったんです。

 海の大会では事前に申告した水深で競技順が決まり、一人ずつ順番に潜ります。潜って浮上してくる選手の安全対策として、セーフティダイバーが、水深30m付近まで素潜りで迎えにいき、選手を見守りながら一緒に浮上します。水面スタッフも選手を見守ります。他の選手も潜る選手を応援しあい、ダイブが成功するとみんなが大きく拍手して心から祝福を送ります。

 世界大会もローカルの大会も同様の雰囲気で、こんなスポーツあるんだと感動しました。それで、イルカ目的で始めたフリーダイビングが、だんだん競技自体がおもしろくなり、トレーニングを続けていくようになりました。

—オリンピックとかでも、選手同士がハグしたり和気藹々としたシーンを目にするようになりましたね。

岡本 そうですね。ボルダリングは、登る前にルートを見る時間がありましたが、メダルを競う選手同士が相談しているシーンが印象的でした。フリーダイビングも自然と向き合うスポーツなので、選手同士で自然に絆が生まれるのかもしれませんね。競技によると思いますが、スポーツ全般でそういった心の交流が広がるといいなと感じました。

東京都・利島でのドルフィンスイム。夢が叶った瞬間!撮影:大倉清司

東京都・利島でのドルフィンスイム。夢が叶った瞬間!撮影:大倉清司

去年、バハマのブルーホールで水深100mを達成した 撮影:速形豪

去年、バハマのブルーホールで水深100mを達成した 撮影:速形豪

地下鉄サリン事件に遭遇し、やりたいことはすぐ行動すると誓う。

—野生のイルカを見るために始めたフリーダイビングで、世界のトップに行ってしまうなんてすごいですね。世界大会で優勝したのはいつですか。

岡本 最初の世界大会優勝は2010年です。フリーダイビングを始めたのが2003年で、2006年に当時水深61mの日本記録が成功したことは自分でも驚きました。よくフリーダイビングを始めてここまで来たな、と思います。イルカやフリーダイビングに出会う前の自分を振り返ると、当時の私は、積極的に行動を起こすような人間ではありませんでした。

 実は私、1995年3月20日の地下鉄サリン事件に遭っているんです。日比谷線の築地駅でサリンを吸ってしまい、幸いにも軽症で済みましたが、その時に、来年の予定や、当たり前に来ると思っている明日は保障されていないんだなと気づいて、やりたいことはすぐ行動に起こそうと思いました。しかも、その翌年に大きい卵巣腫瘍が見つかり、手術したこともあって、イルカに会いに行こう、フリーダイビングをやってみよう、と行動できたんですよね。

—サリン事件による後遺症はなかったのですか。

岡本 幸いにも身体的な後遺症はありませんでした。ただ、その当時の駅構内での景色がね、思い浮かばないんです。駅構内での風景や体験は言葉で覚えていて、思い出すことはできます。かなりショックな出来事だったので、これは生きる上で必要な防御反応なのかもしれません。人間、よくできてると思います。

 これをきっかけに私は前向きに、小笠原に行こうと思えましたが、そうできない方や重症の方は今もいらっしゃる。時間の経過とともに事件が忘れられてゆくことに、心が痛みます。なので、このような機会があれば、自分の体験はお話したいと思っています。

—自然環境問題にも力を入れているそうですね。具体的にはどんなことをされているのですか。

岡本 2010年にウミガメの保全をしている認定NPO法人エバーラスティング・ネイチャー(ELNA:エルナ)とご縁があり、海を守るための活動として「海洋保全PR活動マリンアクション」を立ち上げました。ELNAスタッフの方の保全活動を応援しながら、海洋環境について勉強させてもらい、講演会や清掃活動を開催して海を守る大切さをお伝えしてきました。10年目を迎えた頃から、同じ思いを持つフリーダイビング日本代表仲間の草地ゆきさん、武藤由紀さんと3人で運営して、海のためのできる生活でのアイデアや発信など現場での活動を続けています。例えば毎月第1土曜日はマリンアクションの日と決めて、全国の方とオンラインクリーンアップをしたり、SNS上でライブトークなど行っています。先月は海洋保全団体へのチャリティーイベントとしてのスキンダイビング レッスンや、海洋ゴミについての展示などを開催しました。

 この活動を始めたきっかけは、毎年参加するバハマの国際大会でみかける海洋プラスチックに危機感を持ったことでした。潜る場所はブルーホールというとても美しいポイントなんですが、隣のビーチは漂着ゴミが多く、それがかなりショックだったんです。

