高齢者への配慮は足りているのか

  • 記事:平田 邦彦

共に住みよい環境の整備を

 65歳からを高齢者と切り分けているが、その高齢者は千差万別。現役続行でバリバリ第一線に立つ方もおられれば、悠々自適余生を楽しんでいる方、生活に追われて働かざるを得ない方、人は様々で一つの枠に収めることなど到底望めない。

 それぞれの事情に関係なく、高齢者とのレッテルで、社会から切り離されてしまい、働きたくともその場を失う方も少なくはない。働き方改革の進展は、年齢のくびきも解き放って様々な社会参加を可能にする機会を広げてくれることが期待される。

 さてその社会のありようは、必ずしも高齢者に優しくはない。オリンピック・パラリンピックの開催を迎えて、バリア・フリーは進捗してきたが、決して十分とは言えない。

 高齢になれば、どうしても運動能力は低下して、一見健常者のように見えても、長い距離を歩くことには不自由となるし、トイレが近くなって外出を躊躇うこともあると聞く。車椅子での生活を見れば、街にはまだまだ越えにくい段差が当たり前にある。過度にいたわりを見せることを求めるわけではないが、今日の日本の繁栄を築いてきた方々が、高齢になっても暮らしやすい社会を作って行くことにもっと注力すべきではないだろうか。欧州の街角を歩いてみると、いたるところにベンチがあって、それが街歩きを楽しいものにしてくれている。

 公衆のトイレにしてもしかりだ。災害時の帰宅困難者には、コンビニのトイレを借りろとの指導があるが、営業時間短縮の動きが見える中で、コンビニのトイレが頼りとは情けない。

 日本の公衆トイレは清潔だとの評価もあるやに聞くが、その数はとても足りないのではないだろうか。ことにビル街では一階にトイレを作らず、他を排除するのが当たり前だし、そんな町中に公衆のトイレはほとんど存在しない。

 大げさに言えば、公共が果たすべき役割を民間に押し付けて知らん顔をしているとも言えるのではないだろうか。観光立国を掲げて4千万人のインバウンドを期待しているとは言うものの、そんな基礎的なインフラを放置して“おもてなし”も無いものだ。

 高齢者にも優しい街創りは、観光客も暖かく迎えることが出来る。たまに街角に見ることが出来るベンチはホームレスの居着きを恐れてか、中央に余計な柵が設けられてもいるし、強い日差しなり雨をしのぐ屋根もない。

 施策を作る自分が不自由しないから考えが及ばないでは済まされない。

 弱者をいたわり、行き届いた施策の為に立ち止まって考えて見ていただきたい。それが弱者だけでなく社会全体の厚みとか、民度の向上に役立つと考えてゆくべきではないだろうか。

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