ロボットが生命化して宇宙に広がる未来を目指す。

  • インタビュー:津久井 美智江  撮影:宮田 知明

株式会社ダイモン CEO・Commander 中島 紳一郎さん

子供の頃からプラモデルを作るのが好きだった。大学は工学部一択。卒業後は自動車の開発に従事し、4WD駆動システムを発明した。2011年3月11日、東日本大震災に遭遇。電力不足に直面したことで、自然エネルギーの自給自足型社会の実現を思い退社し、2012年に風力発電の会社を設立。縁あって参加していた月面探査車の開発が、NASAの月面探査プロジェクトに採択された月面探査車YAOKIへとつながった。YAOKIを開発した株式会社ダイモンCEO・Commanderの中島紳一郎さんにお話をうかがった。

設計ができて暇”という条件にマッチし、月面探査車の開発に参加する。

—来年1~3月に御社の月面探査車「YAOKI」が月に行かれるそうですね。もともと宇宙に興味があったのですか、それとも物を作ることに興味があったのですか。

中島 両方です。が、どちらかというと物作りは興味があって、宇宙は普通に好きぐらいかな。子どもの頃はプラモデルばかり作っていました。だから周りの子どももみんなそうだと思っていて、大人になってから普通じゃなかったんだと気づきました。

—では、あまり外で遊んだりしなかった?

中島 野球をやっていたので、外でも遊びましたよ。プラモデルはお金がかかるでしょう。お小遣いが入ったらすぐに買って、だいたい一日くらいで作ってしまうので、残りの29日30日は外で遊んで、またお小遣いが入ったらプラモデルを買うという感じでした。

 大学は迷いなく工学部機械工学科一択です。最終的に自動車の開発をする会社に行きましたので、割合せまい世界で生きてきたと思います(笑)。

—車の開発から月面探査車の開発にシフトしたきっかけは何だったのですか。

中島 3・11です。僕は会社の中で発明を担当していて、チームとしてアイデアを出させないといけないんですが、それがなかなか難しくて……。

 それで大田区の物作りフェアでアイデアを喚起する方法というような講演があり、それを聞きに出張していたんです。その時に、東日本大震災に遭遇し、会社を辞めようと決意しました。

—なぜ辞めようと?

中島 あの時、電力不足が深刻だったじゃないですか。自然エネルギーの自給自足社会を目指すべきではないかと思ったんです。

 それに僕は技術のコアなところにいたので、開発者が活躍する場がだんだんなくなってきているとも感じていた。このまま自動車ばかり作っているより、自分の技術で直接的に社会貢献できることがあるのではないか。自動車の駆動開発も風車の開発も技術的には同じだから、風力発電を事業化して、自然エネルギーを普及させてはどうかと思いました。

 勢いで会社を辞めてしまったので、1年くらいハローワークに通って、フリーターのようなことをやっていました。その時、フェイスブックで友だちになった一人が、たまたま月面探査車を開発しているチームを知っていて、募集していると。条件は“設計ができて暇な人”というので(笑)手を上げて、ボランティアという形で参加しました。それが月面探査車と宇宙事業との出会いです。

“七転び八起き”から名付けられたYAOKI。特徴は2輪で、直径約10cmの車輪の間にカメラを搭載している。2輪だと転んでしまうので、後ろに皿をつけ、車体を支える(イメージ)

“七転び八起き”から名付けられたYAOKI。特徴は2輪で、直径約10cmの車輪の間にカメラを搭載している。2輪だと転んでしまうので、後ろに皿をつけ、車体を支える(イメージ)

風力発電に限界を感じ、インフラ点検のロボット設計にシフト。

—起業するまでの間、そのチームにいらしたのですか。

中島 2012年2月に起業したんですが、月面探査車をちゃんとやろうとすると2、3年はかかるんですね。それに月面探査車の設計って相当時間を取られるんですよ。起業後2年間は頑張りましたが、その辺でケジメをつけました。

 完全ボランティアの関係性を保っていたので、その後は自分の会社で独自に開発することにしました。

—風力発電はどうなったのですか。

中島 自然エネルギーは目指したのですが、東京の風景を見ても分かるように、風車なんて全然見ないでしょう。それはそうで、風力発電ではコストを回収できるほどのエネルギーが得られないんですよ。そのことがだんだんわかってきて、でも電力事業はこれから改善しないといけないという思いはあった。

 日本はずっと成長してきて、増設増設という時代が2000年くらいまで続き、2010年以降は取換え取換えの時代。高圧線なんかだと、まだ人間がゴンドラに乗って点検をしていますが、これからはロボットに置き換えないとやっていけなくなる。僕が電力で貢献できるのは、電線の点検だと思い至り、風力発電からインフラの点検ロボットにシフトしたんです。

 それがメインの業務で、バックグラウンドで月面探査車を独自に開発していました。どちらも似たようなことですからね。

—何かをするためのロボットということですよね。

中島 そうです。電線を点検するロボットは細い電線を伝わって走る。月面探査車は過酷な環境を走る。絶対落ちてはいけないとか、失敗してはいけないというところも同じなので、求められるものは同じです。

