患者さんの諦めていた“旅行”を叶えたい。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

トラベルドクター株式会社 代表取締役・医師 伊藤 玲哉さん

人の人生に関わる仕事に就きたいと、医師の道へ進んだ。しかし医療現場で働き、多くの患者を看取る中で「これが自分がやりたかった医療なのか」と疑問に感じるように。出した答えは“旅行”によって患者の願いを叶えること。医療の力で諦めていた旅行ができる環境づくりを目指すトラベルドクター株式会社代表取締役で医師の伊藤玲哉さんにお話をうかがった。

自分がやりたかった医療とは?純粋に患者の夢を叶えること。

—トラベルドクターについて基本的なことから教えていだだけますか。

伊藤 トラベルドクターは、病気を抱える方の願いを叶えるサポートをする会社です。例えば温泉に入りたい、故郷に帰ってお墓参りがしたい、孫の結婚式に参列したい、新婚旅行で行った景色をもう一度見に行きたいといった、病気のために諦めていた“旅行”を、医療の力で安心して安全に旅行ができる環境づくりを目指しています。

—トラベルドクターを始めようと思ったきっかけは?

伊藤 医師になって半年くらい経った頃、「これから頑張るぞ」とすごく燃えていたんです。この「頑張るぞ」の“頑張る”ってどういうことか。最初は漠然と人の命を救いたいとか、医療の力で役に立てればいいと思っていたのですが、どれだけ医療が発達しても人間が不老不死になるわけではなく、必ず人には最期がある。自分がどれだけ最善を尽くしても結局最後は亡くなっていくんですね。

 自分がこの人に行った医療は正しかったのか。つまり、私たち医師ができることはいわゆる延命で、1秒でも長く生きてもらうために点滴をしたり、口に管を入れたり、心臓マッサージをしたりするわけですが、それを望んでいる方って実は多くなくて、見送った後に、これで良かったのかと思うことが多かったんです。

 これが自分がやりたかった医療なのかと疑問に思っていた時に、担当した患者さんと話していて分かったことは、治療を頑張りたいという人もいれば、家に帰りたいという人もいるということ。それだけでなく、あそこに行きたいとか、誰々に会いたいとか、あれが食べたいとか、それぞれが病院ではできないことを願っている。純粋にそれを叶えることが、自分がその人にできることだろうと思いました。

 上司に相談したり、旅行会社に相談したり、航空会社に問い合わせたり、いろいろ試したのですが、結局どこにも答えがない。皆さんおっしゃるのが、「何かあったら危ない」ということ。要するに「何かあったら危ない」という言葉は患者さんのために使っているのではなくて、自分のためなんですよね。

 彼らはそれでいいかもしれませんが、看取るのは医師である自分です。自分の中で誇れる医療は何か、自分が心からその人のためにできることは何かと考えた結果、それは旅行だと思い至りました。

 1秒でも長く生きる医療は30万人のドクターがやっています。家に帰ることは在宅診療の先生がやってくれています。自分が医者になったからには、誰もやれていないことを目指してみたいと思いました。

—一人でやるには限界がありますよね。

伊藤 おっしゃる通りです。結局、目の前の方の夢しか叶えられないのでは意味がありません。多くの患者さんが旅行に行ける仕組みを作らなければと、“起業”を考えるようになりました。しかし、経営については全くの素人です。大学病院を辞めて大学院に入り、経営学を学ぶことにしました。

イルカに会いに行きたいという願いを叶えに水族館へ行った(難病を抱える女性)

イルカに会いに行きたいという願いを叶えに水族館へ行った(難病を抱える女性)

ブライダルプランナーか、医師か。人の人生に関わる仕事に就きたかった。

—そもそも医者になろうと思ったのは?

伊藤 3つ理由がありまして、私はもともと喘息持ちで、小さい頃は毎晩のように発作を起こして、何度も死にかけたんです。病気ってつらい、苦しくて大変だということを身をもって経験していました。

 2つ目は、父が大田区にある小さな診療所の医師だったので、発作を起こす度に吸入器などを準備して、ずっと側に寄り添ってくれたんです。つらい時にそばにいてくれる存在は温かいなと思いましたし、そんな父の背中を見て育ったので、父への憧れもありました。

 3つ目は、私が5歳の時に母が突然亡くなったんです。「ある日突然いつも隣にいた人がいなくなってしまう」「人は死んだら帰ってこない」ということを、5歳なりに学んだんですね。

 高校生になって進路を考えた時、その3つから医師という仕事を導き出したということです。ちなみにもう一つなりたかったのが、ブライダルプランナーです。

—全然違う仕事ですよね。

伊藤 今思うと、人の人生に関わる仕事に就きたかったんだと思います。結婚式って人生で一番幸せといわれる日じゃないですか。それを仮に100の幸せとした時に、自分がブライダルプランナーとして関わって120にできたら、その20分がその人に自分ができたことだと、すごく魅力に感じたんです。

