恩送り―自分が受けた恩を次の世代に渡したい。
キャリア官僚として国の女性政策に携わり、その立案をリードしてきた。一方で、2児の母親として子育ての経験も持つ。昭和女子大学の総長であり、ベストセラー『女性の品格』の著者としても知られる公益財団法人東京都教育支援機構理事長、坂東眞理子さんにお話をうかがった。
地域の人材や専門家のサポートにより、学校の先生の負担を軽減する。
—東京都教育支援機構(TEPRO:ティープロ)が設立された目的は?
坂東 近年、教員の長時間労働が問題となっていますね。こうした状況の中、平成31年1月に文部科学省から「公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン」が示され、東京都でも令和元年5月に「都立学校の教育職員の勤務時間の上限に関する方針」が策定されて、教員の長時間労働を抑制し、教育環境を改善するため、当機構が設立されました。
スタートは人材バンクシステムのTEPRO Supporter Bank事業です。これは部活動支援、授業準備や資料作成の支援、放課後等の学習支援、外国籍の児童・生徒への日本語指導など、地域の人材や専門家に先生の仕事をサポートしていただくことで、先生の負担を少しでも軽減するというものです。こうした支援によって、先生が授業の準備時間や子供たちに向き合う時間をより一層確保することができるようになるなど、結果として子供たちの学びの充実につながると考えています。
—活動をスタートして5年目となりましたが反響はいかがですか。
坂東 機構ができてすぐに新型コロナウイルス感染症拡大によって活動を自粛せざるを得ず、まだまだ存在を知っていただかなければならない状態です。一方、「学校の教育活動の役に立ちたい」「ひと肌脱ぎたい」と、サポーターに手を挙げてくださる方は予想以上に多く、個人では7千人を超えています。
ただ、学校側は、外部の方を受け入れて、いろいろな仕事をお願いするということに慣れていないのだと思いますが、まだ及び腰ですね。何をお願いしたらいいのか、どこまでお願いできるのか、内部情報を外に漏らされるのではないかとか、警戒心がとても強い。でも、実際にやってみると評価が変わるんですよ。期待以上に貢献してくださったという評価はよく聞きます。
—どのような支援が評価されているのでしょうか。
坂東 やはり事務的支援ですね。ITスキルをお持ちでない先生も多いので、そうした分野を迅速に処理していただけるのはとてもありがたかったようです。それからコロナ禍の間は消毒作業をしなければならなかったりしたので、そういった新しく加わった作業を担当していただけたのも感謝されていましたね。
学校現場とサポーターを結び付けるマッチングの事例は累計3千人余りで、コロナ禍もマッチングがうまくいかなかった一因になっているのかもしれませんが、もう少し加速しなければいけないと思っています。
—最近は部活動も問題になっていますね。
坂東 先生が必ずしも全ての部活動が得意なわけではありませんから、これも本当に支援が必要だと思います。そもそも論で言うと、アメリカでもヨーロッパでもオーストラリアでも、部活動は地域のクラブが中心で、学校がそこまで面倒を見るというのは実に日本的です。子供の面倒は学校と先生が全部見るべきだという日本の教育観の影響ですね。
ボランティア精神に対し、名誉や感謝などの報酬を差し上げるべき。
—東京都国際交流コンシェルジュも時代に即した支援ですね。
坂東 これからの若い世代は、いろいろな形で海外の人と付き合うのに慣れてもらわなければいけませんから、国際交流はとても大事だと思います。
学校間の交流だけでなく、大使館の方に学校に来ていただいてお話していただくとか、いろんな形の交流があると思います。現場の学校の先生は英語でスムーズにコミュニケーションを取れる方ばかりではありませんから、交流先との外国語による交渉や相談などの支援はとても感謝されています。英語が得意ではないからと初めから諦めている方たちが、こういう支援があるならやってみようと思ってくださるといいですね。
さらに少子化が進む中で、日本の社会と経済を支えるために外国の方たちに来ていただくことも増えていくと思います。そういう方たち自身はもちろんですが、そのお子さんたちに対して日本語教育をするというニーズもどんどん高まっていくと思います。全ての学校で日本語教育はできませんが、地域の中で日本語教育ができる学校を指定して、そこに日本語を教える専門の方を派遣したり、補助的にボランティアで日本語の練習の相手をしたりするとか、いろんな形で応援できると思っています。
—登録されている方はボランティアなのですか。