 だんだん月面探査車のレベルが上がってきたので、いっそのこと月面探査車をメインにしようと思ったのが4年前くらいです。

—それでもう実際に月に行くなんて、すごいですね。

中島 その時は月面探査車のほうがおもしろそうだぞと、勢いで決めてしまったんですが、いくら月面探査車でいいものを作っても、そもそも月に行くロケットが当時はなかったんです。でも、そんなに遠くない未来にまたロケットが打ち上がる時代が来るという流れは感じていました。

 トランプ政権が始まったころかな、2017年に「アポロ計画」に続く月面探査プロジェクト「アルテミス計画」を始めると宣言したんですよ。NASAが直接委託するのはアメリカの企業が対象で、2019年にアストロボティック・テクノロジー社が着陸船というカテゴリーで採択されました。

 その頃僕は、YAOKIの動画を撮ってYouTubeにアップし、多くの人に見てもらいながら、メッセンジャーで日本やアメリカなど世界各国の宇宙産業関係者に紹介文を送っていたんです。

 その中の1社がアストロボティック・テクノロジー社で、いい反応があった。よくよく聞いてみると、着陸船に載せる機材を募集していると言う。もしかしたらYAOKIが本当に月に行くかもしれないと、ちょっと興奮しましたね。6月にメッセンジャーに返事が来て、契約したのが9月ですから、非常にスムーズに進みました。民間企業が開発した月面探査車が月を走るのは世界初だそうです。

今年7月東京の青山ブックセンターで「宇宙ビジネスのABC」と題したイベントを開催

今年7月東京の青山ブックセンターで「宇宙ビジネスのABC」と題したイベントを開催

今年3月別府市で行われた「おおいた宇宙フェスタ」の様子

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やる気次第で夢は実現できる ということを子どもたちに伝えたい。

—YAOKIは月に行って何をするのですか。

中島 走行して動画を撮って送るだけです。要するに、なるべくシンプルにして軽量化したんです。月に物を運ぶには1㎏当たり1億円かかるといわれています。つまり10g軽くすれば百万円安くなる。そう思って無駄を省いていきました。これは498g。従来のものに比べると10分の1ぐらいの重量なので、当然輸送費は安くなります。そういう特殊性も評価されたと思います。

—帰ってくるのですか。

中島 行ったままです。といってもバッテリーが6時間しかもたないので、6時間だけの活動になってしまいますが……。それがミッション1です。

—ミッション2、3は?

中島 ミッション2では、充電することを考えています。理論上はバッテリーの寿命に関係なく半永久的に活動できるわけですが、難関は昼夜の温度差。月面は昼が百℃以上、夜がマイナス百℃以下。もっといえば日向が百℃以上、日陰がマイナス百℃以下なので、こっちの面が百℃、こっちの面がマイナス百℃ということもあるわけです。バッテリーはもっても温度環境でもたなくなる可能性があるので、ミッション3ではシェルターという設備を考えています。温度環境が厳しい時にはシェルターに逃げ込んで冬眠し、温度環境がよくなってきたら出てきて探査をする。これができるとたぶん半永久的に活動できるようになると思います。

—生き物みたいでかわいいですね。

中島 僕の構想としては、ロボットの生命化です。ロボットのいいところは、人間と違って宇宙でこそ生きやすいところ。空気がないので腐食しませんし、太陽光があれば電力は作れます。だから、単細胞レベルの、小さくてシンプルで丈夫なロボットを、それぞれにちょっとずつ特性を変えて宇宙にいっぱい送って、それらを連携させれば、集団的な社会というか、知性になっていくと思うんです。

 これだけ小さいロボットは他にないですし、“集団で探査をする”という設計コンセプトも他にないと思います。その辺の特徴を生かした新しい形の月面探査、細胞体が修復し合うようなイメージの、ロボットの共生社会を数年以内に実現したいと思っています。

—壮大な計画ですね。宇宙以外ではどんなことをしたいですか。

中島 もともと一人でやってきて、今は5人の仲間がいますけど、思いを持った個人の集まりでも月面探査とか宇宙開発はできるということを示したい。やる気次第で夢は実現できるということを子どもたちに伝えたいです。

 5年くらい前までは、月面探査とか宇宙開発の話をすると、よく「夢がありますね」と言われました。それは「現実味はない」という意味合いだったんですね。でも、今は「本当に実現できかもしれない」という意味に変わってきています。

 今、子どもたちに向けたイベントを開催したり、講演をしたりしているのですが、彼らが大人になる頃には、「夢を見るばかりでなく、現実を見なさい」という雰囲気はなくなって、好きなことを徹底的にやれば、それでやっていける時代になると思うんです。

 というか、そういうふうになればいいと思って、今はいろんなハードルを一つずつクリアしていこうと頑張っています。

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