ギターは素朴さこそが魅力です。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

ギター奏者 荘村 清志さん

 ギタリストになりたかった父親の夢を託され、9歳からギターを始める。中学3年の時に巨匠ナルシソ・イエペスに認められ、翌年スペインに渡り師事。来年はデビュー50周年を迎え、ますます充実した活動を展開している実力、人気ともに日本を代表するギター奏者、荘村清志さんにお話をうかがった。

9歳の時から毎日必ず、父親の「恐怖のレッスン」を受ける。

―実は、去年の3月に放送されたNHKの「今夜も生でさだまさしスペシャル〜朝まで生で文化祭〜」を拝見していました。さださんとはどういうご関係で?

荘村 皆さん、見ているんですね。すごいですね。

 去年から来年のデビュー50周年に向けてギターの可能性を追求する「荘村清志スペシャル・プロジェクト」を行なっているんです。ふだんは共演することのない別ジャンルの方とのコラボレーションで全4回。その第1回目のゲストをさださんにお願いしたんです。さださんは、歌はもちろん素晴らしいのですが、実はバイオリンの名手でもあり、ギターも上手いのでいろいろな形でコラボができました。

 そうしたら僕のことをすごく気に入ってくれて……。その2週間後くらいかな、「生さだ」に出てくれないかと言われて出ることになったんです。

—さださんも小さい時からバイオリンを習われていますから、共通する何かがあったのかもしれませんね。楽器、特に弦楽器は小さい時から始めないとだめと言われていますが、荘村さんは何歳からギターを始められたのですか。

荘村 9歳です。本当は父がクラシックのギタリストになりたかったんです。でも、父の時代はクラシックのギタリストで生活するという基盤がありませんでしたから、泣く泣く諦めてサラリーマンになったんですよ。それで、自分の子どもに夢を託そうと……。

 父が会社から帰ると、毎日必ず1時間、「恐怖のレッスン」がありました。当時は地震雷火事親父と言って、父親は怖い存在だったでしょう。ただでさえ怖い父が、弾けなくなると、だんだん鬼のような顔になってくる。ますます怖くなって、よく泣いていました。そうすると、父親のほうが「しまった!」という感じで、あたふたしちゃって。これでやめられたら、自分の夢もつぶれてしまうと思ったんでしょうかね。

イエペス先生の歓迎会にて

—やめたいとは思われなかったのですか。

 不思議なことにやめようとは思いませんでしたね。

 小学校を卒業するまで岐阜にいたものですから、父に習っていましたが、父の会社の関係で東京に引っ越すことになり、中学からは小原安正先生という今日のギター界を作り上げたような先生に習いました。

 その小原先生がまた怖いというか、あまりしゃべりませんし、剣豪の宮本武蔵みたいな長髪で目が鋭くて、にこりともしない。レッスンが終わると、緊張のあまり喉がカラッカラになっていました。

—その頃はもうギタリストになると思っていらしたんですか。

荘村 思っていなかったですね。ギターをやるからにはうまくなりたいという気持ちだけでした。

 中学3年の時だったかな、ナルシソ・イエペスという、「禁じられた遊び」で世界的に有名なクラシックギターの巨匠が来日した時、その歓迎会で僕も演奏したんです。演奏を終えると、「スペインに来たら教えてあげる」と。それで次年、スペインに行くことになるわけです。

—16歳ですよね。日本では高校に上がる歳ですが、高校には行かずにスペインに。不安ではありませんでしたか。

荘村 スペイン語は中学1年から少しずつやっていたんですよ。おそらく父が計算して、ギターの本場はスペインだから、将来的には留学するのがいいと考えていたんでしょう。「スペインに行って勉強するんだ」という感じではなく、「修業してこい」と父に背中を押された感じでした。

16歳でスペインへ。
クラシックギターの巨匠イエペスに習う。

—スペインではどんな生活だったのですか。

荘村 小原先生がマドリードに住んでいた頃の知合いの家庭に、いわゆるホームステイみたいな形で住まわせていただきました。僕と同い年の男の子もいたし、食事する時もみんなと一緒だったので、家族の一員みたいな感じで、すごくラッキーでしたね。

 マドリードの国立音楽院でレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサというギタリストの大家のレッスンを受けながら、イエペス先生のプライベートレッスンも受けていました。

 イエペス先生は忙しくて、レッスンの予約を取るのは大変でしたが、夏に2か月くらい休暇を取るんですね。その間はスペインの南の方の、アフリカ大陸が目の前に見えるプンタ・ウンブリーアという村へ滞在するんです。そこについて行って週に2回くらいレッスンを受けることができました。海に面したテラスで、波の音を聞きながら受けるレッスンは気分が良かったですね。

 それに一緒に泳いだり、ご飯をごちそうになったり、先生ともすごくお近づきになれた気がします。

—スペインには何年いらしたのですか。

荘村 4年です。その間にイタリアとかで演奏活動をしていましたが、日本でどういうふうに評価をいただけるかという思いもあって、いったん日本に帰ることにしました。

 再度スペインに行ったのは1978年、10年後です。もう一度、勉強しなおしたかったのと、景色とか町並みとかいろんなものを見て吸収したかったんです。最初の4年間は、練習、練習、練習とギターの勉強ばかりだったのでね。

—もう一度勉強しなおすとは?