坂東 サポーターの方たちの概ね半分は無償です。無償で活動されているサポーターの方の中には、交通費など実費を負担していただいている方もいらっしゃるので、少なくとも負担をかけないような新しい仕組みが必要です。また、サポーターに手を挙げてくださった方たちの気持ちをしっかりと受け止めて、感謝で表すとか名誉で表すとか、お金ではない報酬を差し上げるべきではないかと思っています。
—定年退職してもお元気な方はたくさんいらっしゃいます。TEPROは高齢者の活躍の場になるのではないでしょうか。
坂東 そのとおりです。どんどん高齢の方に活躍してほしいです。年金には税金も使われています。自分で拠出しただけでなく現役の方たちが負担する税金で年金制度が支えられています。社会が高齢者を支えているのですから、高齢者の方たちも元気なうちは社会を支えるために自分のエネルギー、経験を使うという意欲をもっともっと持っていただけるといいと思いますね。
私はオーストラリアの総領事をしていたことがあるのですが、オーストラリアでとてもいいと思ったのは、例えば病院で、医師や看護師はプロフェッショナルとして医療に集中し、患者さんの世話等の業務はボランティアの方やパートの方がサポートしていたことです。
日本は、専門職の方が全部やるべきである、なんでも面倒を見るのがいい先生だという考えがまだまだ強い。それが学校の先生たちの長時間労働に結び付いているのだろうと思います。教員は教育の専門家として教えることに集中し、それ以外の知識・専門性が求められる仕事は別の専門家の方にお願いすることが必要になっています。人に感謝される、それが一番幸福感を高める。
—東京大学を卒業して総理府(現内閣府)に入省され、女性のキャリアとしてトップを走ってこられました。一番心に残っている仕事はどんなことでしょうか。
坂東 課長補佐時代に第1回の「婦人白書」を書けたこととか、課長時代に男女共同参画推進本部という新しい組織、今の内閣府男女共同参画局の基礎を作り、その初代の室長と局長を務めることができたことは、公務員としては恵まれていたと思います。
今振り返ると自分に向いていないと思った仕事のほうが、自分のプラスになっているように思いますね。若気の至りで、「自分に向かない仕事」なんて思わなきゃよかった(笑)
—男性と同じように残業もバリバリされながら、結婚してお子さんも育てられて……。
坂東 そちらは100点満点には程遠くて、子供は0歳から保育所で育てたのですが、途中から母が全面的に応援してくれましたので、本当に助かりました。それで2人目の子供が産まれたというのが実情です。
当時に比べたら今は育児休業とか育児短時間勤務とか制度は整いました。それでも周りに助けてくれる人がいるというのはとても大切です。私の頃は主に母親が助けてくれたわけですが、最近は配偶者が助けてくれるケースが増えていますね。
昭和女子大学には0歳から2歳までの子供を預かる昭和ナースリーという保育所があるのですが、迎えはまだ母親が多いですが、送りは9割ほどはお父さんです。配偶者だけでなく祖父母とかいろんな方たちが子育てに関わったほうがいいと思いますね。
—アメリカに留学されたのは、まだお子さんが小さい頃ですよね。
坂東 上の子供が6歳の時です。
アメリカでとてもお世話になったのが、当時70代のメアリーというホストマザーです。私は貧乏な留学生として滞在したのですが、日本へ帰るお別れの時、「こんなに良くしてもらったのにお返しができなくて申し訳ない」と言ったら、「私が一人前に教育を受け、社会に出て働いてこられたのは、いろいろな人がそういう仕組みを作ってくれたから。そういう人たち一人ひとりにお礼を言って回るわけにはいかないから、自分ができることを、必要としている人にしてあげるの」と言うのです。「恩返し」ならぬ「恩送り」という考え方ですね。
—「恩送り」、素敵な言葉ですね。
坂東 私は、公務員の時は法律とか制度とか予算を付けるとかそういう仕事をしてきましたが、やはり一番大事なのは人を育てることだと思っていました。
昭和女子大学もそうですし、TEPROもそうですが、教育に関わる仕事に携われて本当に幸せだと思っています。
心理学でも今までは自己実現、自分の能力を発揮するのが一番幸せ、充実していると思われていましたが、最近は人を助けている、人の役に立っている、そしてそのことを感謝されている、それが一番幸福感を高めるとされています。
私だけではなく、私くらいの世代の人は次の世代の人に「恩送り」をしたいと思っている方が多いと思います。上の世代には恩返しはできませんが、自分が受けた恩を次の世代に送りたい。これはTEPROにも共通する考え方だと思います。
東京にはいろんな経験や知識を持った方がたくさんいらっしゃいます。どんどんそれを発揮してほしいですね。