能は不易流行、心を伝える

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

能楽師 観世流シテ方 観世 恭秀さん

観世流能楽師の家に生まれ、4歳より舞台を務める。現在も能の不易性を探究し、700年以上続く能の不変なる心の伝承に尽力している。能を全うせんと真摯に能と向き合い続ける能楽師観世流シテ方、観世恭秀さんにお話をうかがった。

能はバーチャルの世界で夢を見させてくれる。

—観世宗家とのご関係は?

観世 祖父が二十三世清廉の次男で、兄と一つ違いのこともあり、北海道に参って謡を広めました。父もその後を継ぎ、今は私も北海道で稽古をし、各地で演能をしています。縁があるんですね。利尻島まで行きましたよ。

 能楽はユネスコの無形文化遺産に登録された第1号でもあります。日本人として、一生に一度でもいいので、能を見てもらいたいと思っていますが、地方はどうしても演能の機会が少ないので、能を広めようと思ってもなかなか難しい。私は時々、宝くじを買うんですね、当たったら北海道全域を回りたいと思って。でも、なかなか当たりません(笑)。

—日本の伝統芸能、特にお能は敷居が高いという印象があります。

観世 そんなことないんですけどね。緑青が浮いているような古いものと思われるかもしれませんが、黒澤明監督の最初の作品『虎の尾を踏む男達』は能の『安宅』そのものですし、スティーブン・スピルバーグ監督の『スター・ウォーズ』にしたって能の『第六天』という宇宙の戦争の話です。

 いずれも原点は能にあって、それを絵コンテにしてイメージを作り、カメラで撮っている。かしこまって座るシーンは、むだを削いだ現代劇という感じで能に通じますよね。それに全体の構成は能の手法をとっていますし、音楽もちょっと独特な音を使っています。

 結局、能は普遍的なもの、人間の真理を曲にしているんですね。しかも、そのほとんどが世阿弥、そして世阿弥時代の人により書かれています。「新しい曲を」と言っても、難しいと思いますね。

—奥が深いですね。能のおもしろさを一言で言うと? 

観世 能は一期一会といって、他の芸能のように1週間とか1ヶ月とかはやりません。1回しか成り立たないという厳しさが、おもしろさなのではないでしょうか。

 例えば今日、舞いますよね。明日、同じことをやってそれをおもしろいと感じるか。能は、失敗してもそれまで。NGがない。扇を落としても、面(おもて)が落ちても、そのままやるんです。

—そうなんですか?

観世 そんなことは気にしてないんです。気なんですよね。気の持続というか、心を謡うわけですから。

 バーチャルというのがありますでしょう。実は、日本人はとっくにやっているんですよ。しかも機械を使わずに、言葉でね。家内がよく言うんです。「能は小野小町に会わせてくれる。義経にも会わせてくれる。ああ、こうだったのねと、しみじみわかる」と。要するに、能というのは、お客さんを能の世界に連れて行って、バーチャルな体験をさせることなんですよ。

能は世阿弥の時代より真剣勝負、まさに生きるか死ぬかの世界だった。

—お能の世界に入ることに迷いはなかったのですか。

観世 小学5年生くらいの時でしたか、学校で全生徒に何になりたいか聞いたんです。私、きっぱり能楽師と答えたんですよね。一回も迷ったことがありません、職業として。実は私、3歳で父を亡くしているんです。ですから能の家に生まれたからというよりも……、どうなんでしょうねえ。

—お稽古はどなたに?

観世 二十五世観世左近家元に習いました。自分なりに何年もこれでいいと思ってやっていることがあるとします。でも、間違っていることがあるんですよ。盆栽にたとえると、これでいいと思っても、切らなきゃいけない。それを切ってくれるのが父であり師匠なんですね。人間性も芸も、それはちょっとまずいよと言ってくれる父親が早くに亡くなったのは……。

—よく伝統芸能は「一子相伝」と言われますものね。

観世 それは金科玉条ではないと思います。たまたま一能楽師が発見したものを、正しいかどうかはわからないけれど、他の人には教えないで子どもに教える。子どもはやっているうちに、もっとこうしたほうがいいと新たな発見をする。

 「継ぐを以て家とす」という言葉がありますが、自分の子どもでなくても、誰かに伝えることで志が受け継がれることが大事なのではないでしょうか。

 能は世阿弥から今の二十六世まで脈々と続いています。継承されている演劇としては世界最古といわれますが、700年もの間、一つの家で守っている。このアイデンティティは外国の人からすると驚きです。