 一方で、医師はどういう仕事なのかと考えると、医師が出会うのはマイナス100の方なんですね。もし自分が、当時はドラマみたいに全部の病気を治せると思っていたので、病気になって人生のどん底にいる方を治せれば0に戻せるじゃないですか。マイナス100から0で、プラス100その人にできる。ブライダルプランナーと比べようはないんですが、敢えてそういう比べ方をすると、医師のほうがよりその人にできることがあるんじゃないかと思って、医師に傾きました。

 マイナス100にいる方がプラス100になるものはないのかということは当時からずっと考えていましたが、医療現場では0にならないどころか、もっと下がるかもしれないし、マイナス100のまま旅立つ方がほとんどなわけです。それでいいのか。人生で一番幸せだと思える医療はなんなのか。それが医師になって見えてきた課題でした。

—願いが叶うということは、マイナスから0ではなく、違うベクトルの100になるということのような気がします。

伊藤 終わり良ければではありませんが、人生という物語の最後の1ページはハッピーで終わってほしい。旅行に行くことがすべてではなくて、どんな願いでもいいと思うんです。とにかく後悔がないようにしてあげたい。後悔している方をたくさん見てきたからこそ、後悔しないために、どういうことが医療でできるのか常に模索しています。病室の天井を見上げるだけという殺風景なものではなく、いい人生だったと思えるような時間を過ごしてほしいのです。

生まれ育った熱海の海を見て、念願の温泉にも入った(末期がんの70代の男性)

生まれ育った熱海の海を見て、念願の温泉にも入った(末期がんの70代の男性)

トラベルドクターのチームを47都道府県すべてに配置したい。

—これまで何人もの方の旅行をサポートされてきて、特に印象に残っている方は?

伊藤 自分にとってはすべて特別な思いがありますが、活動を始めて間もない頃の方で、余命2週間の末期がんの男性です。故郷の熱海の海に行きたいということで、その願いを叶えて差し上げました。砂浜ではお孫さんにも車椅子を押してもらい、念願の海の見える露天風呂にも入りました。まさにこういうものがやりたかったと思えた理想的な形でした。

 これがその時のアルバムです(表紙)。家族にとっても特別な旅行なので、カメラマンが同行して、こうして形にしているんですよ。

—皆さん笑顔ですね。

伊藤 本当に表情が明るいでしょう。痛み止めは数時間しか効きませんが、旅行って何年も効くんですよ。しかも本人だけでなく、家族にも効く。すごい効能ですよね。今の医療ではできないことだと思います。

—医師であり経営者でもあるわけですが、一番のご苦労は?

伊藤 社長になりたいとか経営をしたいと思っていたわけではなく、自分のやりたいことを形にするには会社にするしかなかった。なので経営者としては三流以下、経営は常に苦しい状況です。

—NHKBSや日本テレビ、テレビ朝日などで活動を追ったドキュメンタリーが放送されましたよね。反響があったのでは?

伊藤 劇的にテレビの効果があって旅行者が増えたわけではなく、まだまだ地道な活動をひたすらやっていますが、メディアに出ることで、トラベルドクターのことを知ってくれる人が増えていることは事実ですし、間違いなく自分の目指したい世界には近づいていると思っています。

 今は沖縄と大阪の二人のドクターがこの活動に共感してくださって、週に1~2日手伝っていただいています。5年後、10年後にはこのトラベルドクターのチームが47都道府県すべてに配置されて、日本中の終末期の患者さんの願いを叶えられるようになったらいいなあと思っています。そのために今、教育にも少しずつ時間を割いていますが、自分の残りの人生でトラベルドクターが当たり前になる社会まで持っていけるかというと、今の状態では限界がある。一般財団法人 荒井財団はじめ、いろんな方からご支援をいただいていますが、これからは大手企業とコラボしたり、自治体を巻き込んでいく必要があると感じています。

 日本は世界一、二を争う長寿国であり、高齢化社会の課題に直面しています。理想は国が動いて、多死社会をどう生きていくのかという、他の国のいい見本になるべきだと思うんですよね。高齢者や終末期の方だけでなく、難病の方も、病気を抱えた小さなお子さんも、ある程度お金があれば旅行ができる国にする。そうすれば「日本ってすごいよね」「日本にこういうのができているから日本に行こう」と、海外からも人が来るようになります。それは、医療大国であり、観光大国でもある日本だからこそできることです。

 最終的には、トラベルドクターの仕組みが世界中に広がり、国内だけでなく海外にも旅行に行けるような体制を整えていきたい。そのためにも1年間に100万人の方の旅行を叶えることができるプラットフォームを作りたいと思っています。

ご夫妻が初めて出会った思い出の地、“京都”を巡った(末期の肺がんの男性)

ご夫妻が初めて出会った思い出の地、“京都”を巡った(末期の肺がんの男性)

情報をお寄せください

NEWS TOKYOでは、あなたの街のイベントや情報を募集しております。お気軽に編集部宛リリースをお送りください。皆様からの情報をお待ちしております。