荘村 イエペス先生のレッスンをもう一度受けました。すると、先生はさらに進化していて、自分よりもはるか先を行っている。愕然とすると同時に、もっと勉強しなければという強烈な刺激を受けました。

—年を重ねるごとに、テクニックや曲の解釈は変わるものですか。

荘村 そうですね。テクニックで言えば、若い頃はギターを力任せに、楽器と格闘するような感じで弾いていたんです。練習量で補うというか、とにかくものすごい練習をして、その練習量でもって弾けるという確信を自分で持っていたんです。

 ところが、40代半ばくらいから、一生懸命練習してもうまく弾けない。テクニックが落ちてきたと感じて、ギターを弾く姿勢とか、左手の押さえ方とか、右手のタッチとか、すべてのことを5年ぐらいかけて研究しました。それで行き着いたのが、一生懸命がんばって弾くのではなく、いかに楽に余裕を持って弾くかということです。

 それと同時に、余裕ができたということもあるんでしょうけれど、ギターの音を通して自分の中にある感情が外に飛んでいくということがどんどんできるようになってきたと思います。

 やはりいろんな経験をして感性を磨くことで、音の質がどんどん深みを増してくるというか、多彩になるというか。歳を取れば取るほど、表現力が豊かになっていくということが、演奏家にとっていちばん大事なことだと思いますね。

演奏する荘村さん ©公文健太郎

ギターの魅力は小さな音と、やわらかい癒しの中音域の音色。

—来年、デビュー50年ということですが。

荘村 50周年スペシャル・プロジェクトの1回目が最初にお話した去年のさださんとのコラボで、今年は6月にアコーディオンのcobaさん、テノールの錦織健さん、バイオリンの古澤巌さんの3人をお呼びしてジョイントの会をやりました。

 来年は3回目ですが、これまで他の人とやってきたのでソロでやることにしました。1部はバッハの曲を中心に、2部はスペインの曲。それを6月27日、28日の2日に分けてやります。

 そして4回目は再来年、2020年春にオーケストラとのコンツェルトの夕べという形でやって、それでスペシャル・プロジェクトが終わる予定です。

—あらためてギターの魅力は、どんなところだと思いますか。

荘村 基本的には6本の弦を左手で押さえて右手でつま弾くという、すごく単純な楽器ですよね。ピアノみたいに何オクターブもあって、鍵盤を叩いたらハンマーで弦を叩いてすごい音量が出るというメカニズムの楽器ではなく、本当に素朴な楽器なんですが、素朴さゆえに何とも言えない魅力があると思います。

 若い頃は音量が少ないということにすごくコンプレックスがあったというか、もっと大きな音を出さないと他楽器に負けてしまうのではないかとかいろんなことを考えましたが、50歳を過ぎた頃からギターは小さい音でいいんだ、音が小さいからこそ魅力的なんだと思えるようになって、それと同時にすごく楽になりましたね。

 それからギターというのは中音域ですね。チェロみたいにすごく低くもないし、バイオリンみたいにキンキンに高い音ではない。中音域って癒しの音というか、耳障りじゃなく、すごくやわらかい。そういう意味でギターという楽器は一つの楽器として見て、魅力があると思います。

—荘村さんにとってのギターとは?

荘村 僕にとってギターという楽器は、その音でもって聴いてくださる方とコミュニケーションをとる方法というか、一体感、感動を共有できる唯一の手段であるということです。

 だからと言って、ギターの世界だけにいてもだめで、ソプラノでもピアニストでも、いろんな人の演奏を聴くことはすごく大事だと思います。

 音楽というのはこんなに美しい音が出るんだということがわかるだけで、自分の弾く音がよりきれいに出るようになると思うんですよ。自分の耳から聴いているわけですから、それは自分の心の中に残ります。技術的にどうこうという問題ではなくて、自分の感性を磨くだけで、何か変わってくるということは絶対ある。だからいろんな演奏を聴いていないとだめ。ある程度まで来て、いろんな表現ができるようになったから、もういいと思った時点で、その人は終わりだと思います。

 音楽を聴くという形でなくても、本を読んでもいいし、絵を見るのでもいい。何でもいいから、とにかく感性を磨くという行為をずっと永久に続けていくことによって、自分の演奏が深まっていくと思うんですよね。頂上の見えない山をずっと登り続けているようなものなんでしょうね。

    

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