 その存在感は、必ずしもパーフェクトとはいえないかもしれませんが、芸的にすばらしい人、政治的にすばらしい人、和を大事にする人、いろんな人がいて、事実、今日まで繋がっているんですよ。

 そして、その下に我々がいる。我々は、最後は自分で、能とは何かを見つけなければならならないんですね。それは、能を全うするということかもしれません。

—能を全うする……。果てがないですね。

観世 世阿弥の時代は真剣勝負、本当に生きるか死ぬかの世界だったんですね。能は真似から入りますが、真似ただけでは贋作です。能はこうだと思って舞わないと舞えない。贋作をやめて自分のものを作った時、初めて何かが見えてくるのだと思うんです。

 「思い内にあれば色外に現わる」といいますが、不思議と出る。失敗したと思うとだめだし、得意になってもだめ。これでいいだろうと思ったらアウトです。

 例えば、落ちたら死ぬという道を歩くとします。風が吹いても何があっても落ちないように、真剣に綱を渡っているつもりで歩くと、見所(けんしょ。観客のこと)ははらはらしますよね。そういう緊張感を持って、1回に賭ける。そうありたいと思うわけです。結局、無心で舞うということなんでしょうね。

謡の言葉に身をゆだね、夢を見てると思えばいい。

—お能は一期一会とのことですが、同じ曲は何度も演じるものなのですか。

観世 やりますね。『羽衣』は20回、30回とやっている人も多いです。

 今度、僭越ながら『関寺小町』という曲をやらせてもらうんです。これは、老女となった小野小町が華やかなりし昔をしのび、落魄の現在を語る曲で、山に捨てられた老女の霊の『姨捨』、地獄に落ちた老いた舞姫の『檜垣』とともに「三老女」とよばれ、いずれも特別の許しがないと稽古することのできない習い物として重要視されています。

 特に『関寺小町』は最奥の曲といわれ、やった人は世阿弥時代から名前を挙げられるくらいで、この曲に挑戦することを例えて「嬰児の貝を以て巨海を測る」というのですが、その意味は、小さい子どもに小さい貝で海の深さを測りなさい、つまり、不可能だということです。まさにその心境です。

—大変な曲に挑まれるのですね。どんなお気持ちで挑まれるのですか。

観世 何年もずっとやってきたことを、同じようにやるだけです。同じにできるということは、自分ではないわけですね。ちょっとでも自分が出たらだめ。無心で舞う、というのが理想ですね。

 そのためには心技体が大切です。体は、演じる時に風邪をひいていたり、熱があったりしたらできません。技は、何とかね。心、これは折れたら何もできない。だから気。体は衰えますけど、気は無限です、不思議と。

 結局、花なんですよね、おもしろいということは。おもしろさのイメージには初とか新もあると思うんです。初めて見るものや新しいものは目が離せないでしょう。だから、私は、おもしろかったと言ってもらえないまでも、とりあえず最後まで見ちゃった、また見たいと思ってもらえたら成功だと思っているんです。

—とりあえず見ればいいのですか。

観世 そう、わかろうとしなくていいんです。目を半開きにして、ぼやーっと見ていて、聞こえてくる謡の言葉に身をゆだねる。夢を見てると思えばいいんですよ。

 夢って、そもそもあまり覚えていないでしょう。だから、極端にいえば物語はあまり関係ない。何だかわからないけど、舞台から人がいなくなった時、はっと夢から覚めるというのがいちばんいい。夢を見させられないのは、こちらの責任(笑)。

—少し気が楽になりました。お能がもっと親しまれるようになるといいですね。

観世 私が常々考えているのは、不易流行ということです。「不易(永遠に変わらぬ本質的な感動)」と「流行(ときどき新味を求めて移り変わるもの)」という相反する言葉を組み合わせた四字熟語ですが、俳句の場合は、流行を取り込んで動くことも不易ですが、能の場合は、不易というのは動かない。流行はあるけれども50%は動かないんです。

 不易というのは、古臭いということではなく、心です。心は永久に変わりません、人間である限り。世阿弥の言葉通り、能には果てがない。

 これからは宇宙の時代です。きっと宇宙ステーションでも能をやっているでしょう。そこで演じられるのは、不易流行、やはり心だと思います。

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