 今でも大会前には選手関係者で、ビーチクリーンを2、3時間かけてするのですが、風向きや波次第で次の日にはまた同じ風景に戻ってしまう。そのもどかしさは伝えなきゃいけない、伝えることしかできないとその時に思いました。

ブルーホールのそばにある海岸でヨーガを行う 撮影:野田幾子

ブルーホールのそばにある海岸でヨーガを行う 撮影:野田幾子

呼吸法を日常に取り入れたら、性格が変わった気がする。

—去年、夢の水深100mを達成されたそうですね。どれくらい時間がかかるものなのですか。

岡本 往復で3分20秒だったと思います。女性では史上13人目だったそうです。素潜りのフリーダイビングで100m潜ることは以前は大変なことだったんですが、最近は器材も技術も進化して、若い選手が育ってきているので、100mを潜る選手も年々増えています。

 数字や記録が競技の目的ではなかったのですが、やはり100mの世界というのは積み重ねた先にある「夢の深度」だったので達成できた時は嬉しかったし、ここまで支えてくださった方々には、本当に感謝しかありません。

—ここまでフリーダイビングを続けてきて変わったことはありますか。

岡本 フリーダイビングのトレーニングを続けてきたなかで大きかったのは、呼吸法を知ったことです。いわゆる腹式呼吸で、横隔膜を使い細く長く息を吐くと副交感神経が刺激され、それにより心拍が落ちるとメンタルが落ち着くという反射を利用したフリーダイビングのテクニックなんですが、日常でも使うようにしたら性格が変わった気がします。昔の私は感情の波も激しく、舞い上がりやすく落ち込みやすかったんです。呼吸法で心が落ち着いて、自分を客観視することができて、感情に振り回されることが少なくなりました。

—その呼吸法はどういうものなのですか。

岡本 伝説のフリーダイバー、ジャック・マイヨールの本の中に、彼が海に入る前にはプラーナーヤーマという呼吸法を行うとありました。プラーナーヤーマって何だろうと調べたらヨーガの呼吸法らしい。本屋さんに行くと、様々なスタイルのヨーガの本がありました。その中でプラーナーヤーマという言葉が載っているハタヨガのテキストを見つけました。色々なポーズや呼吸法に、ヨーガスートラという教典の解説も記載されていたので、私のフリーダイビングに応用できると思い、それを買ったんです。

 でも、ヨーガは未経験だったので、その書店の隣にあったNHKカルチャーセンターで体験できないかと思いそのまま立ち寄りました。そこで体験できるクラスがあったのですが、なんと指定のテキストがさきほど書店で買ったばかりの本と同じ。著者とクラス監修の先生が同じだったんです(笑)。これは運命だと思いました。お弟子さんである女性の先生が担当講師をされていましたが、笑顔が太陽のようにパーっと明るくて、背筋が伸び美しくて。長年続けている先生がこんなに生き生きと素敵なのだから、このヨーガは本物だと感じました。

—ヨーガの効果はあったのですか。

岡本 ヨーガによって私のフリーダイビングはかなり変わったと思います。ヨーガはフリーダイバーの半分が取り入れているくらい、共通するところが多いんですよ。ヨーガというと、きついポーズというイメージがあると思いますが、私が習ったのはインドのハタヨガで、主にポーズと呼吸と瞑想でした。やってみると本当にシンプルで奥深いもので、きついポーズを行うことが目的ではなく、きつく感じる加減のコントロールや、自己観察して一点集中してゆくような、瞑想の練習でした。

 その過程が、フリーダイビングだと、息を止めている間の深いリラックスや体内の感覚を観察して、浮上を見極めるような流れとほぼ同じ作業なんです。ヨーガをやればやるほどそこの感覚が研ぎ澄まされてきて、上がりどころというのが把握できるようになりました。「ヨーガは心の働きをコントロールすること」とヨーガスートラにも書かれているとおり、心身が健康になったと思います。ポーズで身体がしなやかになり、ヨーガの哲学を学んで自分を客観視できるようになりました。呼吸法はメンタルコントロールや呼吸機能の強化にもつながりました。以前より生き方も楽になり、フリーダイビングの記録も伸びました。一石二鳥三鳥あったと思います。

—最後にフリーダイビングのいちばんの魅力は?

岡本 力を抜いて海の中に溶けていくような感覚でしょうか。深い極限のダイブでは、たくさんの応援を感じながら潜り、青い宇宙へ溶けてゆく。限界に近い身体で、みんなに会いたいという気持ちで浮上すると、空気があって、みんながいて、「ただいま、ありがとう、私は生きている」って感じる。その感覚はフリーダイビングだからこそ味わえるのではないかなと思います。

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